「引き際」「引退」の難しさを経営者・医者・エリート官僚について考える!

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前川喜平

前に、一流のスポーツ選手の引き際についての記事を書きましたが、今回は経営者・医者・官僚などそれぞれの分野で「一流」となった人の「引き際」「引退」の難しさについて考えて見たいと思います。

1.経営者

関西電力の芦原義重名誉会長は、「関電中興の祖」と呼ばれた実力ある優れた経営者ですが、1959年~1970年まで12年間も社長を務め、1970年の会長就任後も女婿で腹心の内藤千百里氏(のち副社長)を用いて社内に強い影響力を持ちました。

ところが、1986年「朝日ジャーナル」誌で連載された「企業探検」で、関電が取り上げられ、一種の「恐怖支配」とも受け取れる「ワンマン振り」が公になりました。

これにより、社内外の批判が噴出し、1987年には取締役会で芦原氏と内藤氏が取締役を解任されました。「関電二・二六事件」と呼ばれるものです。私も、部外者ですが、芦原氏の「老害」の噂を聞いたことがあります。

三越の岡田茂社長についても、関電の芦原氏とよく似た「社長解任劇」がありました。1972年の社長就任後、自身に批判的な幹部を次々と左遷し、岡田天皇と呼ばれる独裁体制を確立し、不明朗な経理によって会社を私物化していき、特別背任罪に問われました。

やはり「権力は必ず腐敗する」(イギリスの歴史家・思想家のジョン・アクトンの言葉)ということですね。

2.医者

日野原重明さん(1911年~2017年)は、105歳で亡くなりましたが、「生涯現役」の医者でした。著書も多数あり、90歳を過ぎても医療を続ける姿や講演で話す様子がたびたびテレビで放映されました。

彼の功績やエピソードをいくつかご紹介します。

心臓病・脳卒中などの「成人病」を、日野原先生は1970年代から、「(生活)習慣病」と名付けて、その予防意識を国民に広めました。

聖路加国際病院内科部長だった1970年には、「よど号ハイジャック事件」に遭遇し、人質となりました。日本初のハイジャック事件で、犯行グループが「この飛行機は我々がハイジャックした」と言っても、ほとんどの人がわからなかったので、日野原先生が手を挙げて、「ハイジャックとは、飛行機を乗っ取って乗客を人質にすることです」と説明したそうです。

4日間拘束され死も覚悟したそうですが、解放後は内科医としての名声を求めるよりも、事件以後の命を与えられたと考えるようになり、事件が人生観を変えるきっかけになったと述べています。

1995年のオウム真理教による「地下鉄サリン事件」が発生した時、83歳の日野原先生は、聖路加国際病院を開放することを院長として決断し、通常業務を全面停止して、被害者640名を治療する陣頭指揮に当たりました。

日野原先生は、腐敗することなく、「生涯現役」を全うした稀有な例だと思います。

しかし、一般には医者の世界も、山崎豊子の小説「白い巨塔」のような大学医学部内部の権力闘争や、誤診をめぐる熾烈な駆け引きなどドロドロした部分の方が多いような気がします。

3.エリート官僚

霞が関の高級官僚たちは、最終的な目標である「事務次官」を目指して激烈な出世競争を繰り広げますが、「次官レース」に最後まで残った数人のうち、一人が「次官」になることが確定すると、残りの人は「後進に道を譲る」として、「勇退」します。

彼らは、外郭団体の理事長や総裁、あるいはシンクタンクの理事長などに転出するわけです。これは、やむを得ない選択肢かもしれませんが「潔い引き際」と言えると思います。

蛇足ですが、「急流勇退」という四字熟語があります。これは、「邵氏聞見録」にある言葉で、「仕事が順調で成果が現われており、将来がなお期待されている時に、果断に勇退して自己の節義を保つこと」です。

最近、事務次官の不祥事が相次いでいますが、ここでは一つだけご紹介します。

前川喜平文部科学省元事務次官は、「天下り斡旋問題」で引責辞任しました。

その前に起きた「天下り斡旋問題」の際に、「文科省と日本政府への(国民の)信頼を損ねた。万死に値する」と衆議院予算委員会で謝罪しましたが、裏ではちゃっかり定年の延長を官邸に打診しています。

これに対して、官房副長官は、「前川氏は責任を取って辞めるべきで、定年延長は難しい」と回答しました。前川氏は「せめて(定年の)3月まで続けさせてほしい」と懇願したそうですが、官房副長官は「こうした問題に関する処分は、まず事務方のトップが責任を取ることを前提に議論しなければならない」として拒否しました。

表向き、前川氏は「引責辞任は自分の考えで申し出た」と述べていますが、菅官房長官は、「私の認識とは全く異なる」「当初は責任者として自ら辞める意向を全く示さず、地位に恋々としがみついていた。その後、天下り問題に対する世論の厳しい批判にさらされ、最終的に辞任した」と述べています。

どちらが「嘘」をついているのか、明らかでしょう。その後、彼は「森友・加計学園をめぐる首相の忖度問題」や「女性の貧困問題調査」でも物議を醸しました。

役人も政治家と同様、「出処進退」を明らかにすべきです。ましていわんや「事務次官」においてをやです。

彼は「急流勇退」の正反対で、晩節を汚したことになります。

ちなみに、彼の「座右の銘」は「面従腹背」だそうです。これは、「うわべだけは上の者に従うふりをしているが、内心では従わず反抗していること」です。同名の本も出しています。


面従腹背 [ 前川喜平 ]