日本再発見・日本再評価ブームとジャポニスム

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ジャポニスム

1.日本再発見・日本再評価ブーム

世界が驚いた→ニッポン!スゴ~イデスネ!!視察団」というテレビ番組があります。

世界が驚いた→ニッポン!スゴ~イデスネ!!視察団

この番組は、主に現代日本のものづくり産業やサービス産業などのすばらしさや、「おもてなしの心」などを、海外の同業者の視察団が見学して、自国のやり方と比べて、いかに日本の方がきめ細かく優れているかに驚くという趣向ですね。

和風総本家

もう一つ、日本の職人芸や伝統産業、和食や礼儀作法などにスポットを当てて、日本人のすばらしさを再発見するという番組に、「和風総本家」があります。

また、外国人に大人気の意外な場所(「ガード下の商店街、チャンバラが体験できる店、深夜まで営業しているバッティングセンター、謎の紫色のビルなどなど)を紹介するニュースも、最近よく目にするようになりました。

最近の欧米の「ジャポニスム」や、2020年の東京五輪を意識した動きなのでしょうか、この種の「日本再発見」「日本見直し」「外国人に人気の日本の〇〇」のような番組が、最近増えたように思います。

2.日本の伝統や文化を軽視する風潮が何度もあった

日本には、かつて自分たちの伝統や文化を軽視する風潮が見られたことが、何度かあります。

ひとつは、明治時代に起こった「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動」というものです。

これは、明治政府の「神道国教化政策」に基づいて起こった「仏教排斥運動」ですね。多くの寺院が廃寺とされ、仏像も破壊されたそうです。

タリバンによるバーミアン遺跡の破壊ほどではないでしょうが、ちょっと恐ろしい気もします。

これは、政府によるものですが、民間でも、江戸文化の粋である「浮世絵版画」なども、明治時代には価値の低いものとみなされるようになり、多くの名品が、安い値段でヨーロッパやアメリカなどの海外に流出したそうです。

3.ジャポニスムや外国人の評価を受けての再評価はプリンシプルの無さの表れ

浮世絵は、「ジャポニスム」(19世紀にヨーロッパで起こった日本趣味の風潮)などのブームもあって海外で高い評価を受け、日本でまた「再評価」されるというパターンになったようです。

「浮世絵」のほかにも、「琳派」「工芸品」「茶道」「日本庭園」「寺院」「仏像」「禅」などもそうですね。

もうひとつは、終戦後の「アメリカかぶれ」「アメリカ礼賛」ではないでしょうか?マスコミの論調や学校教育の現場でも、その傾向があったように思います。

また私の記憶に残っている出来事として、戦後、海外からの評価によって、日本で再認識・再評価された人物があります。

それは、アメリカのケネディ大統領が、日本の新聞記者から「日本で最も尊敬する政治家は誰ですか?」と聞かれて、「上杉鷹山(ようざん)です。」と答えたエピソードです。

そして、「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」という上杉鷹山の有名な言葉(伝国の辞)が、多くの国民に知られるようになったとのことです。

今や、上杉鷹山は、財政破綻寸前であった米沢藩を見事に立て直した名君として非常に有名になっています。

余談ですが、上記の「伝国の辞」の歌は、上杉鷹山のオリジナルではなく、武田信玄の次の和歌を参考に、アレンジしたものだそうです。

「為せば成る 為さねば成らぬ 成る業を 成らぬと捨つる人のはかなき」

4.アメリカかぶれ・アメリカ一辺倒にはうんざり

閑話休題。明治時代のことは、私には実感がありませんが、終戦後のアメリカ一辺倒の風潮には、ちょっとうんざりするものがありました。

戦前の日本を必要以上に「悪者」扱いして、自分の国の文化や伝統を貶(けな)し、アメリカがいかに素晴らしい民主主義国家であり、科学技術の発達がめざましく、軍国主義だった日本を民主主義国家に再生させてくれたというものです。

敗戦国日本にも、ララ(アジア救済連盟)の脱脂粉乳やガリオアエロア資金による小麦などのありがたい援助をしてくれたと、まさに「アメリカさまさま」でした。

ところで、私たちの世代は、小学校の頃、学校給食で本当にまずい「脱脂粉乳」を飲まされたものです。

しかし、あの「脱脂粉乳」が実は「家畜用飼料」だったという話の真偽や、「無償援助ではなく有償貸与」だったという話の真偽、「原子爆弾投下の是非」はともかく、かつて「鬼畜米英」「撃ちてし止(や)まん」「欲しがりません勝つまでは」などと敵愾心を煽っていたのが、180度ひっくり返ったのですから、無節操なことあきれるばかりです。

私たちの世代は、戦前の教科書の「塗りつぶし」などの経験はありませんが、学校の先生が、ことあるごとに「アメリカがすばらしくて、日本はダメだ」と話すのには、日本人としての誇りを傷つけられるようで、正直うんざりしました。

「愛国心」というと、すぐ「軍国主義」や「右翼」と結び付けて考えられがちです。

しかし今の日本の政治家は、どうでしょうか?

マッカーサー元帥とも堂々とした態度で交渉に当たったという吉田茂元首相や、その側近で「我々は戦争に負けたが、奴隷になったのではない」という名言を吐いた白洲次郎のように、「プリンシプル(principle)」(道義・節操・信条のような意味)を毅然として持って、外国とも対等に、正々堂々と向き合ってほしいものですね。

一方、「21世紀は日本の世紀」と言って日本を「ほめ殺し」にするような未来学者のハーマン・カーン氏や、「Japan  as  number  1」を書いて日本を称賛したエズラ・ヴォーゲル氏のような学者がいます。

しかしこのような評価には、ほめられたからといって、調子に乗って浮かれたりせずに、逆に「プリンシプル」をしっかりと持って、彼らの現状認識や将来の見通しは「まゆつば」でないのかと、用心するぐらいの方がよいのではないでしょうか?

余談ですが、私は、古関裕而という作曲家は「一身二生」(*)の人生を送ったように思います。これは、戦争を経験し、世の中の大激変を目の当たりにした我々の親世代の多くもそうだったのではないかと思いますが、古関裕而の場合は彼が作曲した有名な作品が数多く残っているために歴然としています。戦前と戦後では「別人」のようです。

(*)一身二生:これは福沢諭吉の「文明諭之概略」の中で、旧幕時代に儒学教育を受けて育ち、明治初期に文明開化の思想的指導者となった自身の立ち位置について「恰(あたか)も一身にして二生を経るが如く一人にして両身あるが如し」と述べたことに由来する言葉です。

これは「一生のうちに全く違う人生を体験することは、まるで一人の人間が二つの体を持つようなものだ」という意味で、「日本古来の文明と西洋文明とを比較研究する上で、これほど便利な地位はない。今の一世を過ぎればこのような好機は二度とないであろう」という気持ちだったのでしょう。