堤中納言物語の「蟲愛づる姫君」は自然科学を愛する理系少女だった

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虫愛づる姫君

「堤中納言物語」や「蟲愛づる姫君」というのは、名前は聞いたことがあるが詳しいことはあまり知らないという人が多いのではないかと思います。

1.「堤中納言物語」とは

「堤中納言物語」というのは、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけて成立した短編物語集で、10編の短編物語と1編の断片から成っています。「堤中納言」という名前があるので、この人が編纂したのかと勘違いしがちですが、編者は不詳です。成立時期も13世紀以降のものもあり、筆者も異なるようです。

紫式部・家系図

ちなみに「堤中納言」とは、平安時代前期の歌人で三十六歌仙の一人である藤原兼輔(877年~933年)の通称です。

藤原兼輔は上の家系図の通り、紫式部の父方の曽祖父です。

紀貫之や凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)らが集まる文学サロンでもあった彼の邸宅が賀茂川の堤の近くにあったため、このように呼ばれましたが、この物語とは無関係です。

ではなぜ「堤中納言物語」と呼ばれるようになったかについては諸説ありますが、「複数の物語をばらけないように包んでおいたので『つつみの物語』と称されたこと」と、「最初の物語の名前が『逢坂越えぬ権中納言』であること」から、いつしかこのように呼ばれるようになったようです。

2.「蟲愛づる姫君」とは

「蟲愛づる姫君」というと、「気味の悪い毛虫や芋虫を可愛がる変わったお姫様がいた話」とだけ思っている人が大半だと思います。

私はカブトムシクワガタムシが好きなので、その「完全変態」する最初の段階の幼虫はそれほど気味悪く感じませんが、柑橘類にいるアゲハチョウの幼虫は確かに不気味で気持ちの悪いものです。

そのためか、この物語を「変わった猟奇趣味のある少女」という捉え方をする人もいるようです。

しかし、私は「蟲愛づる姫君」が非常に科学的な観察眼を持った少女で、毛虫・芋虫の幼虫からさなぎ、そして成虫の美しい蝶へと完全変態する様子を、偏見や恐怖心を持たずに自然界の不思議を驚異の目を持って眺めていたのではないかと感心します。

いわば自然科学を愛する理系少女(リケジョの走り?)だったのでしょう。

蛇足ながら、宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」のヒロイン「ナウシカ」は、この蟲愛づる姫君から着想を得たそうです。

3.「蟲愛づる姫君」の名言

「人々の、花や蝶やと賞づるこそ、はかなうあやしけれ。人は實あり。本地尋ねたるこそ、心ばへをかしけれ」 とて、萬の蟲の恐しげなるを取りあつめて、「これが成らむさまを見む。」とて、さまざまなる籠・箱どもに入れさせ給ふ。中にも、 「鳥毛蟲の心深き樣したるこそ心憎けれ」 とて、明暮は耳挾みをして、掌にそへ伏せてまぼり給ふ。

現代語訳すると次のようになります。

「人々が、花や蝶やともてはやすのは、浅ましくつまらないことです。人間たるものは誠実な心があって、物の本体・本質を追求する心がけを持ってこそすばらしいのです」そう言っていろいろな恐ろし気な虫を集めては「これが成長して変化する様子を見ましょう」と様々な虫籠に入れられた。中でも「毛虫が思慮深い様子をしているのは奥ゆかしいことです」と言って、一日中前髪を耳にはさんでは、毛虫を手のひらに乗せて見守られた。

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