「狂歌と落首」は「庶民たちの声なき声」の代弁者?

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贅沢は敵だ

現代の日本では、「言論の自由」が保障されており、人々は自由に自分の考えや思いを発表することができます。一応建前上はそうなっていますが、内容によっては組織内や地域社会の中で、自由にものが言えない場合もあります。

1.狂歌

「狂歌」は、古くは平安時代からあるそうですが、盛んになったのは江戸時代中期で、特に「天明狂歌」の時代は、一種の社会現象にまでなったようです。

「狂歌師」としては、大田南畝(大田蜀山人)や宿屋飯盛(やどやのめしもり)という狂名(きょうみょう)を持つ石川雅望が有名ですね。

代表的な狂歌としては、次のようなものがあります。

「はたもとは今ぞ淋しさまさりけり 御金もとらず暮らすと思へば」享保の改革で旗本への給与が遅れたことを風刺したもの。元歌は、「山里は冬ぞ淋しさまさりける 人目も草も枯れぬと思へば」

「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」「世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶといふて夜も寝られず」  寛政の改革を風刺したもので、田沼意次の時代を懐かしんでいます。四字熟語で言えば「水清無魚(すいせいむぎょ)」「蚊雷殷殷(ぶんらいいんいん)」といったところでしょうか。

老中水野忠邦が林肥後守・水野美濃守と共に実施した天保の改革では、「肥後ろから金で覚悟はしながらも こう林とは思はざりけり」(林肥後守忠英を風刺)。「水野あわ消えゆく後は美濃つらさ 重き仰せを今日ぞ菊の間」(水野美濃守忠篤を風刺)

「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も眠れず」     黒船来航の際の幕府の大騒動を風刺したもの。

2.落首(らくしゅ)

「落首」は、「落書(らくしょ、おとしがき)」とも言います。しかし今でいう悪戯書きの「落書き」とは違います。また、最近社会問題になっている「壁などへのスプレーによる絵の落書き」とも全く違います。「狂歌」によく似た「風刺」と「ユーモア」の利いたものです。

代表的な「落首」としては、次のようなものがあります。

「末世とはほかにはあらじ木の下の 猿関白を見るにつけても」(関白秀吉を風刺)

「大仏のくどくもあれや鑓(やり)かたな くぎかすがいはこだからめぐむ」(秀吉の刀狩りと、大仏の功徳による茶々懐妊を風刺)

「太閤が一石(一国)の米を買いかねて 今日も五斗買い(御渡海)明日も五斗買い」(太閤秀吉の朝鮮出兵を風刺)

「御所柿は独り熟して落ちにけり 木の下に居て拾う秀頼」(徳川家康の老衰で間もなく死ぬので、棚ぼた式に政権が豊臣秀頼に転がり込むという願望を表す落首ですが、これは実現しませんでしたね)

「内匠(たくみ)けり宵からあすのかたきうち 本所で終(つい)に吉良(きら)れ上野(こうずけ)」「浅野間に内匠し事のかひありて 古きずともに吉良れ上野」「たのもしや内匠の家に内蔵(くら)ありて 武士の鏡を取り出(いだ)しけり」(赤穂浪士の討ち入りを賞賛・風刺)

「食うて寝て働きもせぬご褒美に 蚊族(華族)となりて亦も血を吸う」(明治維新の華族制度を風刺)

「ぜいたくは敵だ!」という立て看板を、「敵」の前に「」を挿入して「ぜいたくは敵だ!」に勝手に書き換え(戦時中の贅沢禁止令を風刺)

この戦時中の落首の話は、私が大学1年の時に社会学の教授から「実体験」として聞いた話なので、本当にあったことです。

「狂歌」「落首」は、匿名(「詠み人知らず」)による社会批判・政治批判・世相批判・人物批判を、ユーモアを混じえて風刺したもので、言論の自由のない時代の庶民の「声なき声」を代弁したものと言えるのではないでしょうか?



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