前回まで、「ホトトギス派の俳人」16人(「ホトトギス派の俳人(その16)杉田久女:虚子との確執で有名な悲運の女流俳人」など)と「ホトトギス派以外の俳人」14人(「ホトトギス派以外の俳人(その14)長谷川かな女:大正期を代表する女流俳人」など)を紹介する記事を書いてきました。
ホトトギス派は、「客観写生」「花鳥諷詠」「有季定型(季語のある定型俳句)」を旨としましたが、それに飽き足りない俳人たちが、「無季俳句」や「自由律俳句」などを標榜する「新興俳句運動」を起こしました。
私は、「新興俳句運動」を全否定するつもりはなく、それなりの歴史的意義はあったと思います。しかし、私はやはり季節感溢れる「季語」を詠み込んだ「定型俳句」に魅力を感じます。
そこには、現代の私たちの生活から失われつつある(一部はほとんど失われた)季節感が溢れており、「懐かしい日本の原風景」を見るような気がします。
そこで今回から、「二十四節気」に沿って季節感あふれる「季語」と俳句をご紹介していきたいと思います。
なお、前に「季語の季節と二十四節気、旧暦・新暦の季節感の違い」という記事も書いていますので、ぜひご覧下さい。
「春」は旧暦1月~3月にあたり、「初春」(立春・雨水)、「仲春」(啓蟄・春分)、「晩春」(清明・穀雨)に分かれます。
今回は「仲春」(啓蟄・春分)の季語と俳句をご紹介します。
・啓蟄(けいちつ):新暦3月5日頃です。「二月節」 冬ごもりしていた地中の虫がはい出て来ます。
・春分(しゅんぶん):新暦3月20日頃です。「二月中」 太陽が真東から昇って真西に沈み、昼夜がほぼ等しくなります。
1.時候
(1)あ行
・入り彼岸(いりひがん):彼岸の初日のこと。「暑さ寒さも彼岸まで」と言われる通り、春と秋の年2回ある。春のお彼岸は春分の日、秋のお彼岸は秋分の日をそれぞれ中心として前後3日間、計7日間がその期間となる
毎年よ 彼岸の入に 寒いのは(正岡子規)
・梅つさ月(うめつさづき)/梅五月(うめつさつき):陰暦二月の異称
・梅見月(うめみづき):陰暦二月の異称
・小草生月(おぐさおいづき): 陰暦二月の異称。「小草が生え始める月」の意
(2)か行
・如月(きさらぎ):陰暦二月の和風月名。「衣更着(きさらぎ)」とも言う。「まだ寒さが残っていて、衣を重ね着する(更に着る)月」の意
・きぬさらぎ:陰暦二月の異称。平安末期の歌人藤原清輔(きよすけ)の歌論書『奥儀抄(おうぎしょう)』に、「正月のどかなりしを、此月さえかへりて、更にきぬを着れば、きぬさらぎといふをあやまれるなり。按(あん)ずるに、もとはきぬさらぎ也(なり)」とある。
なお、江戸中期の国学者・歌人の賀茂真淵(かものまぶち)は、「木久佐波利都伎也(きくさはりつきなり)」と説き、草木が芽を張り出すという意からできた言葉とするが、ほかに「気更に来る」の義とし、陽気の盛んになることをいうとする説もある
・啓蟄/驚蟄(けいちつ):二十四節気の一つで3月5~6日頃。「啓」は「ひらく」、「蟄」は「土の中で冬ごもりしている虫」の意で、冬眠していた蛇や蛙などが暖かさに誘われて穴から出てくる頃とされる。実際に虫が活動を始めるのはもっと暖かくなってからである
啓蟄を 啣(くは)へて雀 とびにけり(川端茅舎)
啓蟄や 葬の騒ぎの ひとしきり(日野草城)
啓蟄の いとし児ひとり よちよちと(飯田蛇笏)
啓蟄や 指反りかへる 憤怒仏(加藤楸邨)
啓蟄や 衣干したる 雑木山(角川春樹)
啓蟄の 円空仏は 素足かな(楠本憲吉)
啓蟄の 蚯蚓の紅の すきとほる(山口青邨)
