芸能はほとんど瞬間芸術だが、今では録音・録画や印刷で多くの人々が楽しめる

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桃中軒雲衛門

(桃中軒雲右衛門)

1.瞬間芸術

「芸能」は、雅楽や能・狂言、歌舞伎などの「古典芸能」(日本伝統芸能)から、近代・現代の講談・落語・浪曲・萬歳(漫才)・奇術(マジック)・音楽ライブに至るまで、ほとんどが「瞬間芸術」です。

「瞬間芸術」とは、「時と場所を限定した瞬時の演技・演奏によって表され、それが直ちに消滅するもの」です。

芸能とは、そもそも時と場所を共有している人々のためだけの、すなわち「here and now」の「聖なる一回性」の芸の披露と言えると私は思います。

近代に入って、「録音・録画技術」が発達し、ラジオ・レコード、映画・テレビなどの媒体を通して、多くの人が本来は「瞬間芸術」である「芸能」を広く、いつでも楽しめるようになりました。

「絵画」については、「原画」が一枚でも残っている場合は「瞬間芸術」ではありませんが、「印刷」によって、「模写」や「写本」に頼らずに多くの人が楽しめるようになったのは、「瞬間芸術」である芸能が「録音・録画」を通じて広まったのと同様です。

「ラテ・アート」などは「瞬間芸術」と言えるかもしれません。

2.四次元芸術

絵画や芸術写真や小説などは、「二次元(平面)芸術」と言えます。彫刻は「三次元(立体)芸術」と呼べるでしょう。

一方「音楽」は「楽譜」によって、「時間軸」を超えて様々な演奏家や歌手はもとより一般人でもがその「音楽」を再現出来るという意味で、「四次元芸術」と言えるかもしれません。この宇宙は、「三次元(物理)空間」と「一次元の時間」からなる「四次元時空」(ミンコフスキー時空)だからです。

なお、各地の「民謡」のように古くから伝承された歌は、そもそも楽譜すらありません。

ただ、パブロ・ピカソなどの「キュビズム」の画家たちが、絵画に「三次元」(複数の視点、立体感)や「四次元」(時間の経過)を取り込もうとして、奇妙奇天烈な「泣く女」のような作品を作ったことは、私には理解できませんし、成功したとも思えません。

3.桃中軒雲右衛門(とうちゅうけんくもえもん)事件

ちょっと脱線するかもしれませんが、大正時代に「桃中軒雲右衛門事件」という「不法行為に基づく損害賠償請求」に関する有名な事件がありましたので、ご紹介します。

「桃中軒雲右衛門」(1873年~1916年)とは、明治時代から大正時代にかけての代表的な浪曲師です。「雲右衛門節」と呼ばれる重厚な節回しで人気を博しました。

当時大人気の彼ですが、彼の要求する「レコード吹込み料」が非常に高額であったため、なかなかレコードが出されませんでした。彼としてはレコードに吹き込んでしまうと寄席に足を運んでくれる客が大幅に減ることを心配したのでしょう。

「桃中軒雲右衛門事件」(大審院大正3年7月4日判決)というのは、次のようなものです。

桃中軒雲右衛門の浪曲をX社がレコードに入れて販売したのを、Yが権限なしに複製し販売したので、X社が「著作権侵害」を理由に、Yに「損害賠償請求」をした事件です。

大審院は、「浪曲のような低級音楽、瞬間創作のようなものには著作権はなく、したがって浪曲は権利として保護されない」と判示し、X社の賠償請求を棄却しました。

この判例で重要なポイントは、「著作権法上の著作権がなければ、不法行為法の保護を受けられない」として、民法709条の「損害賠償請求」の権利を「法律上確立している権利に限定した」ことです。

この判断は、今考えると大変不当なものです。(浪曲を「低級音楽」と決めつけている点でも大変失礼な話です)

しかし、その後「大学湯事件」(大審院大正14年11月28日判決)で、従来の「権利」のとらえ方を広げる判断を示しました。

XはYから「大学湯」という「老舗」を買い取り、風呂屋の建物を賃借して風呂屋を営業していましたが、Yは賃貸借契約を解除し、Yが新たな賃借人に「大学湯」を営業させました。これに対してXは「大学湯」の「老舗」を失ったとして、損害賠償を請求した事件です。

原審は、「桃中軒雲右衛門事件」の判決を踏襲して権利を狭く解釈しましたが、今度は大審院は民法第709条の権利を広く解釈して、「老舗の権利を認め、破棄差戻しの判決を下しました。

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