「後朝の別れ」とは、愛し合った男女が別れの朝に下着を交換した昔の習慣

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大屋政子

皆さんは「後朝(きぬぎぬ)の別れ」という言葉をお聞きになったことがあるでしょうか?

昔、愛し合った男女が別れの朝に下着を交換した習慣で、実は「万葉集」にもこれを詠んだ歌があり、「枕草子」や「源氏物語」などにも出てきます。

私は高校時代に古文の先生から、「後朝の別れ」をさらっと説明されただけですが、なぜか強烈な印象が残っています。

後年、帝人社長の大屋晋三氏(1894年~1980年)の奥さんだった大屋政子さん(1920年~1999年)(上の画像)が、「うち(私)、お父ちゃん(亡くなった夫)のパンツを今でも穿いてんのよ」とあっけらかんと話すのを聞きましたが、この「後朝の別れ」が念頭にあったのかもしれません。

1.「後朝(きぬぎぬ)の別れ」とは

後朝(きぬぎぬ)の別れ」の元々の意味は、共寝した男女が翌日に別れることです。「きぬぎぬ」とは、その際に互いの下着を交換するという古代の習俗に基づく表現です。それに連動して、帰った男から送られる手紙のことを「後朝の文(きぬぎぬのふみ)」と言います。

「源氏物語」などの平安朝の恋物語において、そういった「後朝の別れ」は枚挙に暇のないほど描かれています。

古代日本では平安時代までは「妻問婚(つまどいこん)」(「招婿婚(しょうせいこん)」)と言って、「男性が女性の家に通う婚姻スタイル」が一般的でした。そのため、夫婦でも夜に2人でイチャイチャした後、朝になるといったん別れなければならなかったのです。要するに通い婚(かよいこん)です。

なお平安中期には妻方同居の「婿取り」、鎌倉時代になると夫方同居の「嫁取り」に変わりました。

2.万葉集に出てくる「後朝の別れ」

大塚ひかりの「エロスでよみとく万葉集」にも出ていますので、いくつかご紹介しましょう。

(1)通るべく 雨はな降りそ 我妹子(わぎもこ)が 形見の衣 我下に着(け)り

<大塚ひかりの超訳>

雨降ってるよ。下着までしみなきゃいいけど。そんなに降るなよ雨。あの子の思い出の下着を俺はつけているんだから。

(2)別れなば うら悲しけむ 我(あ)が衣 下にを着ませ 直(ただ)に逢ふまでに

<大塚ひかりの超訳>

離ればなれになったらどんなに悲しいか。せめて私の下着を肌につけて。じかに逢えるその日まで。

(3)白たへの 我(あ)が下衣 失はず 持てれ我(わ)が背子 直(ただ)に逢ふまでに

<大塚ひかりの超訳>

真っ白な私の下着、持って行ってね。なくさないでね。あなたとじかに逢う日まで。

3.源氏物語に出てくる「後朝の別れ」

(1)空蝉(うつせみ)

光源氏は、単身赴任中の地方官僚の留守邸で、その妻である空蝉を犯します。その後も彼は「空蝉と逢いたい」と再び屋敷を訪れるものの、空蝉は「薄衣(うすぎぬ)」を脱ぎ捨てて、寝所から逃れてしまいます。

その薄衣を光源氏は持ち帰り、次のような歌を彼女に贈りました。

空蝉の身をかへてける木(こ)のもとになほ人がらのなつかしきかな

<大塚ひかりの超訳>

蝉が抜け殻(がら)を残し、姿を変えた木の下に、薄衣を脱ぎ捨て行ってしまったあなたの人柄(がら)にやっぱり惹かれるなぁ。

4.枕草子に出てくる「後朝の別れ」

(1)第33段「七月ばかり、いみじう暑ければ」

<原文>

七月ばかり、いみじう暑ければ、よろづの所あけながら夜もあかすに、月のころは、寝おどろきて見いだすに、いとをかし。闇もまたをかし。有明はた、言ふもおろかなり。

いとつややかなる板の端近う、あざやかなる畳一枚うち敷きて、三尺の几帳、奥の方におしやりたるぞ、あぢきなき。端にこそ立つべけれ。奥の後めたからむよ。人は出でにけるなるべし、薄色の、裏いと濃くて、表は少しかへりたるならずは、濃き綾のつややかなるが、いとなえぬを、頭ごめにひき着てぞ寝たる。香染めのひとへ、もしは黄生絹のひとへ、紅のひとへ袴の腰のいと長やかに衣の下より引かれたるも、まだ解けながらなめり。

