日本語の面白い語源・由来(その5)挙句の果て、とどのつまり、土壇場など

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挙げ句の果て

前回に続きまして、日本語の面白い語源・由来をご紹介します。

1.挙句(挙げ句)の果て(あげくのはて)

この言葉をタイトルに入れた「あげくの果てのカノン」という地球外生命体の侵略を受けた近未来の東京を舞台にしたSF恋愛コミックがありましたが、この言葉の語源は何でしょうか?

「一生懸命努力した挙句の果てがこの有様だ」などと言いますね。「挙句(挙げ句)の果て」とは、「いろいろやってみた最終的な結果。とどのつまり。結局」のことです。悪い結果が出た時や、悪い結果が予想される場合に用いられます。

「挙句」とは、連歌(れんが)や連句で最初の「五・七・五」の句を「発句(ほっく)」と言うのに対して、最後の「七・七」の句のことです。終わりにする句、仕上げる句という意味です。ちなみに「発句」は独立して「俳句」となりました。

最後に来る句であることから、最終的な結果や結末を意味するようになり、単独で「○○したあげく」とも用いられ、「揚句(揚げ句)」とも書かれます。

最終的な結果であることを強調するため、「物の端」「最後」「物事の終わり」「結末」「末路」を意味する「果て」が添えられ、「挙句の果て」となったものです。

2.とどのつまり

この言葉をタイトルに入れた「とどのつまりの有頂天」という学園ものコミックがありましたが、この言葉の語源は何でしょうか?

「とどのつまり」とは、「結局。行き着くところ」のことです。多くは、思わしくない結果に終わった場合に用いられます。

「とど」とは、魚の「ボラ(鰡/鯔)」のことです。「ボラ」は成長するにつれて、「ハク」「オボコ(クチメ)」「スバシリ」「イナ」「ボラ」と名前を変える出世魚で、いろいろな呼び名に変化していきますが、最終的には「トド」となることから、「トドの詰まり」となったとする説が一般的です。

余談ですが、成長に従って名前の変わる出世魚は、ほかにも「スズキ(鱸)」があります。「スズキ」は「コッパ」「セイゴ」「フッコ」を経て「スズキ」になります。「ブリ(鰤)」は関西の方では「ツバス」「ハマチ」「メジロ」「ブリ」となりますが、東京の方では「ワカシ」「イナダ」「ワラサ」「ブリ」となります。

ただし魚の「トド」も「止(とど)め」に意味で命名されたと考えられていることから、「止め」「止まり」の「とど」に「詰まり」が付いたという説もあります。

3.土壇場(どたんば)

「土壇場」とは、「切羽詰まった場面。最後の場面」のことです。

「土壇場」は、文字通り土を盛って築いた壇の場所を意味する言葉として江戸時代以前から使われていました。

江戸時代に入ると、斬罪の刑を執行する時に罪人を土壇場に横たわらせたことから、「斬首刑の刑場」を意味するようになりました。

さらに「刑場」の意味が転じて、どうにもならない場面や最後の決断を迫られる場面、進退窮まった状態の意味で用いられるようになったものです。

ちなみに「ドタキャン」は「土壇場でキャンセル」のことです。

4.どんでん返し

「どんでん返し」とは、「話の展開や物事が正反対に変わること。形勢・立場などが逆転すること」です。

近世、歌舞伎の舞台で大道具を90度後ろに倒し、底面を立てて次の場面に転換することや、その装置を「どんでん返し」と言ったことに由来します。

歌舞伎の「どんでん返し」は、中が自在に回転する仕掛けの「強盗提灯(がんどうちょうちん)」に似ていることから、元々は「強盗返し」と呼ばれていました。

「がんどう返し」から「どんでん返し」に転じたのは、「どんでんどんでん」という鳴り物の音からか、大道具を倒す時の音からと言われています。

なお、「忍者屋敷の扉のからくり」のことも「どんでん返し」と言います。

余談ですが、古代ギリシャの演劇で、「デウス・エクス・マキナ」(deus ex machina)という演出手法があります。

これは、「劇の内容が錯綜してもつれた糸のように解決困難な局面に陥った時、絶対的な力を持つ存在(神)が現れ、混乱した状況に一石を投じて解決に導き、物語を収束させる手法」のことです。「どんでん返し」と一部似た所のある演出手法です。