現在、世界中が「新型コロナウイルス肺炎(COVID-19)」の世界的感染拡大(パンデミック)で大変な脅威にさらされていますが、日本では昔から「疫病」が大流行した時期が何度もありました。
そんな時、疫病退散を願って人々は神仏に祈ったり、祭りをしたりしました。「祇園祭」もその一つです。
ところで、最近「アマビエ」という妖怪が話題になっています。今回はこの「アマビエ」についてご紹介したいと思います。「甘エビ」ではありませんので、お間違いなく・・・
1.「アマビエ」
(1)「アマビエ」とは
「アマビエ」とは、江戸時代後期に肥後国(熊本県)に現れたという長髪にくちばし、胴はうろこに覆われた半人半魚の妖怪です。この話は、挿絵付きで瓦版(下記の文)に取り上げられ、遠く江戸にまで伝えられました。この挿絵を見ると、現代の「ゆるキャラ」のようでもあります。
肥後国海中え毎夜光物出る。所の役人行見るに、づの如く者現す。私は海中に住、アマビヱと申す者也。當年より六ヶ 年の間諸国豊作也。併し、病流行、早々私写し人々に見せくれと申て、海中へ入けり。右写し役人より江戸え申来る写也。 弘化三年四月中旬
意味は、「弘化3年(1846年)4月中旬のこと、毎夜海中に光る物が出没していたため、役人が赴いたところ、挿絵のような者が姿を現した。その者は役人に対して「私は海中に住むアマビエと申す者なり」と名乗り、「当年より6カ年の間は諸国で豊作が続くが疫病も流行する。私の姿を描き写した絵を人々に早々に見せよ」と予言めいたことを告げ、海の中へと帰って行った」ということです。
妖怪研究家の湯本豪一氏によると、アマビエは人魚や河童のような「幻獣」の一種で、「予言獣」で豊作・凶作と疫病を予言するとのことです。
江戸の人々は、疫病が流行するたびに、この絵を門口に貼ったそうです。ウイルスはおろか感染症のメカニズムも知らない当時の人々には、疫病は人知を超えた恐ろしいもので、「私の絵を貼れば鎮まる」というアマビエのお告げは、さぞかし心強いものだったのでしょう。
(2)「アマビエ」にちなんだ商品やSNS投稿
①関連商品
コロナ禍と足並みを揃えるように、最近「アマビエ」という名の妖怪商品が続々と登場し始めています。
東亜金属(株)は疫病封じの願いを込めた「妖怪アマビエ」をモチーフにした3種の商品を発売しました。小さなステンレスボトル・胸ポケットからアマビエが見えるクリップボールペン・アマビエスプーンセットです。
京都の伝統工芸品「京うちわ」を生産する「塩見団扇」では、「アマビエ」の絵柄のうちわづくりを進めています。
ほかにも「妖怪アマビエフィギュア」や「アマビエ缶バッジ」、「アマビエ疫病厄除けお守り」「アマビエの絵入り和菓子」「アマビエの絵入りTシャツ」などが販売されています。
②SNS投稿
SNSでは、「アマビエ」のイラストなどを投稿する「#アマビエチャレンジ」(アマビエ祭り)が広がっています。
これは多くのTwitter利用者が、ハッシュタグ「アマビエ」「アマビエチャレンジ」「アマビエ祭り」などを付けて、アマビエを自己流にアレンジした作品(イラスト・漫画・動画・ぬいぐるみ・刺繍・フィギュア・スタンプ・こいのぼり・その他小物など)を次々に投稿する動きのことです。
(3)水木しげるの漫画の「アマビエ」
水木しげる原作のテレビアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」で、最初準レギュラーとして登場し、後には同じく水にかかわる妖怪である「カワウソ」とコンビを組む形で登場しています。
近いうちに起こる出来事を予知する能力があり、いつも唐突に閃いて予言するが、大抵は対処する間もないほどすぐに起こる出来事の予言か、どうでもよい出来事の予言で、ほとんどは役に立ちません。
海の中で一人ぼっちで暮らしていたという設定で、幼く純粋かつわがまま・気ままなアイドル的・小悪魔的性格ながら、鬼太郎たちと暮らすうちに他者を思いやる心が育まれるという話でした。
2.「疫病退散を祈る祭」や「悪霊や神の怒りを鎮める行事」
疫病封じなどに起源を持つ各地の祭りも、今年は「三密」回避のために中止されたり、規模縮小をするものが多くなっています。
京都では5月の葵祭の行列は中止となり、7月の祇園祭の山鉾巡行も中止となりました。祇園祭については明治時代にコレラが流行した時、秋に延期されたことがあるそうです。
(1)祇園祭
祇園祭は京都市東山区の八坂神社(祇園社)の祭礼です。明治以前は「祇園御霊会(ごりょうえ)」と呼ばれていましたが、明治維新の神仏分離令により、現在の名前となりました。
疫病の流行が続いたため、朝廷は863年に、神泉苑で初の御霊会を行いました。御霊会は疫神や死者の怨霊などを鎮め宥めるために行う祭で、当時は疫病も恨みを現世に残したまま亡くなった人々の怨霊の祟りであると考えられていました。
その後も864年に富士山の大噴火が起きたり、869年には陸奥の貞観地震が起こり津波によって多数の犠牲者が出たりして、社会不安が深刻化しました。
そこで869年に、全国の国の数を表す66本の矛(ほこ)を立て、その矛に諸国の悪霊を移し宿らせることで諸国の穢れを祓い、神輿3基を送り、薬師如来を本地とする牛頭天王(ごずてんのう)を祀り、御霊会を執り行いました。これが祇園祭の起源とされています。
(2)玄武やすらい祭
京都市北区の玄武神社で毎年4月の第二日曜に「疫病退散を祈る祭」として行われています。起源は平安時代で、千年以上の歴史があるそうです。今年は規模を縮小して行われました。
(3)海南神社の八雲祭
神奈川県三浦市の海南神社で毎年7月に「疫病退散を祈る祭」として行われています。起源は江戸時代だそうです。今年は規模を縮小して行われる予定です。
(4)小平神明宮の八雲祭
東京都小平市の小平神明宮で毎年4月下旬に「疫病退散を祈る祭」として行われています。起源は江戸時代の1661年です。今年はコロナの感染拡大を勘案して中止となりました。