日本初の競泳プールと日本初のクロールの完成は旧制茨木中学で指導者は杉本伝!

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茨木中学プール

NHKの大河ドラマ「いだてん東京オリムピック噺」は、田畑政治が主人公の第二部に入って、阿部サダヲの軽快でコミカルな喋り口も影響してか、「視聴率」も少し持ち直しの兆しがあるようです。ただし、「阿部サダヲは早口で何を言っているのか聞き取れない」という老人もいるかもしれないので、予断は許しません。

私は個人的に水泳が好きなので、第一部の陸上競技に代わって水泳が登場し、前畑秀子の話などが出て来たので、俄然興味が湧いて来たのです。また、私の高校の大先輩(ただし旧制茨木中学)で、元日本水泳連盟会長を務めた高石勝男(1906年~1966年)も出ているのでとても親近感を覚えます。

1.日本初の競泳プールは旧制茨木中学

ところで、これから放映される「いだてん」には出て来ない話かもしれませんが、私の母校の話なのでご紹介します。

茨木中学のプールは、「大正天皇御即位記念事業」として、大正4年(1915年)9月6日に起工式を挙げ、大半を全校生徒の勤労作業によって、大正5年(1916年)2月11日に竣工しました。この勤労作業には、当時生徒であった川端康成や大宅壮一も従事したそうです。

長さ23間(約41.8m)幅15間(約27.2m)の「日本初の競泳プール」です。その後数次の改修を経て正式な50mプールとなり、昭和4年(1929年)には「10m飛び込み台」も完成しています。

私が通っていた昭和40年(1965年)から3年間もこのプールを使用していました。10m飛び込み台の下の10m四方の水深は7~8mあったのではないかと思います。50mプールも水球競技に使用するため、すり鉢状に深くなっており中程に行くと背が立ちません。

2.日本初のクロール泳法完成者は杉本伝(旧制茨木中学体育教師)

杉本伝(すぎもと つたえ/つとう)(1889年~1979年)は、日本体育専門学校(現在の日本体育大学)を卒業後、明治44年(1911年)に茨木中学の体育教師となりました。

彼は当時最新の水泳に関する書物でクロール泳法を研究し、「息継ぎが出来るクロール泳法」を完成させました。当時は一般的に息継ぎをしないため、短距離専用という考え方が主流でした。

そして、彼は「全生徒皆泳」を唱えて、完成した「日本初のクロール泳法」を高石勝男らをはじめとする生徒たちに教え、大正9年(1920年)に行われた東京帝国大学主催の「全国水泳大会」で初優勝を遂げます。

全国水泳大会優勝記念写真

その後、数々の全国制覇を重ね、「極東選手権大会」にも出場し、「水泳ニッポン」の基礎を作りました。

3.オリンピックの水泳競技での活躍

大正13年(1924年)のパリオリンピックには、杉本伝監督・高石勝男選手(100m自由形5位、1500m自由形5位)・石田恒信選手が出場、昭和3年(1928年)のアムステルダムオリンピックには、杉本伝監督・高石勝男選手(100m自由形銅、800mリレー銀)・入江稔夫選手(100m背泳4位)・高階富士夫選手(飛び板飛び込み9位)、昭和7年(1932年)のロサンゼルスオリンピックには、杉本伝監督・高石勝男キャプテン・入江稔夫選手(100m背泳銀)・阪上安太郎選手(水球4位)が出場しています。

なお、ロサンゼルス五輪で銀メダルを獲得した入江稔夫選手は、昭和3年秋、茨木中学5年の時に、200m背泳と400m背泳で「世界新記録」を樹立しています。

4.創立100周年記念の新プールと「日本近代水泳発祥之地」記念碑

なお現在、大阪府立茨木高校には、平成7年(1995年)に「創立100周年」を記念した新プールが竣工済です。水球も出来るように水深は深くなっています。

茨木高校プール

また、学校の正門右側には「日本近代水泳発祥之地」記念碑が設置されています。

日本近代水泳発祥の地


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