「山本五十六」の名言と人間像

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山本五十六

山本五十六と言えば、日本海軍の伝説的軍人で、ご存知の方も多いと思います。今回は彼の「名言」と「人間像」について考えて見たいと思います。

1.「山本五十六」の名言

彼の名言は次のようなものです。

「やってみせ 言って聞かせて させてみて 誉めてやらねば 人は動かじ」

「話し合い 耳を傾け 承認し 任せてやらねば 人は育たず」

「やっている 姿を感謝で見守って 信頼せねば 人は実らず」

最初の1節が最も有名ですが、これは「新人教育」の心得のようなものです。次は「中堅層の育成」の心得のようなものです。最後は「幹部養成」の言葉のようです。

私は、特に最後の「幹部養成」の言葉を上に立つ人は拳拳服膺すべきではないかと思います。ややもすると、トップは周りを「イエスマン」で固めて、驕り高ぶりがちです。「感謝」の心など頭になく、全て自分の思い通りになると錯覚しがちです。しかし、幹部はそのようなトップを冷めた目で見ているはずです。「面従腹背」の幹部もたくさんいると思います。心底幹部を心服させるトップは少ないものです。

基本的に「相手のことを思いやる気持ち」のない人物を、私は尊敬できません。たとえ上司であっても、私はそのような人物を認めることは出来ません。

2.「山本五十六」の人間像

山本五十六(1884年~1943年)は、第26・27代「連合艦隊司令長官」で、前線視察の際にブーゲンビル島上空で撃墜され亡くなりました。

「五十六」の名前の由来は、生まれた時の父親の年齢で、母親も45歳と高齢出産でした。「恥かきっ子」などと呼ばれますが彼は六男で、そのころは子供をたくさん産んだのでそれほど珍しいことではありませんでした。

子供のころから負けず嫌いだったそうです。少年時代にアメリカの宣教師のもとで聖書の勉強をしています。海軍兵学校に入りますが、兵学校時代も座右に聖書を置いていたそうです。

1905年の日露戦争の日本海海戦で、左手の人差し指と中指を欠損、左大腿部に重傷を負っています。

1919年にアメリカ駐在を命じられ、ハーバード大学に学んでいます。その前年の1918年から「ナショナルジオグラフィック」という雑誌を購読しています。この雑誌は、月刊誌で地理学、人類学、自然・環境学、ポピュラーサイエンス、歴史、文化、最新事象、写真などの記事を掲載する教養雑誌です。

また、アメリカ国内を視察して、油田や自動車産業、飛行機産業とその「サプライチェーン」に強い印象を受けました。「サプライチェーン」とは「供給網」のことで、自動車で言えば原材料が生産されてから部品メーカー・自動車メーカー・販売網を経由して消費者に届くまでの全過程のつながりのことです。

当時日本では「専売」だった塩と砂糖が、工場で大量生産され、大量消費されているのを目の当たりにして、彼我の生産・流通の圧倒的な差に衝撃を受けたそうです。

このようにアメリカと日本の産業力・物量の差を身をもって知っていたから、アメリカを敵に回すことになる日独伊三国軍事同盟に反対したり、太平洋戦争の開戦にも消極姿勢だったのでしょう。

しかし、アメリカとの戦争は無謀とは知りつつも結局、連合艦隊司令長官としてアメリカを仮想的とした戦略を練ることになります。