妹が美しすぎて人生を棒に振り、天皇になれなかった残念な木梨軽皇子とは?

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衣通姫

皆さんは「衣通姫(そとおりひめ)伝説」というのをお聞きになったことがあるでしょうか?

「衣通姫」は「日本三大美人」の一人と言われる伝説の美女ですが、その悲恋物語の相手が木梨軽皇子です。

そこで今回は木梨軽皇子についてわかりやすくご紹介したいと思います。

1.木梨軽皇子とは

木梨軽皇子(きなしのかるのおうじ)(生没年不詳)は、「古事記」「日本書紀」に見える第19代允恭(いんぎょう)天皇の第一皇子です。母は忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)で、同母妹に軽大娘皇女がいました。

2.軽大娘皇女とは

彼の妹の軽大娘皇女(かるのおおいらつめのひめみこ)(生没年不詳)は、とても美しく「衣通姫」と呼ばれていました。その美しさが着ている衣を通しても現れるほどで、並大抵の美しさではありませんでした。

3.兄妹の相愛関係

皇太子である木梨軽皇子は、妹の美しさに心を奪われ、二人はいつしか結ばれてしまいました。しかし、その関係は許されるものではありません。

そんな時、天皇の御膳に異変があり、卜者が占ったところ、「天皇の身内に禁忌を破っている者がいる」とのお告げがあり、二人の関係が発覚しました。

4.彼は刑を免れ妹のみ流刑となる

しかし彼は皇太子であったために刑を免れ、妹の軽大娘皇女だけが伊予国に流されました。そのため、彼は天皇になる望みが残ることになりました。

5.允恭天皇没後の皇位継承争い

允恭天皇が崩御すると、案の定皇位継承争いが起こります。

本来は彼が天皇になるべきところでしたが、その淫乱な風評から、ほとんどの臣下が弟の穴穂皇子(あなほのみこ)(後の第20代安康天皇)に味方したため、彼は自刃に追い込まれたとされています。

彼は妹が美しすぎて人生を棒に振り、天皇になれなかった残念な皇太子でした。

6.「衣通姫伝説」とは

「ヤマトタケル伝説」を「古事記」の中の一大英雄譚とするなら、「衣通姫伝説」は「古事記」や「日本書紀」における一大恋愛叙事詩です。

当時は「母兄妹」であれば婚姻も認められていましたが、「母兄妹」が情を交わすことは禁忌でした。

木梨軽皇子は同母妹である軽大娘皇女に恋慕し、禁忌を犯してその思いを遂げてしまいました。

小竹葉(ささのは)に 打つや霰(あられ)の たしだしに率寝(ゐね)てむ後は 人は離(か)ゆとも 愛(うるは)しとさ寝しさ寝てば 刈薦(かりこも)の乱れば乱れ さ寝しさ寝てば

これはその時に詠んだ彼の歌です。「笹の葉にあられが打つように、人が何を言おうと私は気にしない。こうして寝てしまったからには、薦を刈った後のように何が乱れてしまっても構わない」という意味です。

三島由紀夫の短編小説「軽王子と衣通姫(かるのみことそとおりひめ)」は、父帝の寵妃である叔母と、その甥である王子の禁断の愛と死を描いた悲恋の物語ですが、これは「古事記」や「日本書紀」で語られる「衣通姫伝説」をヒントにした作品です。

禁忌を犯した若い男女の愛の苦悩が描かれ、その愛に殉じて天上界に戻るという貴種流離譚となっています。



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