(3)さ行
・さき彼岸(さきひがん):彼岸の初日
・三月(さんがつ):三月は、草木が活発に芽吹く頃だが、まだ北国では雪が積もっている。桜の花が、三月の下旬には多くの地域で咲き始める
三月や 大竹原の 風曇り(芥川龍之介)
三月や 廊の花ふむ 薄草履(飯田蛇笏)
三月や 水をわけゆく 風の筋(久保田万太郎)
・三月終る(さんがつおわる)/三月尽(さんがつじん)/三月尽く(さんがつつく):陰暦の三月が尽きること。一月から三月が陰暦では春になるため、春の最後の月が三月になる。行く春を惜しむ気持ちや春が終わる感慨が込められている。
ただし現在では、陽暦三月の終わることを指す
桜日記 三月尽と 書き納む(正岡子規)
・時正(じしょう):春分に昼と夜との時間が等しくなること
時正の日 猟師の茶の子 貰ひけり(三宅嘯山)
・終い彼岸(しまいひがん):彼岸の最後の日
・社燕(しゃえん):「春の社日」の別称
・社翁の雨(しゃおうのあめ):「春の社日」に降る雨のこと
・社日(しゃにち):戊の日の立春から第五日の社日。五穀豊穣を祈って、土の神を祭る。また、春社の日に治聾酒を飲めば聾が治るといわれる
鳶(とび)ついと 社日の肴(さかな) 領しけり(三宅嘯山)
お社日や 門田の土を 神の棚(広江八重櫻)
爪を剪(き)る 馬寄せのある 社日かな(安斎櫻磈子)
藍かめの 機嫌も祝ふ 社日かな(井上井月)
門畑(かどはた)に 牛羊あそぶ 社日かな(飯田蛇笏)
村口の 土橋の雨も 社日かな(松根東洋城)
・社日様(しゃにちさま):「社日」に行なわれる祭り
・社日詣(しゃにちもうで):「社日」に神社を参拝すること
・春社(しゅんしゃ):「春の社日」の別称
・春分(しゅんぶん):「二十四節気」の一つで、太陽が春分点(太陽が赤道の南から北へ移る点)を通過する時刻を「春分」と言い、その日を「春分の日」と呼ぶ。だいたい3月21日頃。
太陽が真東から昇り真西に沈んで、昼と夜の長さがほぼ等しくなる日で、春のお彼岸の中日でもある
春分を 迎ふ花園の 終夜燈 (飯田蛇笏)
雨着透く 春分の日の 船の旅(秋元不死男)
春分や 遠くの農夫 藁(わら)梳(す)ぐる(萩原麦草)
春分の 日なり雨なり 草の上(林翔)
春分の おどけ雀と 目覚めけり(星野麦丘人)
春分も 棒一本の 浅蜊掻(あさりがき)(百合山羽公)
春分や 手を吸ひにくる 鯉の口(宇佐美魚目)
春分の 入日笹子に 今滾(たぎ)つ (行川行人)
木々の芽に 春分の日の 雨軽し(市ヶ谷洋子)
春分の 日をやはらかく ひとりかな(山田みづ)
・次郎の朔日(じろうのついたち):旧暦の二月一日のこと。朔日とは月の最初という意味。昔、小正月(一月十五日)が新年であった名残。「小正月以後初めての朔日」という意味
・初手彼岸(そてひがん):彼岸の入りの日
(4)た行
・鷹化して鳩と為る(たかかしてはととなる):「七十二候」のひとつ。啓蟄の第三候。3月16日~20日頃。春の訪れに鷹は鳩に変身するという中国の俗信からきたもの。
そのようなことはあり得ず、春の幻想的な気表しているいる季語
・太郎の朔日(たろうのついたち):旧暦の二月一日のこと。朔日とは月の最初という意味。昔、小正月(一月十五日)が新年であった名残。「小正月以後初めての朔日」という意味
・仲春(ちゅうしゅん):初春・仲春・晩春の三春の半ばのこと。春浅い感じが最初はちょっと残っているが、春の気が日を追うごとに満ちてくる
仲春や 庭の繚乱 古机(松根東洋城)
万寿山 仲春にして リラの雨(飯田蛇笏)
