「サイクリング」は「私の健康法」

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サイクリング

1.日本人初のミスユニバースはサイクリングが趣味

児島明子ミスユニバース児島明子ミスユニバース児島明子ミスユニバース授賞式

私が小学4年生だった1959年、児島明子さん(1936年~ )が日本人で初めて「ミスユニバース」に選ばれて大変話題になりました。日本人離れした見事なプロポーションで子供心に憧れました。彼女がそのような体型を維持する秘訣を聞かれた時、「サイクリングが趣味」と答えたのがなぜか印象に残っています。私の「サイクリング好き」の原点かも知れません。

私が中学生の時の音楽の教科書に、「お使いは自転車に乗って」という歌が載っていました。覚えておられる方も多いのではないでしょうか?ただし、現在の中学の音楽の教科書にも載っているのかは、定かでありません。

この「お使いは自転車に乗って」は、作詞:上山雅輔、作曲:鈴木静一で昭和18年に作られた歌ですが、古さを感じさせない歌詞で「サイクリング」の楽しさや浮き浮きした気分をよく表現しています。4番の最後の「心はしとやかな 花のハナ子」だけは、ちょっといただけませんが・・・

第一生命保険が毎年募集し、優秀作品を発表している「サラリーマン川柳」に、「スポーツジム 車で行って チャリをこぐ」というのがありました。運動のためにスポーツジムに通うのに、車を使ってしまう様子を皮肉を込めて詠んだ見事な作品ですね。

2.徳川慶喜は本格的にサイクリングを楽しんだ最初の日本人?

徳川慶喜の自転車

徳川慶喜は好奇心の強い人物だったようで、明治維新後、隠居生活をしていた静岡市内で「外国製の自転車」を乗り回して遊んでいたようです。明治10~12年頃、静岡県内で初めて自転車を入手したそうです。彼は本格的にサイクリングを楽しんだ最初の日本人かもしれません。

3.夏目漱石や萩原朔太郎は日本人の自転車乗りの先駆け

夏目漱石は、ロンドン留学時代の終わり頃(1902年)に、部屋に引き籠りがちな彼のことを心配した下宿のおばさんから勧められて、自転車に乗る稽古をしています。何度も転倒したり、馬車馬に蹴られたりと苦労と失敗の連続だったようです。彼は「自転車日記」というエッセーに、その様子を書いています。なお、「自転車日記」はインターネットの無料図書館サイトの「青空文庫」でも読むことが出来ますので、興味のある方はぜひご一読ください。

ついでながら、萩原朔太郎も大正10年(1921年)に「自転車日記」を書き始めています。最初貸自転車屋で借りた自転車は「ブレーキのない自転車」(今問題になっているピスト)だったので、坂道で通行人にぶつかりそうになり、それを避けようとして崖に激突するなど散々だったようです。しかし、翌年には新型の「ブレーキのある自転車」で練習を再開したそうです。

日本で最初に国産自転車が作られたのは明治23年(1890年)です。しかし本格的に普及したのは昭和に入ってからのようです。ですから、夏目漱石や萩原朔太郎は一般大衆に先駆けて自転車に乗っていたことになりますね。

4.サイクリングの良さ

閑話休題、サイクリングの効用に話を戻しましょう。「散歩」の場合は、行動半径が狭いため、いつも見る変わり映えしない風景なので、飽きっぽい性格の私には向きませんでした。その点、「サイクリング」は行動半径がぐんと広くなり、里山や淀川沿いの眺望も存分に楽しめますので、私にぴったりでした。

20年くらい前までは、東は京都市内まで(約20Km)、西は大阪市内まで(約25Km)自転車で出かけました。京都市内へは、国道171号線に沿って走り、久世橋を渡って京都市内に入ります。大阪へは、171号線に沿って走るルートもあるのですが、私は眺望の良い淀川左岸の堤防の道を好んで走りました。十分気分転換になりますし、運動不足解消には最適だと思います。

自転車なら、「マイペース」でゆっくり走れば、京都や大阪まで走っても疲れません。私の乗る自転車は、本格的なサイクリング車ではなく、ごく普通の「ママチャリ」です。

5.坂道の下りはスピードの出し過ぎに注意

私は15年ほど前、自転車で大怪我をしたことがあります。その時は里山からゴルフ場へ向かう山道をどんどん登って行ったのですが、「電動自転車」ではないので、だんだん疲れてきて、途中で引き返すことにしました。そこで、坂道を駆け下りたのですが、思いのほかの急坂で、どんどん加速が付きこのままでは危ないと感じて、思わず「両方のハンドル(前後輪)のブレーキ」を同時に強くかけたのです。すると体がふわっと浮き上がりスローモーションのような感覚があった後、地面に叩きつけられたのです。顔や手のひら・肘に多数の擦過傷・裂傷を負いました。足はズボンをはいていたので、打撲傷で済みました。

これは同時に前後輪のブレーキがかかって、「ロック」された状態になり、自転車が浮き上がってしまったものです。時間にして2~3秒のことだと思いますが、テレビドラマなどの「交通事故」シーンで、スローモーション映像が流されますが、まさにそんな感じでした。

事故当時乗っていたのは、サイクルベースあさひという店で買った自転車ですが、中国製だったようです。この事故があった後、日本のブリヂストン社製の「前後輪同時ブレーキをかけてもロックしない」自転車を購入し、今も乗っています。

最近は、「城内見回り」と称して、自宅から2Kmくらいの行動半径で軽く回ったり、時には摂津峡のある里山まで出掛けたりしています。

6.橋本マナミさんもサイクリングが趣味

橋本マナミ

この前、テレビを見ていたら橋本マナミさんも「サイクリング」が好きだと話していました。私はなぜか元ミスユニバースの児島明子さんの話を思い出していました。

私はこれからも可能な限り、マイペースで「サイクリング」を続けて行きたいと思っています。そして要介護になる時期を極力先延ばしして、医療費・介護費用の削減に貢献したいと思います。