前回まで、「ホトトギス派の俳人」16人(「ホトトギス派の俳人(その16)杉田久女:虚子との確執で有名な悲運の女流俳人」など)と「ホトトギス派以外の俳人」14人(「ホトトギス派以外の俳人(その14)長谷川かな女:大正期を代表する女流俳人」など)を紹介する記事を書いてきました。
ホトトギス派は、「客観写生」「花鳥諷詠」「有季定型(季語のある定型俳句)」を旨としましたが、それに飽き足りない俳人たちが、「無季俳句」や「自由律俳句」などを標榜する「新興俳句運動」を起こしました。
私は、「新興俳句運動」を全否定するつもりはなく、それなりの歴史的意義はあったと思います。しかし、私はやはり季節感溢れる「季語」を詠み込んだ「定型俳句」に魅力を感じます。
そこには、現代の私たちの生活から失われつつある(一部はほとんど失われた)季節感が溢れており、「懐かしい日本の原風景」を見るような気がします。
そこで今回から、「二十四節気」に沿って季節感あふれる「季語」と俳句をご紹介していきたいと思います。
なお、前に「季語の季節と二十四節気、旧暦・新暦の季節感の違い」という記事も書いていますので、ぜひご覧下さい。
「冬」は旧暦10月~12月にあたり、「初冬」(立冬・小雪)、「仲冬」(大雪・冬至)、「晩冬」(小寒・大寒)に分かれます。
今回は「仲冬」(大雪・冬至)の季語と俳句をご紹介します。
・大雪(たいせつ):新暦12月7日頃です。「十一月節」 雪がいよいよ降り積もってきます。
・冬至(とうじ):新暦12月21日頃です。「十一月中」 昼が一年中で一番短くなります。
1.時候
(1)あ行
・一陽来復(いちようらいふく):冬が終わり春が来ること。新年が来ること。また、悪いことが続いた後で幸運に向かうこと。陰の気がきわまって陽の気にかえる意から。
もと易(えき)の語。陰暦10月は坤(こん)の卦(か)にあたり、11月は復の卦にあたり、陰ばかりの中に陽が戻って来たことになる。「復」は陰暦11月、また、冬至のこと
・去ぬる年(いぬるとし):年の暮よりも主観的感慨のこもった語
・大節季(おおせっき/おおぜっき):年末。大みそか
・大晦日(おおつごもり/おおみそか):晦日は三十日とも書き、月の第30番目の日。転じて、月の末日をいう。大晦日は即ち一年の最後の12月31日のこと
大晦日 定めなき世の さだめ哉(井原西鶴)
鶴おりて 日こそ大きに 大晦日(宝井其角)
侘しさや 大晦日の 油売り(河合會良)
吹き晴れし 大つもごりの 空の紺(星野立子)
入りてゆく 眠りの壺に 年の雨(森澄雄)
・大年/大歳(おおとし/おおどし):大晦日
大年も 雀の遊ぶ 垣ほかな(杉山杉風)
大年や ころほひわかぬ 燠くづれ(芝不器男)
大年の 法然院に 笹子ゐる(森澄雄)
大年の 梵鐘を音 揺らぎ出づ(長谷川櫂)
・大年越(おおとしこし):旧年から新年に移ること
・大晦日/大三十日(おおみそか):十二月の末日
(2)か行
・神楽月(かぐらづき):陰暦11月の異称
・数え日(かぞえび):今年もあといく日と、指折り数えるほど暮れが押し詰まること。また、その押し詰まった日
数え日の 欠かしもならぬ 義理ひとつ(富安風生)
・暮(くれ): 年の終わり。年末。歳末
・小晦日(こつごもり):大晦日の前日をいう。晦日は陰暦の月の末。12月30日にあたるので、小晦日は陰暦の12月29日、陽暦の12月30日
春やこし 年や行きけん 小晦日(松尾芭蕉)
翌ありと たのむもはかな 小晦日(蝶夢)
(3)さ行
・歳晩(さいばん):年の終わり、十二月も押し詰まったころ
・歳暮(さいぼ/せいぼ):もともとは歳暮周りといって、お世話になった人にあいさつ回りをしたことに始まる。そのときの贈り物が、現在の歳暮につながるとされる。お世話になった人、会社の上司、習い事の師などに贈る。夏のお中元と同様、日本人の大切な習慣である
・歳末(さいまつ):年の暮れ。年末。歳晩
行人に 歳末の街 楽変り(中村汀女)
・朔旦冬至(さくたんとうじ):朔旦は一日の朝を意味し、11月の1日に冬至の日が重なることを「朔旦冬至」という。19年に一度あるといわれ、これより10年は豊作になるというめでたい暦日である
・霜月(しもつき):陰暦11月の和名。陽暦の12月にあたる。霜がきびしく降りるころで、霜降月の略称
霜月の 晦日よ京の うす氷(池西言水)
霜月や 日まぜにしけて 冬籠(向井去来)
霜月や こふのつくつく 並びゐて(山本荷兮)
霜月の 梨を田町に 求めけり(正岡子規)
霜月の 川口船を 見ぬ日かな(藤野古白)