・中日(ちゅうにち):「春分」に昼と夜との時間が等しくなること
紅梅に 中日過し 彼岸哉(正岡子規)
たにぐゝの 日ねもすなきぬ お中日(原石鼎)
(5)な行
(6)は行
・初朔日(はつついたち):旧暦の二月一日のこと。朔日とは月の最初という意味。昔、小正月(一月十五日)が新年であった名残。「小正月以後初めての朔日」という意味
・初花月(はつはなづき):旧暦二月のことで、梅の花が咲く月という意味。「初花」は、年明けに初めて咲く花という意味で、梅の花のこと
・春さ中(はるさなか):三春(初春・仲春・晩春)の半ばのこと
・春なかば(はるなかば):三春(初春・仲春・晩春)の半ばのこと
・彼岸(ひがん):春分の日を中日として、その前後3日の計7日間を指す。この頃になると、「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように寒さもおさまる。先祖の墓参りなどの行事がある
命婦(みょうぶ)より ぼた餅たばす 彼岸哉(与謝蕪村)
竹の芽も 茜さしたる 彼岸かな(芥川龍之介)
蝌蚪(かと)生れて 未だ目覚めざる 彼岸かな(松本たかし)
・彼岸会(ひがんえ):中日をはさんで前後七日間を「彼岸」と言うが、この間寺院で行われる法要のことを指す言葉。
彼岸会の始まりは諸説あり、平安貴族の間でもこの行事が行われていたことが「蜻蛉日記」や「源氏物語」に記されている。
彼岸はサンスクリット語で悟りの世界を意味し、我々の住んでいる煩悩の世界(此岸)から、迷いのない彼岸へ到ることを願う法会と言える。聖徳太子の頃から行なわれてきた日本固有の行事
彼岸会の 故山ふかまる ところかな(飯田蛇笏)
彼岸会の 若草色の 紙包(岡本眸)
・彼岸講(ひがんこう):彼岸のとき行なわれる講
・彼岸過(ひがんすぎ):彼岸が終わった後
・彼岸太郎(ひがんたろう):彼岸の第一日。この日が晴天だと、その年の稲の実りが良いとされる
・彼岸団子(ひがんだんご):彼岸に仏前に供える団子
茶を点てて 彼岸団子を 喜ばす(後藤比奈夫)
・彼岸寺(ひがんでら):彼岸法会が行われている寺
・彼岸ばらい(ひがんばらい):彼岸の最後の日
・彼岸舟(ひがんぶね):衆生救済の誓いによって仏・菩薩 (ぼさつ) が悟りの彼岸に導くことを、船が人を乗せて海を渡すのにたとえた語。誓いの船。弘誓(ぐぜい)の船
・彼岸参(ひがんまいり):彼岸の墓参り
信濃路は 雪間を彼岸 参りかな (横井也有)
・彼岸前(ひがんまえ):彼岸に入る前
・彼岸道(ひがんみち):彼岸の墓参りに行く道
手に持ちて 線香売りぬ 彼岸道(高浜虚子)
石積みて 仏宿らす 彼岸道(山下桂子)
(7)ま行
・万燈日/万灯日(まんとうび):彼岸に北秋田地方で子供が村中から藁を集め焚く行事
(8)や行
・雪消月(ゆきげづき):陰暦二月の別称
(9)ら行
・龍天に登る(りゅうてんにのぼる):龍は春分に天に登るといわれる伝説からできた季語。「龍は想像上の動物で春分の頃に天に登り雲を起こし雨を降らせる」という中国の古代伝説
竜天に 登ると見えて 沖暗し(伊藤松宇)
竜天に 黄帝の御衣 翻へる(石井露月)
(10)わ行
2.天文
(1)あ行
(2)か行
・貝寄(かいよせ)/貝寄風(かいよせ):大阪四天王寺の聖霊会(旧暦2月22日)の頃に吹く季節風。
四天王寺の聖霊会では、供華の筒花を住吉の浜に吹き寄せられた貝殻で作る。このことから、この頃に吹く西風を貝寄風という。長くは続かないが、かなりの強い風である
貝よせや 散り敷くばかり 桜貝(車庸)
貝寄せや 阿部野の梅の 花も散る(紅秋)