そばの方に髮のうちたたなはりてゆるらかなるほど、長さおしはかられたるに、またいづこよりにかあらむ、朝ぼらけのいみじう霧り立ちたるに、二藍の指貫に、あるかなきかの色したる香染めの狩衣、白き生絹に紅の透すにこそはあらめ、つややかなる、霧にいたうしめりたるを脱ぎたれて、鬢の少しふくだみたれば、烏帽子の押し入れたるけしきもしどけなく見ゆ。

朝顔の露落ちぬさきに文書かむと、道のほども心もとなく、「麻生の下草」など、口ずさみつつ、わが方に行くに、格子のあがりたれば、御簾のそばをいささか引き上げて見るに、起きて去ぬらむ人もをかしう、露もあはれなるにや、しばし見立てれば、枕上の方に、朴に紫の紙張りたる扇、ひろごりながらあり。陸奥紙の畳紙の細やかなるが、花か紅か、少しにほひたるも、几帳のもとに散りぼひたり。

人けのすれば、衣の中より見るに、うち笑みて、長押におしかかりて居ぬ。恥ぢなどすべき人にはあらねど、うちとくべき心ばへにもあらぬに、ねたうも見えぬるかな、と思ふ。「こよなき名残の御朝寝かな」とて、簾の内に半ば入りたれば、「露よりさきなる人のもどかしさに」と言ふ。をかしきこと、とり立てて書くべきことならねど、とかく言ひかはすけしきどもは、にくからず。

枕上なる扇、わが持ちたるしておよびてかき寄するが、あまり近う寄り来るにやと、心ときめきして、引きぞ下らるる。取りて見などして、「疎くおぼいたること」など、うちかすめ恨みなどするに、明うなりて、人の声々し、日もさし出でぬべし。霧の絶え間見えぬべきほど、急ぎつる文もたゆみぬるこそ、後ろめたけれ。

出でぬる人も、いつのほどにかと見えて、萩の露ながらおし折りたるに付けてあれど、えさし出でず。香の紙のいみじうしめたる匂ひ、いとをかし。あまりはしたなきほどになれば、立ち出でて、わが起きつる所もかくやと思ひやらるるも、をかしかりぬべし。

<現代語訳>

七月ごろ、とても暑いので全部の戸や仕切りを開け放して夜を過ごすと、満月前後の夜に、はっと眼を覚まして外を見るのがとても素敵だ。月のない夜もいい。
そのうえ、有明の月の夜の良さなんて、言うのは野暮だ。

とてもつやつやした板の間の端の方に、鮮やかな色合いの畳を1枚、さっと敷いている。三尺の几帳を奥へ押してどけているのは、奇妙だ。外側に立てるのがいいのに。ああ、外よりも局の奥から見られたくないのだ。

相手の男性は出て行ってしまった。裏地は薄色が色濃くて、表地は少し色褪せている、あるいは光沢のある濃い綾の織地だったのがとてもくたくたになってしまった衣を頭からすっぽりと被って寝ている。

香染、あるいは黄生絹の単衣を纏っていて、紅の単袴の腰紐が長々と衣の下から伸びているのは、まだほどけたままだからのようだ。彼女の傍らの方へ豊かな髪がふわっと重なり合っている様子から、その長さが推量できる。

どっぷりと霧が立ちこめている夜明けに、どこからか、二藍の指貫を履き、色がついているかどうかわからないくらいの香染の狩衣、光沢があって霧にひどく濡れてしまっていて、紅色が透けて見えているような白い生絹の単衣を片方の肩を脱いで片袖を垂らして、左右の耳の辺りの髪が少し乱れてばさばさになっているので、烏帽子に無理に入れ込んでいる様子がだらしなく見える男性が現れた。

朝顔に露が落ちてしまう前に手紙を書こうと、帰りの道のりをじれったく思いながら、「麻生の下草」などと歌を口ずさみながら帰り道を行く。局の格子が上がっているので、御簾の片端をほんの少し引き上げてみると、床から出て彼女を置いて行ったであろう男性も心惹かれる、露(女性)のなんとも言えぬあだっぽさ。

しばらく見つめていると、彼女の枕元の方に、開いたままの朴の木の骨に紫の紙の貼った扇がある。縹色か紅色かが少し美しく映えている、細かくちぎられた陸奥紙の畳紙が、几帳の下に散らばっていた。

人の気配がするので、被っていた衣の中から見ると、男性がにっこり笑って長押に寄りかかっている。恥ずかしがったりなどしなくてはならない相手ではないけれど、かといって親しく接する心境でもなくて、癪だなあ、と思う。

