「影を慕いて」と「お座敷小唄」歌詞の文法上の誤り。終戦の詔勅にも誤りが!?

フォローする



古賀政男

前に「小椋佳のシクラメンのかりは歴史的仮名遣いとして誤りである」との記事を書きました。また、「大宅壮一が教育勅語に文法上の誤りがあると指摘した」との記事も書きました。

私が以前から疑問に思っているものが他にもありますのでご紹介します。

1.影を慕いて

藤山一郎影を慕いて

「まぼろしの影を慕いて雨に日に 月にやるせぬわが想い つつめば燃ゆる胸の火に・・・」

この「やるせぬ」が問題です。「遣る瀬無い」の文語的表現だと思っている人も多いかもしれません。そうであれば「やるせなき」とするのが正しいのです。

「果たせぬ夢」という表現や、「尽きせぬ想い」などとの混同による誤用と思われます。「果たせぬ」は「果たす」という動詞の否定形で、「やるせないやるせなし)」は一語の形容詞だからです。「果たせぬ」の場合は、動詞を打ち消す助動詞の「ぬ」を使えるのです。

なお、「尽きす」という表現は古語にもあり、この場合は「す」という動詞の「サ行変格活用」で「せぬ」となり、正しい表現となります。

方丈記にも「高きいやしき人の住まひは世々を経てつきせぬものなれど・・・」とあります。

この「影を慕いて」は、古賀メロディーで有名な古賀政男(1904年~1978年)が作詞・作曲した流行歌で、バリトン歌手の藤山一郎(1911年~1993年)が1932年(昭和7年)に歌って歴史的大ヒットを記録しました。「昭和流行歌の傑作」との呼び声も高い名曲です。後に美空ひばりや森進一によっても歌われています。

この1932年は昭和維新を標榜した青年将校による「二・二六事件」が起き、政府要人が暗殺されるなど暗い世相の時代でした。古賀政男自身も、人生の苦悩・絶望の淵にあり、この曲には魂の叫びが込められているそうです。彼は1928年、悲恋などが原因で宮城県の青根温泉で自殺を図りましたが、その時蔵王にかかった夕焼けを見てこの詩が浮かんだそうです。

2.お座敷小唄

お座敷小唄

「富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町に降る雪も 雪に変わりはないじゃなし 溶けて流れりゃみな同じ・・・」

この「ないじゃなし」が問題です。「変わりはないじゃなし」を素直に読めば、否定の否定なので「変わりがある」ということになります。しかし、この歌の流れ(溶けて流れりゃみな同じ)から見ると、「変わりはない」と言いたいことがわかります。「あるじゃなし」とするのが正しい表現です。

多くの人が「何かおかしい」と薄々感じながらも、そのまま歌っているようです。

なお、「これは女性が反問する時に使う『・・・ないじゃない?』という表現を文語調に置き換えた時の誤用だろう」と解釈する人もいるようですが、ちょっと無理があります。

「お座敷小唄」は、東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年に「和田弘とマヒナスターズ」と松尾和子(1935年~1992年)が歌って大ヒットした歌謡曲です。当初作詞者・作曲者不明とされていましたが、後にこの歌の原型が山梨県の詩人小俣八郎の「吉田芸者小唄」とわかり、作曲者は陸奥明とされています。

3.終戦の詔勅(詔書)

終戦の詔勅

「・・・時運ノ趨(おもむ)ク所堪(タ)ヘ難キ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ・・・」

この「堪(タ)ヘ難キヲ」が問題です。「風雪耐える」「批判耐える」とか「見る堪えない」のように、「たえる」の前には「○○」と付くのが通常の使い方です。「○○に鑑みる」も同様です。ですから「堪(タ)ヘ難キ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」とするのが正しいのです。
「堪(タ)ヘ難キヲ堪ヘ」の後に「忍ヒ難キヲ忍ヒ」が対句のように続くので、「堪(タ)ヘ難キ」の助詞も「ヲ」に合わせたのかもしれません。

「終戦の詔勅(詔書)」は1945年(昭和20年)8月15日正午に、「玉音放送(ぎょくおんほうそう)」として雑音の多いラジオから流された昭和天皇の「お言葉」です。

朕(ちん)深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑(かんが)ミ 非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ 茲(ここ)ニ忠良ナル爾(なんじ)臣民(しんみん)ニ告ク(ぐ)
朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ 其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

で始まる詔勅は昭和天皇独特のイントネーションで、かつ難しい文語調の長い文章であったため、きちんと聞き取れた人は少なかったようですが、「日本は戦争に負けたのだ」ということは多くの人に何となくわかったようです。

この「終戦の詔勅(詔書)」は、大まかな内容を内閣書記官長迫水久常が作成し、漢学者川田瑞穂(1879年~1951年)(内閣嘱託)が起草し、陽明学者安岡正篤(1898年~1983年)(大東亜省顧問)が刪修(校閲)して完成したものです。