貝寄風(かひよせ)に 乗りて帰郷の 船迅(はや)し(中村草田男)
・黒北風(くろぎた):春の盛りに一時的に気候が冬に逆戻りし、強い北西風が突風となって吹くこと
(3)さ行
・終雪(しゅうせつ):その春、最後に降る雪のこと
(4)た行
・鳥風(とりかぜ):春、渡り鳥が北へ帰るころの風
・鳥雲に(とりくもに)/鳥雲に入る(とりくもにいる):春先、北方へ帰る雁や白鳥などが雲間に見えなくなること
・鳥曇(とりぐもり):秋、日本に渡ってきた雁や鴨などが、北の繁殖地に帰っていく頃の曇り空。その頃の雲は「鳥雲」。また、鳥のはばたきが風のように聞こえるので、その頃の風を「鳥風」という。鳥の群が瞬く間に消えていったあとには、曇り空だけが残る
桜ちる 空や越後の 鳥曇り(森川許六)
(5)な行
・名残の雪(なごりのゆき):春を迎えて、その年の雪の降り納めのこと。旧暦2月15日頃に降ることが多いことから「涅槃雪」ともいう。雪の果て
踏みきやす 雪も名残や 野辺の供(向井去来)
・涅槃西風(ねはんにし)/涅槃吹(ねはんぶき):涅槃会(陰暦2月15日)はお釈迦様の入滅の日にあたり、この頃に吹く風のこと。美しい響きからも西方浄土が想象される季語。
時期的には春の彼岸前後にあたり、一般的に浄土からの迎え風などとも言われる
・涅槃雪(ねはんゆき):春を迎えて、その年の雪の降り納めのこと。涅槃会(陰暦2月15日)頃に降ることが多いことから「涅槃雪」という。雪の果て
(6)は行
・八講の荒れ(はっこうのあれ):「八講」は昔、近江の白髭神社で比叡山の衆徒が行ったという「法華八講」の略称。
現在は3月22日、滋賀県大津市の本福寺を集合場所として、高僧の講義や延暦寺僧衆による湖上安全祈願が営まれる。 この法要の頃、比良山からの強風で湖上が荒れる。これを「比良八荒」と呼ぶ
八講の あれや北戸の 梅こぼす(松瀬青々)
・春一番(はるいちばん):立春後、はじめて吹く強い南寄りの風。この風で草木の芽がほどけはじめ、春の本格的な訪れとなる。もともとは漁師言葉
・春三番(はるさんばん):「春二番」の次に吹く強い南風
・春二番(はるにばん):「春一番」の次に吹く強い南風
・春四番(はるよんばん):「春三番」の次に吹く強い南風
・彼岸西風(ひがんにし):春の彼岸のころに吹く西風。やわらかな西風もあるが、寒さの残る西風もある。この風が過ぎると、日増しに暖かくなる
・比良の八荒(ひらのはっこう)/比良八荒(ひらはっこう):「八講」は昔、近江の白髭神社で比叡山の衆徒が行ったという法華八講の略称。
現在は3月22日、滋賀県大津市の本福寺を集合場所として、高僧の講義や延暦寺僧衆による湖上安全祈願が営まれる。 この法要の頃、比良山からの強風で湖上が荒れる。これを「比良八荒」と呼ぶ
北むけば 比良八講の 寒さかな(松瀬青々)
(7)ま行
(8)や行
・雪涅槃(ゆきねはん):春を迎えて、その年の雪の降り納めのこと。涅槃会(陰暦2月15日)頃に降ることが多いことからこう呼ばれる。雪の果て
・雪ねぶり(ゆきねぶり):雪解けのころ、地面に立つ靄
・雪の終(ゆきのおわり):その春、最後に降る雪のこと
・雪の名残(ゆきのなごり):春になって、冬のなごりに降る雪
・雪の果(ゆきのはて):春を迎えて、その年の雪の降り納めのこと。涅槃会(陰暦2月15日)頃に降ることが多いことから「涅槃雪」ともいう。
・雪の別れ(ゆきのわかれ):その春、最後に降る雪のこと
(9)ら行
(10)わ行
・忘れ雪(わすれゆき):春先、忘れたころに降るような雪