霜月や 酒さめて居る 蝮取り(前田普羅)
霜月や 壺に活けたる 枝蜜柑(島村元)
・霜降月(しもふりづき):陰暦11月の異称。霜月
後山(あとやま)へ 霜降月の 橋をふむ(飯田蛇笏)
・除夕(じょせき):おおみそかの夜。除夜
・除日(じょにち/じょじつ):(旧年を除く日の意)おおみそか。おおつごもり
・除夜(じょや):おおみそかの夜。一年の最後の晩
山伏や 出立そろはぬ 除夜の闇(正秀)
除夜の妻 白鳥のごと 湯浴みをり(森澄雄)
・除夜詣(じょやもうで):大晦日の夜に神社に参詣すること
・神帰月(しんきづき/かみかえりづき):陰暦11月の異称。「神無月 (かんなづき) (陰暦10月)に出雲 (いずも) 大社に集まった神々がもとの国に帰ってくる月」の意。神来月 (かみきづき)
・惜年(せきねん):十二月も半ばを過ぎて、余日少なくなったころの感慨
・節季(せっき):陰暦12月のこと。昔、掛売り・掛け買いの清算は盆暮れの二回であり、節気といえば年越し前の清算期をさす。取り立てるものも取り立てられるものも、大変な時期である
・節季仕舞(せっきじまい):節季の決算をすますこと。節季は、元来は季節の終わりを指したが、特に年の暮れ、金銭取引上の総決算をする時期をいう
(4)た行
・待春(たいしゅん):冬の盛りに、春の到来を心待ちにすること
・大雪(たいせつ):二十四節気のひとつ。陽暦12月7日頃にあたる。文字通り雪国では雪の日が多くなる頃
・大呂(たいろ):陰暦12月のこと。古代中国の一オクターブは十二律であり、その音名を月名に割り当てた。十二の音のうち下から二番目の音が大呂
・仲冬(ちゅうとう):大雪から小寒の前日までをいう。寒さが厳しくなり、霜も降り始める
仲冬の 水豊かなる 池日ざし(志田素琴)
・冬至(とうじ):二十四節の一つで太陽が最も南行し、一年中で昼が最も短く、夜が長い日。12月22日頃にあたる。無病息災を祈って柚子風呂に入ったり、粥や南瓜を食したりする
待たらんに 行ばや我も 冬至の日(各務支考)
冬至より 来(きた)るもいまだ 雪の空(立花北枝)
門前の 小家も遊ぶ 冬至かな(野沢凡兆)
貧乏な 儒者訪ひ来る 冬至かな(与謝蕪村)
禅院の 子菓子貰ふ 冬至かな(黒柳召波)
鶯の うしろ影見し 冬至かな(高井凡菫)
日本の 冬至も梅の 咲きにけり(小林一茶)
上加茂へ ふと参りたき 冬至かな(成田蒼虬)
風雲の 少しく遊ぶ 冬至かな(石田波郷)
・年歩む(としあゆむ):年の暮のことだが、一年を振り返っての感慨がこもる
・年移る(としうつる):旧年から新年に移ること
・年惜しむ(としおしむ):一年を振返って、去り行く年を惜しむこと。今年もいろいろなことがあった、という感慨が込められている
落つる歯の 初めて年の をしきかな(加藤暁台)
梟(ふくろう)が としをしむやら 竿の先(小林一茶)
・年暮るる(としくるる):12月になること、また12月も押しつまってからをもいう
・年越(としこし):大晦日の夜、眠らずに新しい年を迎えること。除夜の鐘を聞きながら年越そばを食べるというのもこの夜の慣わしの一つ。古くは 節分の夜のことをいった
あたなしに 打越す年や 雪礫(西山宗因)
年越の 夢路にさへや 老の坂(内藤風虎)
年こしや 余り惜しさに 出てありく(立花北枝)
・年越詣(としこしもうで):大晦日の夜に、翌年の歳徳の方角の神社仏閣に参詣すること。お参りをしながら新しい年を迎えることにより、よりよい一年を送りたいという気持ちが強くなる。節分の夜に参詣する「節分詣」も「年越詣」という
・年越す(としこす):旧年から新年に移ること
・年尽くる(としつくる):年の終わり、12月も押し詰まったころ
・年つまる(としつまる):年の終わり、12月も押し詰まったころ
・年の急ぎ(としのいそぎ):12月になること、また12月も押しつまってからをもいう
・年の内(としのうち):年の日数がいくらもなくなった年内のこと。新年を迎える準備で何かとせわしないころ。「年の暮」と同じような意味であるが、「年の暮」ほど差し迫った感じはない
・年の尾(としのお):年の終わり、12月も押し詰まったころ
・年の奥(としのおく):12月になること、また12月も押しつまってからをもいう
・年の終(としのおわり):年の終わり、12月も押し詰まったころ
・年の岸(としのきし):12月になること、また12月も押しつまってからをもいう
・年の際(としのきわ):12月になること、また12月も押しつまってからをもいう
