徒然草の「あやしうこそ物狂ほしけれ」とは怖いほど世の中の事が見えて来ること

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吉田兼好

「徒然草」と言えば、誰でも知っている鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した官吏・歌人・随筆家で遁世者の吉田兼好(1283年?~1352年?)の随筆ですね。

ところで、私は以前からこの「序段」の意味が気になっていました。

「つれづれなるままに、日暮らし、硯(すずり)に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ物狂ほしけれ

1.「あやしうこそ物狂ほしけれ」の意味

(1)学校で習った解釈

高校時代に習った時は、「気違いじみていることよ」とか、「何となく気が変になりそうだ」とか「妙におかしな気分になる」といった解釈で教えられたように思います。しかし、この解釈は今一つ腹にすとんと入らないままでした。

(2)ブログを書いていて気付いた私の解釈

ところが、今までの私の経験や知識をもとに、時事的な問題から人生・仕事・自然などさまざまなことについて、2018年7月からこのブログを書き始めて気付いたことがあります。

それは、今まで整理されずに漠然と頭の中にあったことが、書くことによって整理され、他のこととも関連付けられて、新たな発想も生まれ、混沌としていたものがクリアーになることがあるということです。

そして、世の中のこと、物事の本質的なことが、今までよりもはっきりとわかるようになった気がします。

そういうわけで、私の勝手な解釈ですが、「怖いほど世の中のことがよく見えるようになり、わかるようになって来たことよ」、もっと冗談っぽく言えば「世の中の出来事の真相・深層・裏の裏まで見えすぎちゃって困るのう」という意味ではないかと、今は思っています。あるいは、「書き進めて行くと興に乗って『何かに憑りつかれたような・神が乗り移ったような・ゾーンに入ったような』不思議な高揚した気分になって来た」ということではないでしょうか?

徒然草で吉田兼好は、一方では「遁世」を勧めると同時に、他方では俗人の処世の道を講釈しています。一見矛盾しているようですが、これは「遁世」が理想だけれどもそれが無理な「俗人」には、この世で生きて行く上で役に立つ処世訓・人生訓を提供しようと考えたのでしょう。

余談ですが、平安時代から鎌倉時代にかけて成立したほかの日記文学や随筆などでも、徒然草の「序段」によく似た「序文」があります。

「つれづれなりし折に、よしなしごとにおぼえしこと、世の中にあらまほしきこと

夕暮れはさながら夢になしはてて闇てふことのなからましかば」(和泉式部集)

「つれづれのままによしなし物語、昔今のこと、語り聞かせ給ひしをり」(讃岐典侍日記)

「つれづれにはべるままに、よしなしことども、かきつくるなり」(堤中納言物語)

しかしこれらは、一般的な「謙譲・謙遜」を表した文章です。

その意味でも、「徒然草」の「あやしうこそ物狂ほしけれ」という文句の、直截的な心情の吐露・独自性が際立っています。
    

2.徒然草について

「徒然草」は、清少納言の「枕草子」、鴨長明の「方丈記」と並ぶ「日本三大随筆」のひとつです。

徒然草の成立年代については「兼好法師が40代のころから長年書き溜めていた文章を、1349年頃(66歳頃)にまとめた」という説が現在では有力です。

彼自身の経験から得た考え方や思索・雑感・逸話などを集めた244段から成る随筆です。

現代の「雑記ブログ」のようなものでしょう。

執筆後約100年間は注目されませんでした。しかし室町時代に臨済宗の歌僧・正徹(しょうてつ)(1381年~1459年)が注目し、自ら書写した「写本」に、この作品を兼好法師のものとし、兼好の略歴も記しました。

これが正徹の弟子の歌人や連歌師に波及し、応仁の乱の時代に生きた彼らに「無常観が底流にながれる優れた随筆」として共感を呼び起こしたようです。


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