男性が「最上に名残を惜しむお寝坊だね」と言って、御簾から内側に半分身体が入っているので、「露が落ちるより前に帰った人がじれったくて」と答える。

彼らの様子はさほど風流だったりことさら取り上げて書かねばならないほどではないのだが、あれやこれやと語り合うところは悪くはない。

彼女の枕元にある扇を、自分の扇を使って引き寄せようと身を乗り出しているのが、あまりに彼の身体が自分に近くてどきどきしていると、彼はしっかりと扇を引き寄せた。

手に持った扇を見たりして、「よそよそしく思っているのだこと」と嫌みを言ったりしていると、外は明るくなって他の女房たちの声がしてきて、もう陽の光が射してしまいそうだ。

霧の切れ目も見えないのが当たり前なくらいに急いて送りたかった手紙が遅くなってしまうのが、とても気がかりだ。

出て行った男性からの使者が、露が付いたままで折った萩に付けた手紙を持っていつの間にか来ているのだが、これではとても彼女に差し出すことが出来ない。香色の手紙にたっぷり焚きしめられている香りが、とても素敵だ。

男性はあまりにばつの悪い様子になったので立ち去って、自分の起きてきた所もこのようなのだろうなあと、自ずと思いが馳せられるのも、素敵なのは当たり前だ。

(2)第61段「暁にかへらむ人」

<原文>

暁にかへらむ人は、装束なといみじううるはしう、鳥帽子(えぼし)の緒、元結かためずもありなむとおぼゆれ。

いみじくしどけなく、かたくなしく、直衣(なをし)、狩衣(かりぎぬ)などゆがめたりとも、誰か見しりて笑ひそしりもせむ。

人はなほ、暁のありさまこそ、をかしうもあるべけれ。

わりなくしぶしぶに起きがたげなるを、強ゐてそそのかし、明け過ぎむ。あな見ぐるし などいはれてうち嘆くけしきも、げにあかず物憂くもあらむかしと見ゆ。

指貫なども、ゐながら着もやらず、まづさし寄りて、夜いひつることのなごり、女の耳にいひ入れて、なにわざすともなきやうなれど、帯など結ふやうなり。

格子押し上げ、妻戸ある所は、やがてもろともに率ていきて、昼のほどのおぼつかなからむことなども、いひ出でにすべり出でなむは、見おくられて、名残もをかしかりなむ。

思ひ出所ありて、いときはやかに起きて、ひろめきたちて、指貫のこしこそこそとひき結ひなをし、うえの衣も、狩衣も、袖かいまくりて、よろづさし入れ、帯いとしたたかに結ひはてて、つい居て、鳥帽子の緒、きと強げに結ひいれて、かいすふる音して、扇、畳紙(たとうがみ)など、よべ枕上におきしかど、おのづからひかれ散りにけるを求むるに、暗ければ、いかでかは見えむ、いづらいづらと叩きわたし、見いでて、扇ふたふたとつかひ、懐紙さし入れて、まかりなむ とばかりこそいふらめ。

<現代語訳>

明け方の頃に帰ってく人は、服装なんかはそんなにきちっとキレイにしたり、烏帽子の紐をしっかり結んだりしなくってもOKだと思うのよね。とってもだらしなくって、見苦しい姿で、直衣、狩衣なんかが歪んでたって、誰がそれを見て、笑いものにしたり、けなしたりするかしら? しないわよ。

男の人はやっぱりそういう明け方の振る舞いこそ、いかしててほしいわね。なかなか起きられないで仕方なく渋々な様子の男子が、彼女に急き立てられて、「夜が明けちゃうわ、もう、みっともないよ」なんて言われて、嘆いてる風の様子を見たら、ホントに満たされなくって、憂鬱な気分になってるんだろうなってわかるもの。座ったままで、指貫なんか穿こうともしないで、まず女に近寄って昨晩言った言葉の続きを彼女の耳にささやいてね、何かするわけでもない感じなんだけど、帯なんかは結ぶようなのね。

格子を押し上げて、妻戸のあるところなら、そのまま彼女をいっしょに連れてって、昼間に逢えなくて気がかりで仕方ない、ってことなんかも言葉にして、滑り出ていくような姿、見送らずにはいられなくって。その余韻、なんてステキなんでしょう!

(そんなのとは逆に)思い出したように、めちゃシャキッと起きて、あちこち散らかしては、指貫の腰紐をゴソゴソと結んで、直衣や上着、狩衣も袖をまくり上げて、スルッと腕を差し入れて、帯をすごくきっちり結び上げ、ひざまずいて、烏帽子の紐をキュッと強く結んで、きっちりかぶり直す音がして。扇や畳紙なんかを昨晩枕元に置いてて、自然とあちこち散らかっちゃったのを探すんだけど、暗いんだからね、どうやったら見えるっていうの? 見えないよ。で、「どこ?どこ?」って、そのへん叩きまわって、見つけ出して。その扇でパタパタあおいで、懐紙をしまい込んで、「帰りますね」とだけ言うんでしょう。(やーね!)

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