・年の暮(としのくれ):12月も押し詰まった年の終わりをいう。12月の中旬頃から正月の準備を始める地方も多く、その頃から年の暮の実感が湧いてくる。現代ではクリスマスが終わったあたりからその感が強くなる
年暮れぬ 笠きて草履 はきながら(松尾芭蕉)
成にけり なりにけり迄 年の暮(松尾芭蕉)
わすれ草 菜飯に摘まん 年の暮(松尾芭蕉)
めでたき人の かずにも入む 老のくれ(松尾芭蕉)
月雪と のさばりけらし としの昏(くれ)(松尾芭蕉)
旧里(ふるさと)や 臍の緒(へそのお)に泣 としの暮(松尾芭蕉)
皆拝め 二見(ふたみ)の七五三(しめ)を としの暮(松尾芭蕉)
これや世の 煤にそまらぬ 古合子(ふるごうし)(松尾芭蕉)
古法眼 出どころあはれ 年の暮(松尾芭蕉)
盗人に 逢うたよも有 年のくれ(松尾芭蕉)
蛤の いける甲斐あれ としの暮(松尾芭蕉)
分別の 底たゝきけり 年の昏(くれ)(松尾芭蕉)
追ふ鳥も 山に帰るか 年の暮(内藤丈草)
このくれも 又くり返し 同じ事(杉山杉風)
去(い)ね去(い)ねと 人にいはれつ 年の暮(八十村路通)
ともかくも あなた任せの としの暮(小林一茶)
たらちねの あればぞ悲し 年の暮(正岡子規)
神垣の 内の別墅や 年の暮(松本たかし)
山草の 袈裟繕うて 年暮れぬ(尾崎紅葉)
・年の梢(としのこずえ):12月になること、また12月も押しつまってからをもいう
・年の坂(としのさか):年の終わり、十二月も押し詰まったころ
・年の末(としのすえ):12月になること、また12月も押しつまってからをもいう
・年の瀬(としのせ):年の終わり、十二月も押し詰まったころ
・年の関(としのせき):12月になること、また12月も押しつまってからをもいう
・年の峠(としのとうげ):12月になること、また12月も押しつまってからをもいう
・年の名残(としのなごり):12月になること、また12月も押しつまってからをもいう
・年の残り(としののこり):年末になって残りの日数が少なくなったこと
・年の果(としのはて):年の終わり、12月も押し詰まったころ
・年の晩(としのばん):大晦日の夜
・年の湊(としのみなと):12月になること、また12月も押しつまってからをもいう
・年の夜(としのよ/としのよる):大晦日の夜。除夜ともいう。一年のけじめの日であり、その年の息災を感謝し、来る年の家内安全を願う夜である
年の夜の 鰤や鰯や 三の膳(向井去来)
いざや寝(いね)ん 元日は又 あすのこと(与謝蕪村)
・年の別れ(としのわかれ):年の終わり、12月も押し詰まったころ
・年果つる(としはつる):年の終わり、12月も押し詰まったころ
・年一夜(としひとよ/としいちや):大晦日の夜
・年夜(としや):大晦日の夜
・年逝く(としゆく):年の暮のことだが、一年を振り返っての感慨がこもる
(5)な行
・流るる年(ながるるとし):年の暮れ
・子の月(ねのつき):旧暦で月を表す表現。旧暦11月のこと
・年末(ねんまつ):年の暮れ。歳末
(6)は行
・春待つ(はるまつ):長く厳しい冬が一段落して、寒い中にも時折春の訪れを感じる頃、新しい季節を待つ気持ちが強まる。早く春よ来い、来て欲しいと願う気持ちである
見ぬかたの 花咲く春を 待つ身かな(大魯)
口あけて 春を待つらん 犬はりこ(小林一茶)
小説を 草して独り 春を待つ(正岡子規)
地の底に 在るもろもろや 春を待つ(松本たかし)
春を待つ 商人犬を 愛しけり(前田普羅)
・春を待つ(はるをまつ):春待つに同じ
・晩歳(ばんさい):12月になること、また 12月も押しつまってからをもいう
・冬半ば(ふゆなかば):陰暦十一月の別称
・冬最中(ふゆもなか):陰暦十一月の別称
・暮歳(ぼさい):12月になること、また 12月も押しつまってからをもいう
(7)ま行
(8)や行
・雪待月(ゆきまちづき):陰暦十一月の別称
・雪見月(ゆきみづき):陰暦十一月の別称
・行く年(ゆくとし):押し詰まった年末、忙しい日々の束の間に、過ぎ去ったこの年を思い浮かべる。また残り少なくなった暮れの日数にも感慨深いものがある
行く年や 石噛みあてて 歯にこたへ(小西来山)
行年や 芥流る々 さくら川(与謝蕪村)
行年の 脱けの衣や 古暦(与謝蕪村)
行く年や 空の青さに 守谷まで(小林一茶)
年を以て 巨人としたり 歩み去る(高浜虚子)
ゆく年の 調度の中の 覆鏡(原石鼎)
悪妻の 悪母の吾の 年いそぐ(竹下しづの女)
年過ぎて しばらく水尾の ごときもの(森澄雄)
激流に 呑まるるごとく 年は去る(長谷川櫂)
(9)ら行
(10)わ行