文化大革命とは何か?毛沢東の政権奪還権力闘争で犠牲者は1千万人以上にも!

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文化大革命

「文化大革命」や「紅衛兵」「毛沢東語録」という言葉は、最近では全く聞かれなくなりましたが、当時は連日のように報道されていました。

文化大革命が終結してから40年あまり経ちますが、今回はこれについて考えてみたいと思います。

1.「文化大革命」とは

文化大革命とは、毛沢東(1893年~1976年)主導による「革命運動」で、1966年から1976年まで続き、1977年に「終結宣言」が出されました。

名目は「封建的文化・資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」という政治・社会・思想・文化の改革運動です。

毛沢東が1958年からの「大躍進政策」という農業と工業の大規模な増産計画が大失敗に終わり、経済は大混乱に陥り、食糧難から2,000万人とも言われる大量の餓死者まで出してしまいます。そこで毛沢東は1959年に責任を取って劉少奇(1898年~1969年)に国家主席の座を譲ります。

劉少奇は、総書記の鄧小平(1904年~1997年)とともに市場主義を取り入れた経済政策によって、大躍進政策で疲弊した経済を回復しようとします。

「復権」と「政権の奪還」を狙う毛沢東は、「紅衛兵」と呼ばれた学生運動を扇動して政敵を攻撃させ、失脚に追い込むための中国共産党内部の権力闘争を始めます。これが「文化大革命」の実態です。

そして自己を神格化させたような「毛沢東語録」を著し、農本主義的な「毛沢東思想」を宣伝しました。

フランスで毛沢東の人気が高かったのは、自国の「フランス革命」への憧れや幻想を「文化大革命」に抱いたからかもしれません。

2.「文化大革命」の功罪

毛沢東は1966年5月16日に「516通知」を出して「文化大革命」の口火を切りました。

これは「ブルジョア階級の代表」と「反革命修正主義者」の浸透を許しているとして、中国共産党や、軍、政府を糾弾したものです。

その結果、未曽有の規模の社会的混乱が続き、170万人が殺害され、1,600万人が農村部へ「下放」(知識人や毛沢東に敵対する幹部に懲罰や迫害を加えたり、肉体労働を強いたりして思想改造を図る手段)されたり、心に傷を負ったりしました。

劉少奇は毛沢東から「走資派」(資本主義の道を進む者)として徹底的に攻撃されます。1968年10月にはスパイ行為をでっち上げられて「党内に潜んでいた敵の回し者、裏切者、労働貴族」として、「永久に中国共産党から除名し、党内外の一切の職務を解任する処分」を下されて失脚し、1969年に自宅軟禁のまま失意の最期を遂げます。

林彪(1907年~1971年)は毛沢東の軍師で、文化大革命において多くの軍幹部を失脚に追い込み、毛沢東の後継者に指名されていましたが「毛沢東暗殺計画」が露見し、ソ連へ亡命する途中、モンゴル上空で乗っていた飛行機が墜落して謎の死を遂げています。モンゴル政府は「領空侵犯と墜落」を確認し、中国に抗議しています。墜落の原因は不明ですが、「燃料切れ説」「機内での発砲説」「ソ連による地対空ミサイルでの撃墜説」などがあります。

毛沢東は「文化大革命」中の「批林批孔運動」の中で、秦の始皇帝の「焚書坑儒」を賞賛する漢詩を詠じています。「批林批孔運動」とは、反逆者となった林彪と、孔子に代表される儒家思想の「反動的・反革命的性格」を批判し、同時に「焚書坑儒」を断行した秦の始皇帝を高く評価したものです。

「反革命分子」「地主」「資本家」「右派分子」といったグループにまとめられ、攻撃されて死に至らされた人数は、はっきりしたことはわかりませんが「百万」「千万」の単位に上るとも言われています。

また、紅衛兵は多くの文化的遺物を破壊しました。

紅衛兵は、1966年から1968年にかけて実権派打倒に猛威を振るい、文化大革命期間中に出た死亡者、行方不明者(数百万人とも数千万人ともいわれる)の一部の虐殺に加担したとも言われています。

また、当時は中華人民共和国の成立に貢献した政治家や知識人も弾圧を受けました。その1人である彭徳懐も逮捕されて拷問を受け、それが原因で死亡しています。

このようにして毛沢東は洗脳した紅衛兵をうまく利用して自分の敵対者や邪魔者の粛清に成功しました。

しかしやがて紅衛兵は毛沢東にもコントロール不能なほどになり、彼にとって権力闘争に利用する価値を失った紅衛兵は「農村への下放」と「中国人民解放軍による弾圧」によって最終的に消滅する運命を辿りました。

このように、「文化大革命」の実態は、「毛沢東の利己的な政権奪還のための権力闘争」ですので、多くの中国国民を巻き込み多大の犠牲を強いた「罪」は途方もなく大きいですが、「功」と呼べるものはありません。

3.習近平が毛沢東を真似ようとする動き

習近平は、かねてから「腐敗撲滅運動」という名目で、政敵を次々と逮捕して失脚させ、独裁者としての道を歩んできました。

最近、習近平が「文化大革命」当時行われた「下放」の再開を検討し始めたという話があります。今後3年間(2022年まで)で1,000万人の中高生、および大学生を農村に送り込む計画だそうです。

また、2018年3月に全人代は、「習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想を憲法に記載する」憲法改正を承認しました。現役指導者の「思想」が憲法に入るのは、毛沢東以来です。

さらに全人代では「国家主席の任期制限を撤廃する憲法改正」も承認しました。これは、習近平の「終身主席」を可能にするものです。彼が「現代の始皇帝」と呼ばれるゆえんです。

2019年10月から、中国政府が主要メディア(通信社、新聞、テレビ)の記者や編集者を対象に「テスト」を実施し、80点以上の成績でないと「許可証」を与えないようにするとの話も聞きました。不合格者は報道関係の仕事を続けられなくなります。

何のテストかと言うと、「習近平思想やマルクス主義の理解度を測るもの」です。たとえば「一帯一路構想は各国の利益になるか?」という質問に「yes」か「no」で答えさせるものです。これは思想統制のようで、習近平率いる中国政府の考え方に反対する意見を持つ記者を排除するという意図が見え見えです。

かねてから中国の人権抑圧、検閲、言論統制、インターネット発信・閲覧制限、テレビの放送規制などが問題になっていますが、マスコミにこのような措置を取るのであれば、中国に関しては自由で正しい報道は期待できないことになります。

ただ、本音を言えば、私は中国が発信するニュースをもともと信用していませんが・・・

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