落語の人情噺「子別れ」に見る庶民の親子の哀歓

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子別れ

前に「親の愛情と学校の保身体質・隠蔽体質を実感した話」という記事を書きましたが、落語の人情噺には親の細やかな愛情を巧みに語る「子別れ」というのがあります。

1.「子別れ」の中で私の好きな部分

(子供の声で)・・・家に泣いて帰ったら、おっかさんそン時ァずいぶん怒ったよ。いくら男親のいない子だって、こんな傷までつけられて黙っていたら、しまいには何をするかわかったもんじゃない、おっかさんがよく掛け合ってやるからどの子がしたんだか云えッてえから、斎藤さんの坊っちゃんにぶたれたんだって、そ云ったんだ。

そしたら、痛いだろうが我慢しろって・・・あすこの奥さんには始終仕事はいただくし、坊ちゃんの古いものを頂戴しておまえに着せたりなんかァしてんのに、子供の喧嘩ぐらいなことで気まずくなって、おまえもあたしも路頭に迷うようなことがあるといけないから、痛いだろうが我慢しろって・・・

そン時おっかさんがそ云ったよ、こんな時に、あんな飲んだくれでもいたら少しは案山子(かかし)になるって・・・

その後、父親が子供を見送る場面が出てきます。

じゃ、おっかさんが心配(しんぺえ)しているから早く帰(けえ)んな帰んな・・・(走り去る子供を目で追いながら)おいおいおい、駆け出すなてんだよ、危ねえじゃねえか・・・(のびあがるように)なにを?ああ、いいよいいよ、(うなずいて)わかったわかった・・・そこを曲がって、よしよし、分かった(遠く見送って)・・・へへへへ・・・(目をこすると)大きくなりやがったなァ

2.「子別れ」の由来とあらすじ

(1)由来

この古典落語は、「初代春風亭柳枝(しゅんぷうていりゅうし)」(1813年~1868年)の創作落語で、人情噺の大ネタです。別題は「子は鎹(かすがい)」「子宝」など多数あります。

なお、登場人物の子供の名前「亀吉」は柳枝の幼名から取ったとされています。

(2)あらすじ

上・中・下の三部構成ですが、通常は中の後半部分と下を合わせて演じることが多いようです。ちなみに上は「強飯(こわめし)の女郎買い(じょろうかい)」、中は「子別れ」、下は「子は鎹」の名で呼ばれることがあります。

①上

腕はいい大工なのに大酒飲みで遊び人の熊五郎。ご隠居の葬式の手伝いに来たのだが、大酒飲んでいい気持ちになり、吉原に繰り出そうということになる。仕事の前金をもらったので、気が大きくなり、「銭がないから」と渋る紙屑屋を無理やり連れ出し、吉原で居続けのどんちゃん騒ぎを繰り広げる。

②中

この店で昔なじみの女郎に会った熊五郎は、いい気になって4日間も居続けて、ようやく帰宅する。家ではしっかり者の女房と息子の亀吉が待っている。熊五郎は、何日も家をあけた後ろめたさで素直に詫びることができない。あれこれ言い訳をしているうちに、女郎ののろけ話を始めてしまう。夫婦喧嘩のあげく、女房は離別を申し出て、息子を連れて出て行ってしまう。馴染みの女郎を後添えにしたが、これが何もしないだらしない女。その女もやがて姿をくらましてしまう。

③下

自分の行いを深く反省した熊五郎は、酒を断って仕事に励み、今では立派な棟梁になっている。ある日、道で息子の亀吉に出会う。いろいろと話を聞いてみると、母親はどこにも再婚せずに、手間賃仕事をして質素に亀吉を育てているという。男親がいないため、時には情けない思いをするという話を聞いて、「みんな自分の飲んだくれから出たこと」と、思わず涙する熊五郎。亀吉に小遣いを渡し、翌日に鰻をご馳走する約束をして別れるが、「おとっつぁんに会ったことは内緒だ」と言い添える。

しかし、家に帰った亀吉は、母親に小遣いを見つけられ、問い詰められる。人様のものに手をかけたと考えた母親は、「どうしても言わないなら、おとっつぁんの玄翁(げんのう:大型の金づち)で叩くよ」と玄翁を振り上げる。亀吉は、父親に貰ったこと、鰻を明日ご馳走になることを白状してしまう。

翌日、母親は、亀吉にこざっぱりとした着物を着せて送り出すが、気になってしかたない。うなぎ屋の前で行ったり来たりしていると、亀吉が座敷に招き入れた。久しぶりに再会した元夫婦。固くなっている二人だが、子供の手引きで、めでたく親子三人出直そうということになる。母親が「夫婦がこうして元のようになれるのも、この子があればこそ。本当に子供は夫婦の鎹ですね」と言うと、亀吉が「おいらは鎹かい?道理で昨日、玄翁で頭をぶつと言った」

興味を持たれた方は、ぜひ寄席に行かれるか、CDを買って聞いてみてください。