「紙芝居」と「電気紙芝居(テレビ)」の思い出と「テレビの功罪」

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1.紙芝居

私が子供の頃、たまに「紙芝居屋」のおじさんがやって来ました。母から「紙芝居屋の飴は不衛生だから」との理由でお金をもらえなかったので、正式に紙芝居を見たことはありません。

一度だけどんなものかと通りすがりを装って少し覗いてみたことがあります。それは戦前に子供に大変人気のあった「黄金バット」の話でした。「黄金バット」は昭和初期の紙芝居の代表作ですが、道具もかなり使い古しており、時代遅れの感じでした。

当時の私たちのヒーローは、「少年画報」という漫画雑誌に連載されていた「赤胴鈴之助」や「まぼろし探偵」でした。

2.電気紙芝居(テレビ)

番頭はんと丁稚どん

(1)一億総白痴化を招くメディア

「電気紙芝居」というのは、評論家の大宅壮一が、テレビのことを揶揄して呼んだ言葉です。彼は、「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると人間の想像力や思考力を低下させてしまい、一億総白痴化を招く」と痛烈に批判しました。

「週刊東京」の1957年2月2日号の次の記事「言いたい放題」に基づくものです。

テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億白痴化運動』が展開されていると言って好い。

余談ですが、「一億総〇〇」という言葉は日本人が好きなようで、太平洋戦争末期の「一億玉砕」や敗戦後の「一億総懺悔」、高度成長時代の「一億総中流」があり、最近は安倍首相が唱える「一億総活躍社会」があります。

(2)街頭テレビ

私の家に初めてテレビが来たのは、1959年(昭和34年)の夏休みで、小学4年生の時でした。それまで、テレビと言えば、「街頭テレビ」でプロレス中継を見に行ったり、早々とテレビを買った親戚の家に行って「月光仮面」を見せてもらったりしていました。

(3)テレビの劇場中継・大相撲

1959年夏休み以降の小学生時代は、テレビがもの珍しく私も両親と一緒によく見ていました。

中でも、歌舞伎座での中村扇雀(現在の坂田藤十郎)の芝居や、道頓堀中座での藤山寛美・渋谷天外の「松竹新喜劇」、道頓堀角座の漫才・落語・演芸、南街劇場での大村崑・芦屋雁之助などの「番頭はんと丁稚どん」などの劇場中継をよく見ていました。大鵬・柏戸全盛時代の大相撲もよく見ました。

3.テレビの功罪

テレビを見始めた当時、私が感じたのは、「わざわざ劇場に足を運んで木戸銭を払わなくても、無料で自宅に居ながらにして芝居や大相撲を楽しめるとはすごいことだ」ということでした。

ラジオは、音だけなので、音楽や落語・講談などは分かるのですが、芝居は無理ですし、大相撲も実況アナウンサーが早口で説明しても、取り組み状況を完全に理解するのは無理でした。

大相撲の「テレビ桟敷」は、その点「一目瞭然」でスロービデオもあるので、アナウンサーの説明はかえって邪魔になるくらいです。

テレビ自体が「想像力や思考力を低下させる」ものだとは私は思いません。新聞を読んだり読書したりすることは、想像力や思考力を高めるのに役立つと一般に考えられています。

確かにそういう面もあるのですが、私は「それぞれのメディアとの向き合い方」と「自分の頭で考え、自分の意見を持つ習慣があるか」がポイントだと思っています。

テレビも批判的に見れば、決して想像力や思考力を低下させるものではなく、逆に本や新聞も無批判に読んでいると、その本や新聞の「呪縛」に陥って「洗脳」されてしまう危険があります。

蛇足ながら、最近のテレビの「コンテンツ」(番組内容)は、芸能人やお笑い芸人をたくさん集めた「トーク番組」や「バラエティー番組」「ワイドショー」など中身の薄いつまらない番組が増えたよう思うのですが、こう感じるのは私だけでしょうか?



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