医者の「誤診」で大変な目に遭った話

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誤診

今回は、私が公立高校受験の直前に巻き込まれた「医者の誤診」騒動についてお話しします。

1.受験一週間前の体調不良と「リウマチ熱」の診断

1965年(昭和40年)3月のことです。3月15日の大阪府立高校の受験を控えて、私は勉強に励んでいました。

ところが一週間前くらいになって急に熱を出し頭が痛くて寝込んでしまいました。そこへ、世間話にやって来た近所のおばさんが、「私が通っている阪大医学部を出た若い腕利きのお医者さんがいるから、その先生に診てもらった方がよい」と私の母に話しました。

その結果、私はその「腕利きのお医者さん」の往診を受け、診察してもらったのですが、驚いたことにその診断は、「リウマチ熱」だというのです。それで、その医者は「後で薬を取りに来るように」と言い置いて、早々に帰ってしまいました。

ちなみに「リウマチ熱」というのは「A群溶連菌に感染して後、1~3週間に生じる非化膿性疾患の一つ」です。症状は、大きな症状としては心内外膜、心筋の全ての層が炎症を起こします。共通症状としては、発熱・前胸痛・腹痛・頭痛、倦怠感・食欲不振があるそうです。

そこで父が、その医院に薬をもらいに行くと、「私のところでは、手に負えないから大病院に行ってほしい。紹介状を渡すから」との返答なので、父もあきれて帰ってきました。

2.大阪医科大学付属病院への入院と「病室受験」の手配

しかし、そう言われると心配なので、さっそく大阪医科大学付属病院に入院することになりました。急な入院のため、普通の「個室」が空いておらず、その大学病院で一番高い「特別個室」に入れられました。

そして、中学の担任の先生(「大阪湾」とあだ名された額の禿げあがった40歳くらいの先生)が、高校にも掛け合ってくれて、特別に「病院での受験」が出来ることになり、受験先の高校の先生が、「試験監督としての立ち合い」をする必要上、病室の下見にまで来ました。

しかし、その大学病院の内科の主任教授で名医として有名な巽先生の診断で、「これはリウマチ熱ではない。当病院で出す薬はない。安静にしていれば治るので即日退院するように。」との結論が試験前日に出ました。「大病」かと思っていた私は拍子抜けしましたが、妙に説得力のある断言でした。

多分、私が連日遅くまで勉強していて疲れがたまって風邪を引き熱が出ただけなのでしょう。それが「近所のお節介おばさん」と「腕利きのお医者さん」のおかげで、私も両親も中学の担任の先生も、受験先の高校の先生方も振り回されることになった訳です。

3.受験前日の退院と受験当日の大雪による混乱

私は、大混乱の中、帰宅しましたが、翌日の3月15日は大阪には珍しい春の大雪となりました。私は風邪気味なので大事を取ってタクシーで高校まで行き、待機していましたが、大雪のため電車が遅れ、多くの受験生が試験時間に間に合わないとのことで、「午後からの試験開始」に変更されました。

私はまた、タクシーで自宅に戻り、午後にまたタクシーで試験会場に向かい、何とか心を落ち着けて受験し、無事に合格出来ました。

4.大阪医科大学付属病院の巽先生の後日談

私が公立高校合格後、私と母はお礼を言うために大学病院を訪れました。

そこで巽先生は、例の「腕利きのお医者さん」のことを、「あの男も熱心な男だね。あの後もいろいろ私に聞いてきたよ。しかし、経験が足りないね。こんな症状で『リウマチ熱』と大騒ぎするとは!」と評していました。「経験の浅い青二才の藪医者」に引っ掛かった訳です。

「医は三世(さんぜ)ならざればその薬を服せず」ということわざがあります。これは「医者は経験豊かで信頼できる人を選べ」ということです。

大阪で赤ちゃんが「乳幼児揺さぶられ症候群で死亡したとされた事件」で、母親や祖母が「幼児虐待」(傷害致死)で逮捕され、後に「冤罪」と判明して無罪となったケースがたくさんありました。これなども、経験不足の医師の鑑定(誤診)が原因でした。

5.「近所のお節介おばさん」について後で分かったこと

私の家では、近所にかかりつけの医者がいるのですが、「近所のおばさん」はその医者とケンカをしてしまい、「腕利きのお医者さん」の方に通っていたのです。それで、近所の医者ではなく、自分の通っている医者を勧めたという訳です。

それにしても、多くの人がこの騒動に巻き込まれて、大変迷惑な話でした。「医師の診断については、セカンドオピニオンが必要」と最近よく言われますが、どの医者のセカンドオピニオンを取るかによっても、結果が変わって来るとは思いますが、本当にそうだと思います。これは苦いけれど良い経験でした。

よく、病気の人が家にいると、「新興宗教」の勧誘などがよく来るという話を聞いたことがありますが、それに似たような話でした。