「先達」とは?ブログのやり方と水泳上達のコツを会得した経験談

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兼好法師

徒然草に「何ごとにも、先達(せんだち)はあらまほしきもの・・」という有名な文章があります。

何事を始めるにも、やはりその道の先生や先輩など、教えてくれる人がほしいものですね。

不幸にもそういう人がいない場合は、独学で始めることになるわけですが、最初の方で挫折してしまうケースが多いのではないでしょうか?

1.ブログのやり方(私の場合)

私が、このブログを始めるにあたって、「先達」に選んだのは、私の長男でした。

長男がブログをするのに触発されて、私もブログを始めたので、自然の成り行きです。

レンタルサーバーとの契約から始まり、独自ドメインの作成、ワードプレスとの契約など、ド素人の私だけでは到底一歩も進めないような事柄ばかりです。

「レンタルサーバーとの契約」とは要するに、インターネットの世界の大家さん(レンタルサーバー会社)から、自分専用の土地(独自ドメイン)を借りる契約を結ぶということなのです。

そして、そこにワードプレス(WordPress)という「Webサイトを公開する仕組みを提供する会社」と契約して、自分の家(ホームページやブログ)を建てるようなものです。

長男に教えてもらって、「レンタルサーバーとの契約」と「独自ドメインの作成」、「ワードプレスとの契約」の意味がようやく自分なりに理解できるようになりました。

さらに「タイトルの付け方」「記事の作成の仕方」「画像の取り込み方」「グーグルアドセンスの申請方法」「写真のアップロードのやり方」「画像貼付やリンク挿入方法」などに進み、最近何とか恰好が付いてきたかなと思います。

こうやって一歩ずつ前に進み、私もどうにかこうにかブロガーの仲間入りをすることが出来ました。

2.水泳上達のコツ(私の場合)

話は変わりますが、スポーツでも、うまくなるコツが必ずあるものです。

私自身の経験ですが、小学生のころ水泳がなかなか上手になりませんでした。

目をつむった状態で、やみくもに一生懸命腕を回して、足をバタバタさせるのですが、ほとんど進まず、たとえ進んでもとんでもない方向に行ってしまうのです。

形だけ真似た「息継ぎ」では、過呼吸のような状態になり、「吸う・吐く」のタイミングを間違って、プールの水を飲んでしまうことも、たびたびありました。

中学校にはプールがなく、家族で海水浴にも行かなかったので、3年間は水泳から全く遠ざかっていました。

茨木高校

高校は、明治時代から伝統的に水泳の盛んな学校で、高さ10メートルの高飛び込み競技用「飛び込み台」もあり、50メートルプールの中ほどの水深は、水球競技用に2メートル以上あるため、50メートルをどんな形でもよいから泳ぎ切る必要に迫られたのです。

そこで私は、同級生から次のようなコツを伝授してもらいました。

一つ目は、スローモーションのようなゆっくりしたペースで泳ぐことです。二つ目は、息継ぎは目一杯の呼吸は不要水中でゆっくり無理なく息を吐き出し、顔が水面に上がった時に口を開けるだけでよい。

「吸う→吐く」ではなく「吐く→吸う」の順番で息継ぎをすること。「吸う」は意識しなくても、口をあければ自然に空気が入るので、無理して吸い込もうとする必要はない。

その結果、息継ぎがうまく出来るようになり、曲がりなりにも50メートル以上泳げるようになりました。今では、ペースは断然遅いですが、何百メートルでも泳げます。

もし皆さんの中で、泳げない方がおられましたら、一度騙されたと思って試してみてください。間違いなく泳げるようになります。

3.乃木希典による皇太子の水泳特訓事件

ここで、私の母から聞いた大正天皇の水泳に関するエピソードを一つお話します。(真偽のほどは、保証の限りではありません)

明治時代のこと、大正天皇(当時は皇太子)の教育係であった乃木希典が、ある時皇太子をボートに乗せて沖へ漕ぎ出し、背が立たないくらいの深みで、皇太子を突き落としたそうです。

皇太子はびっくりして、「助けてくれ!俺は泳げないよ」とか何とか言ったのでしょう。そして、しばらくバタバタしていたそうです。しかし、乃木は助けの手を差し伸べようとしません。

しかし、この事件のおかげで、皇太子は泳げるようになったということです。これは、一種の「ショック療法」ですね。人間の「生存本能」に訴えるという究極の指導法で、効果は何となくありそうです。

しかし、一歩間違って皇太子が溺死してしまったら、「切腹もの」いや「即刻死刑」も覚悟しなければならない一大事となっていたでしょう。しかし、乃木には、空手の「寸止め」のような見極めがあったのだと思います。

乃木希典という人は、江戸時代生まれの軍人だけあって、肝が据わっていたのでしょう。太平洋戦争の頃のだらしないあるいは権威主義的な職業軍人(明治時代から大正時代生まれ)の悪評をいろいろと耳にするだけに、「昔の人は偉かった」とつくづく思います。