三浦雄一郎氏の「アコンカグア」挑戦の意味はあったのか?対照的な加藤文太郎氏

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86歳の三浦雄一郎氏は南米最高峰の「アコンカグア(6960.8m)」に挑戦していましたが、2019年1月21日、登頂を「断念」しました。アコンカグアは登頂成功率30%の難関です。

彼は出発前の会見で、「ダメならあきらめるが、限界まで頑張って、それが頂上ならこんなうれしいことはない。」と意欲を示し、「究極の老人介護登山だと思っています。」と登山隊のサポートに感謝しています。

彼は自ら東京五輪を担う若いアスリートに対して「20年は目の前。自分が世界のトップへチャレンジする日本選手の勇気になれば」とのメッセージを送っています。

マスコミも、「中高年に希望を与える」「勇気ある撤退」とか言って賞賛していますが、私には「年寄りの冷や水」「人の迷惑顧みず」の「頑固な年寄りの無謀なパフォーマンス」のように思えます。

1.三浦雄一郎氏とは

三浦雄一郎氏(1932年~ )は、プロスキーヤーでもあり、登山家でもあります。父親の三浦敬三氏も山岳スキーヤーで、長男の三浦雄大氏は競技スキーヤー、次男の三浦豪太氏はリレハンメル五輪・長野五輪出場のフリースタイルスキー・モーグル選手と「スキー一家」です。

彼は1962年にアメリカでスタートしたばかりの「世界プロスキー選手権」に参加し、世界ランク8位となっています。

1966年には、「富士山直滑降」に成功しています。この時「ブレーキ」として使用したパラシュートの映像をヒントにして後に「パラグライダー」が開発されたそうです。

1970年には、エベレストのサウスコル8000m地点からの滑降に成功しています。

その後、不摂生な生活が祟って「不整脈」まで出る不健康な状態となりますが、一念発起して2003年には、世界最高峰のエベレストに世界最高齢(ギネス記録)となる70歳7カ月での登頂に成功しています。2008年には75歳でエベレストの再登頂に成功し、2013年には80歳で3度目の登頂を果たしています。

このような輝かしい記録を持つ三浦雄一郎氏ですが、もうこれ以上無理をしない方がよいと私は思うのですが・・・

2.新田次郎氏(1912年~1980年)の小説「孤高の人」の主人公の生き方

加藤文太郎

「孤高の人」の主人公のモデルは、登山家の加藤文太郎氏(1905年~1936年)です。彼は神戸の三菱内燃機製作所(後の三菱重工業)に勤務しながら、兵庫県立工業学校夜間部を卒業しています。

彼は18歳ごろから登山を始め、休みの日に何度も「六甲山縦走」を行っています。早朝に須磨の自宅を出て六甲山を縦走し、宝塚に下山した後、歩いてその日のうちに須磨の自宅に帰ったそうで、何と100kmに及ぶ行程です。

23歳ごろから、もっぱら「単独行」で日本アルプスの多数の峰に積雪期の単独登頂を果たし、「単独登攀の加藤」「不死身の加藤」として一躍有名になります。

しかし、30歳の時、数年来の登山仲間のたっての依頼で、二人で槍ヶ岳北鎌尾根に挑みましたが、猛吹雪に遭い、天上沢で遭難死しました。

加藤文太郎氏は、「仕事はきっちり片付けた上で、好きな登山に打ち込んだ」「名利を求めなかった」「他人の助けを借りず、独力の単独行を好んだ」ようです。私には彼の生き方・信条がとても魅力的に感じられるのです。

三浦雄一郎氏も、もちろん偉大な登山家だとは思いますが、なぜか加藤文太郎氏の生きざまに共感を覚えます。