「ペン胼胝(だこ)」にまつわる面白い話

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尾崎放哉

皆さんは、「ペン胼胝」という言葉をお聞きになったことがありますか?年配の方なら、作家など文筆業の人によく出来るものだというのはお分かりだと思いますが、若い人にはピンと来ないかも知れませんね。

1.「ペン胼胝」にまつわる話

私は、現役サラリーマンの頃、毎日文書を起案する仕事を長く続けていたため、右手の中指の左側の鉛筆が当たる部分によく「ペン胼胝」が出来ました。

(1)東野圭吾の推理小説「悪意」

なぜ今頃になって、「ペン胼胝」のことを思い出したかと言いますと、ある推理小説を読んでいてこの言葉に出会ったのです。

いくら文筆を業とする人でも、今どきワープロかパソコンを使う人がほとんどなのに、ゴーストライターの犯人に「ペン胼胝」が出来ているのを取り調べ中の刑事が見つけて、トリックを見破ったのです。

そのトリックとは、「数十年前に鉛筆で沢山の小説の原案を書き溜めていた」ように見せかけるために、「最近になって古い大学ノートに、ある作家の小説に似せた文章を鉛筆を使って短期間に集中的に書いていた」のです。

その推理小説とは、東野圭吾の「悪意」です。興味のある方はぜひお読みください。

(2)尾崎放哉の自由律俳句

「ペンだこ」を詠み込んだ珍しい俳句があります。俳人の尾崎放哉(ほうさい)(1885年~1926年)の『雑巾しぼるペンだこが白たたけた手だ』という自由律俳句です。

この尾崎放哉という人は、東京帝国大学を卒業して東洋生命保険(現在の朝日生命保険)に入社し、大阪支店次長を務めるなどのエリートでありながら、突然それまでの生活を捨てます。そして無所有を信条とする「一燈園」に住まい、俳句三昧の生活に入りました。その後、寺男で糊口を凌ぎながら、最後は小豆島の庵寺で極貧の中、俳句を作る人生を送った異色の人で、「今一休」とも呼ばれました。『咳をしても一人』は彼の代表的な俳句の一つです。

なかなか断酒できないことが原因か肋膜炎に罹ったことが契機になったのか、我々には窺い知れませんが、大きな心境の変化、宗教的転機があったのでしょう。

2.漢字が書けなくなったこと

「ペン胼胝」が出来なくなったのに比例して、漢字が正しく書けなくなりました。私が現役サラリーマンの頃、取引先の社長が申込書類などに記入する時に、漢字が書けなくなることがありましたが、その時は「年を取るとこんな簡単な漢字も忘れて書けなくなるのか?」と訝(いぶか)しく思いましたが、今の私はまさにその状態です。

ついついパソコンを使って文章を書くことが多いため、自ら手書きすることはほとんど無くなったため、読むことは出来ても書けなくなるのです。

私が高校生になった時、父に買ってもらった漢和辞典で、「薔薇」や「林檎」や「憂鬱」などの難しい漢字を虫眼鏡で拡大しながら、部首を分解して反故紙(ほごがみ)に大きな字で書いて覚えたことが懐かしく思い出されます。