「遊び」と「遊び心」の大切さについて考える

フォローする



新ホイジンガ

人間は、「働く」ばかりが能ではありません。一度限りの人生なのですから、「遊び」も満喫したいものです。働き過ぎて「過労死」するのは悲劇であり、一番ばかばかしいことです。

また、自動車の運転でも、「ハンドルの遊び」が必要なように、「人生の潤滑油」「めりはりや休息の一つ」としても、遊びは必要です。それがないとギスギスします。

もう一つよく似た言葉に「遊び心」というものがあります。「心の余裕」がないと、「ユーモア」や「ウィット」も生まれません。

1.「遊びをせんとや生まれけん」

平安時代末期の1180年ごろ、「後白河法皇」(1127年~1192年)によって編まれた今様歌謡集の「梁塵秘抄」には、次のような「今様」(当時の流行歌)が載っています。この今様は「白拍子」によって舞い歌われ、後白河法皇も大変お気に入りだったそうです。

「遊びをせんとや生まれけん 戯(たはぶ)れせんとや生まれけん 遊ぶ子供の声きけば わが身さえこそ動(ゆる)がるれ」

「仏は常にいませども 現(うつつ)ならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見へたまふ」

「舞へ舞へ蝸牛(かたつぶり) 舞はぬものならば 馬の子や牛の子に 蹴(く)ゑさせてん 踏み破(わ)らせてん 真(まこと)に美しく舞うたらば 華の園まで遊ばせん」

蛇足ですが「梁塵秘抄」の「梁塵」とは、「中国の漢時代に魯の虞公が大変な美声で、歌うと梁の塵まで動いた」という故事(「梁塵を動かす」)が由来です、

2.「ホモ・ルーデンス」

オランダの歴史学者のヨハン・ホイジンガ(1872年~1945年)は、「ホモ・ルーデンス」という本の中で、「人間とは、ホモ・ルーデンス=遊ぶ人」という考え方を提唱し、「遊びは文化に先行しており、人類が育んだあらゆる文化は全て遊びの中から生まれた、つまり遊びこそが人間活動の本質である」と述べています。

ドイツの哲学者で「実存主義」の代表的な思想家でもあるニーチェ(1844年~1900年)は、子供のころ新しい遊びを考え出す天才でもあったそうです。そういう発想の豊かさから、「悲劇の誕生」「反時代的考察」「人間的な、あまりにも人間的な」「ツァラトゥストラはかく語りき」のような彼のユニークな著作が生まれたのでしょう。

3.ロジェ・カイヨワの「遊びと人間」

カイヨワ

フランスの文芸批評家・社会学者・哲学者のロジェ・カイヨワ(1913年~1978年)は、ヨハン・ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」に影響されて、「遊びと人間」という本を書きました。

彼はその中で、遊びを「アゴーン」(競走:文字通り徒競走など)、「アレア」(偶然:ルーレットなど)、「ミミクリー」(模倣:演劇やRPGなど)、「イリンクス」(眩暈:絶叫マシーンなど)の4種類に分類し、これを基点に文化の発達を考察しています。

なぜ人間は遊ぶのか?彼は「人は夢・詩・神話とともに、遊びによって超現実の世界を創る」として、遊びの独自の価値を理性の光に照らすことでより豊かになると考え、非合理も最も合理的に語ってみせています。

彼はまず「遊びの基本的な定義」を次のように述べています。

①自由な活動:強制されないこと。強制されれば、遊びはたちまち魅力的な愉快な楽しみという性質を失ってしまう

②隔離された活動:あらかじめ決められた明確な空間と時間の範囲内に制限されていること

③未確定な活動:ゲーム展開が決定されていたり、先に結果がわかっていたりしてはならない。創意の工夫があるのだから、ある種の自由が必ず遊戯者の側に残されていなくてはならない

④非生産的活動:財産も富も、いかなる種類の新要素も作り出さないこと。遊戯者間での所有権の移動を除いて、勝負開始時と同じ状態に帰着する

⑤規則のある活動:約束事に従う活動。この約束事は通常法規を停止し、一時的に新しい法を確立する。そしてこの法だけが通用する

⑥虚構の活動:日常生活と対比した場合、二次的な現実、または明白に非現実であるという特殊な意識を伴っていること

彼は遊びの本質を次の二つの言葉で表しています。

①パイディア:即興と歓喜の間にある、規則から自由になろうとする原初的な力

②ルドゥス:恣意的だが強制的でことさら窮屈な規約に従わせる力

彼はパイディアとルドゥスという二つの力を極として位置づけられた活動」が遊びであるとしたのです。つまり、「遊びとは自由奔放でありながら何か見えない規則に縛られている、一見矛盾した行動である」と考えました。

4.「余裕派」

夏目漱石

夏目漱石(1867年~1916年)は、「余裕派」と呼ばれています。現実に対して一定の距離を置く心の余裕を唱えたもので、「世俗の雑事を避け、余裕のある気持ちで人生を眺め、東洋的な詩歌の境地に遊ぼうとする態度」で漱石自身の言葉では「彽徊趣味」です。

これとは違いますが、私は悩み事がある時、それを解決する方法として、自分自身を天上の方から眺めるような気持ちで、「今思い悩んでいることなど蟻の悩みのように小さいことで、人類の歴史からすればほんの一瞬の出来事に過ぎない」と思い直すようにしていました。