マスターズも制覇し米ツアーで大活躍中の松山英樹と石川遼の対照的な歩み

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松山英樹

<2022/11/13追記>石川遼が「三井住友VISA太平洋マスターズ」で優勝、おめでとう!

石川遼

50回目となる「三井住友VISA太平洋マスターズ」(太平洋クラブ御殿場C。賞金総額2億円、優勝4000万円)で、31歳の石川遼がプレーオフの末、逆転で2年11カ月ぶりのツアー18勝目を挙げました。賞金ランク3位の星野陸也とのプレーオフを2ホール目で制しました。

正規の18ホールは5バーディー、2ボギー、1ダブルボギーの69で回り、通算8アンダー、272。19年12月の日本シリーズJTカップ以来のV。また、10、12年に続き、尾崎将司、中嶋常幸、リー・ウエストウッドに並ぶ大会最多の3度目の優勝となりました。

本当に久しぶりに見る石川遼の笑顔でした。これで日本ツアー8勝・アメリカツアー8勝(合計16勝)の松山英樹より、優勝回数では2つ上回りました。

<2021/4/12追記>松山英樹が「マスターズ優勝」の快挙!おめでとう!

松山英樹が、2021年の「マスターズ」に優勝しました。日本人初のメジャー制覇です。これでアメリカツアー通算6勝、日本ツアー優勝8勝です。「急がば回れ」のことわざ通りです。

松山英樹が日本選手初のメジャー制覇 マスターズゴルフ最終日

1.「じっくり型」でスロースタートの松山英樹

石川遼選手(1991年9月生まれ)の「好敵手」と言えば、やはり同年代の松山英樹選手(1992年2月生まれ)ですね。石川選手は、高校時代から目覚ましい活躍をして、史上最年少の高校生プロになり、史上最年少で賞金王になるなど、「ロケットスタート」のような素晴らしいスタートダッシュを見せました。

石川遼

それに比べると、松山選手は大きく出遅れたように見えました。大学のゴルフ部の合宿所で、石川選手の活躍を報じるスポーツ新聞を読んでいるところを、「石川選手の活躍は気になりますか?」と記者から質問され、「別に」とぶっきらぼうに答えている記事があったように思います。

内心には、色々な思いが去来していたと思いますが、「隠忍自重」して、ゴルフの技術に磨きをかける毎日だったのではないでしょうか?

私などは、松山選手がアマチュアとして国内ツアーに参戦して、ベスト10入りも珍しくない活躍をしているのを見ると、「早くプロテストを受けてプロになれば、賞金が沢山貰えるのに勿体ない」と思っていました。

しかし、彼は大学3年までは、アマチュアを貫き、2011年には「日本人アマチュア初」のマスターズ出場者となり、「日本人最年少マスターズ予選通過者」(当時19歳)となっています。マスターズでは2011年に「ローアマチュア」を獲得し、2014年以降プロとして5回出場しています。(2015年の5位が最高順位)

そして、2013年には日本ツアー史上初の「ルーキーイヤー賞金王」となりました。年間4勝(史上最多タイ)で、史上最速での年間獲得賞金2億円突破を成し遂げました。2014年には、米国ツアーで「日本人最年少優勝」(当時22歳)を果たしています。

現在、日本ツアー8勝(うちメジャー1勝)、米国ツアー5勝しており、現在「ゴルフ世界ランク」で19位となっています。

2.「急がば回れ」の勝利

彼は、石川選手のような派手さはなく、どちらかと言えば地味な感じですが、やはり「天才」だと思います。「兎と亀」のたとえ話とは少し違いますが、「急がば回れ」という諺を地で行くようなゴルフ人生ですね。

ゴルフに「たら、れば」が無いように、人生にも「if(もし)」はありませんが、もし石川選手が大学に進学してゴルフ部でじっくり技術を磨いたり、大学に行かなくてもアマチュアとして、余裕を持ってゴルフと向き合う時間を持てていたら、その後のゴルフ人生が変わっていたのではないかとも思います。

「進む者は退き易し」とか「進むを知りて退くを知らず」ということわざがあります。

私などが言うのはおこがましい限りですが「急がば回るな」がモットーの石川遼選手には、この言葉の意味も噛みしめてほしいものです。

大谷翔平

プロ野球の大谷翔平選手も、本人の希望としては最初から「メジャーリーグ」に挑戦するということでしたが、日本ハムの栗山監督の説得で、まずは日本のプロ野球でプレーし、数年後にメジャーに挑戦することで納得し、その通りになりました。

今年のメジャーリーグでの大谷選手の大活躍は、皆さんご存知の通りです。これは大変うまく行ったケースだと思います。栗山監督が入団交渉で提示した資料(過去のメジャーリーグ挑戦者の失敗の実例や過酷なメジャーの実情を詳細に記したもの)も、大変説得力のあるものだったようです。

石川選手が調子に乗ったとは言いませんが、彼に冷静に思いとどまるよう説得する人が誰もなく、「米国ツアー挑戦」という希望に逸って、可惜(あたら)数年間を無駄にしたと思うのは私だけでしょうか?