「デカメロン」を書いたボッカチオとはどんな人物だったのか?その人生を辿る。

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デカメロン

最近の「鬼滅の刃」や「天穂のサクナヒメ」の人気ぶりを見ると、現代の日本人、特に若者の間で「面白くて奇想天外な物語」を待望する気持ちが強くなっているように感じます。

日本でも、「古事記」や「日本書紀」のような歴史書の中にも「神話」があり、各地に「民話」や「昔話」が残っています。平安時代には「竹取物語」「今昔物語集」「源氏物語」などができました。鎌倉時代には「平家物語」、室町時代には「太平記」などの軍記物語ができ、琵琶法師によって広められました。

西洋にも古代の「ギリシャ神話・ローマ神話」やアイスキュロスの「アガメムノン」、ソフォクレスの「オイディプス王」などがあります。中世ヨーロッパでは「アーサー王物語」などの騎士道物語が吟遊詩人によって広められました。

ルネサンス期に入ると、ボッカチオの「デカメロン」、エラスムスの「痴愚神礼賛」、チョーサーの「カンタベリー物語」、トマス・モアの「ユートピア」、セルバンテスの「ドン・キホーテ」などたくさんの物語文学が出てきました。

そこで今回はボッカチオと「デカメロン」についてわかりやすくご紹介したいと思います。

1.ボッカチオとは

ボッカチオ

ジョヴァンニ・ボッカチオ(1313年~1375年)は、中世イタリア・フィレンツェの詩人・散文作家で、イタリア・ルネサンス期の「ヒューマニスト(人文主義者)」(*)です。

(*)ヒューマニスト(人文主義者)とは

「ヒューマニズム(人文主義)」の立場を取る人のことです。「ヒューマニズム」とは、ギリシャ・ローマの古典研究によって普遍的教養を身につけるとともに、中世封建社会や腐敗した教会の権威や神中心の中世的世界観のような非人間的重圧から人間を解放し、人間性の再興をめざした精神運動、またその立場のことです。

ルネサンス期に、イタリアの商業都市の繁栄を背景にして起こり、やがて全ヨーロッパに波及しました。

代表者は、イタリアのボッカチオやペトラルカ、オランダのエラスムス、フランスのラブレー、イングランドのトマス・モアなどです。

彼はフィレンツェの両替商の父と名も無きフランス人女性との間に生まれた私生児と言われていますが、彼はすぐに認知されています。

彼はフィレンツェで成長し、ダンテの熱烈な崇拝者の家庭教師によって幼い頃からダンテの作品を学んでいます。

15歳で父から金融業見習いのためにナポリに行かされました。しかし彼は金融業の見習いには不熱心で、各地から集まってきた知識人と親交を深めました。

仕事の傍らラテン語を学び、独学でさまざまな古典を読破するとともに、この南国の港町で波瀾に富んだ恋愛を経験し、上流階級はおろか1327年~1339年には当時ナポリを支配していたアンジュー家のロベルト王の宮廷にまで入り込みました。

その時の経験が、後年多くの作品を書く素地を作ったものと思われます。

このように父に意に反して文学の世界に没入しましたが、1340年に見習い先の金融業者パルディ商会が倒産したのを機に故郷に帰っています。

代表作は「デカメロン」(十日物語)ですが、「女神ディアーナの狩り」「フィローストラト」「フィローコロ」「テーセウス物語」「愛の幻想」「フィアンメッタ悲歌」「名婦列伝」「異教の神々の系譜」など短編小説・長編小説・抒情詩・叙事詩・論文など多方面にわたって多数の作品を残しています。

1348年には「ペストの大流行」に遭遇しており、その惨状を「デカメロン」の導入部に詳細に書いています。

「デカメロン」によって文名の高まった彼は、フィレンツェ共和国の特使としてヨーロッパ各地に派遣され、ペトラルカと親交を結びつつ、政治的かつ文化的役割を果たしています。

また、中世ヨーロッパの文化史上では忘れられていたホメーロス(ホメロス)の「イーリアス」のギリシャ語原典を発見し、それを翻訳して紹介したことも彼の業績です。

2.デカメロン

デカメロン絵画

(1)デカメロンとは

1348年~1353年頃に書かれた彼の代表作である短編小説集「デカメロン」(十日物語)は、近代散文小説の先駆とされています。

物語はフィレンツェの3人の青年と7人の淑女とが、郊外の別荘にペストの難を逃れ、退屈しのぎに各人が1日1話を10日間にわたって順番に物語る体裁を取り、100話を収めています。

「デカメロン」は言わば「ステイホームの物語」で「男女10人すべらない話、実録集」といったところです。

登場人物は王侯貴族から悪漢、貧者に至るまで全ての階層を含み、内容も滑稽なもの、好色なものから悲劇的なものにまで及んでいます。

ちなみに「デカメロン」の語源はギリシャ語の「10日」(deka hemerai)です。「大きいメロン」という意味ではありません。

この「デカメロン」はラテン語ではなく、「フィレンツェの方言」で書かれているため、広く庶民に読まれて評判になったものと思われます。

「デカメロン」は「千夜一夜物語(アラビアンナイト)」や「七賢者の書」から影響を受けています。

(2)10日間の話のテーマ

1日目:自由テーマ

2日目:多くの苦難を経たのち成功や幸福を得た人の話

3日目:長い間熱望したもの、あるいは失ったものを手に入れた話

4日目:不幸な恋人たちの話

5日目:不幸のあとに幸福に巡り合う恋人たちの話

6日目:とっさのうまい返答で危機を回避した人の話

7日目:夫を騙した妻の話

8日目:男が女を、女が男を騙す話

9日目:自由テーマ

10日目:気高く寛大な行為についての話

(3)内容

内容としては、神についてはほとんど語られず、逆に人間の気儘な行為、特に肉体の歓楽と、地位・名誉・権力欲に関する人間の最もドロドロした側面が物語の中心となっています。風刺の対象が、神父・修道士・修道女に向けられています。

日本の仏教の僧侶も昔から腐敗・堕落していましたが、西洋のキリスト教の聖職者も同様だったようです。

人間性の真理をとらえるとともに、14世紀のイタリア社会を見事に活写し、ダンテの「神曲」(神聖喜劇)に対して、「人曲」(人間喜劇)とも呼ばれます。また「デカメロン」の底流には、当時世界の中心であったローマ教皇庁に対する強い批判的精神があります。

(4)後世への影響

また「デカメロン」は、イングランドのチョーサー(1343年頃~1400年)の「カンタベリー物語」やフランスの女流作家マルグリット・ド・ナヴァル(1492年~1549年)の「エプタメロン」(七日物語)に影響を与えています。ちなみに「エプタメロン」の語源はギリシャ語の「έπτά 」(7)と「ημέρα」(日)です。

なお、シェイクスピアの戯曲「終わりよければ全てよし」は、「デカメロン」の第3日・第9話を参考に翻案したものです。

新型コロナウイルス対策で「ステイホーム」を余儀なくされている機会に、ペストの難を逃れた人々が語った面白話である「デカメロン」を読んでみるのも一興かと思います。



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