「大河小説」と「教養小説」

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ロマンロラン

皆さんは「教養小説」という言葉をお聞きになったことがあるでしょうか?

「教養小説」は、ドイツ語の「Bildungsroman」の訳語です。Bildung(教養)は「自己形成」を意味しています。ドイツで成立した小説の一ジャンルで、伝記の形式を取りながら、若者である主人公が様々な体験を積み重ねながら成長し、人間形成し、人格を発展させて行く過程を描き、人間的価値を肯定する小説です。

ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの徒弟時代」と「ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代」がその源流と言われています。

「教養小説」とよく似た小説のジャンルに「大河小説」があります。この言葉は、ロマン・ロランが自作の「ジャンクリストフ」を大河に喩えたことに由来します。これは、ある人物、家族あるいは一群の人物を中心に、一時代の社会を広く捉えようとした、極めて長い小説のことです。

ここでは、「教養小説」か「大河小説」かを厳密に区別することはせず、いずれかの特徴を持つ小説をご紹介します。

1.ジャンクリストフ(ロマン・ロラン)

これは、ベートーヴェンをモデルにした作品で、「あらゆる国の悩み、闘い、それに打ち勝つ自由な魂たち」に捧げて執筆したと言われており、ノーベル文学賞受賞作品となりました。浪人生が勉学意欲を奮い立たせるために熱心に読む本だと聞いたことがあります。確かに「inspire(鼓舞)」する力をとても感じる小説です。

2.次郎物語(下村胡人)

テレビドラマにもなりましたので、ご存知の方も多いと思います。幼少時に里子に出された次男の次郎は、里親の方に懐き、実家に戻されても、馴染めなくて反抗的な態度を示すため、祖母や生母から継子いじめのような扱いを受けます。しかし様々な困難に会いながらも成長して行く物語です。

3.路傍の石(山本有三)

「次郎物語」と並ぶ日本の代表的な教養小説です。主人公の吾一は、成績優秀ながら、家庭の経済的事情で上級学校へ行けず、呉服屋へ丁稚奉公に出され、主人や先輩のいじめに遭い、主人の息子(元同級生)や娘(吾一の初恋の相手)からも見下されるなどの苦労を重ねます。呉服屋を飛び出した後も、様々な困難に出会いますが、「文選工」の仕事を見つけ、最終的には「出版事業」を手掛けるまでになります。何度も映画化されましたので、ご覧になった方も多いのではないでしょうか?

4.人間の運命(芹沢光治良)

芹沢光治良は、川端康成の後を受けて「日本ペンクラブ会長」の要職に就いた小説家ですが、有名な作品は少ないようで、私も「人間の運命」以外の作品は読んでいません。

生家は網元ですが、父親が天理教に入信し、無所有の伝道生活に入ったため、叔父夫婦と祖父母に育てられ、旧制中学卒業後、小学校の代用教員をするなど苦労を重ねますが、一高・東大を経て官僚となります。その後、官僚を辞しソルボンヌ大学に留学しますが、結核にかかりサナトリウムで療養生活を余儀なくされます。この小説は、多少の脚色はあるでしょうが、彼の経歴とほとんど同じ自伝小説です。

特に印象的なのは、彼と義兄弟の約束を交わした百武源吾(ひゃくたけげんご)海軍大将との交友関係です。「事実は小説よりも奇なり」という言葉がありますが、普通では考えられない固い信頼関係で結ばれた義兄弟です。パリで出会った百武大将はよほど彼に惚れ込んだものとみえます。

5.魔の山(トーマス・マン)

これは、トーマス・マンの代表作として有名ですが、読み進むのがとても大変な小説です。まだの方は、一度挑戦してみて下さい。引き込まれるように読み進める本ではありません。サナトリウムに療養中の従兄弟の見舞いも兼ねて軽い転地療養のつもりで行った主人公が、やがて結核に感染し、7年間もサナトリウムでの療養生活を余儀なくされます。そこでの療養患者たちとの会話が延々と展開されます。

主人公ハンスを教化しようとする「世界共和国」の理想に燃えるイタリア人は、「フリーメイソン」でした。

6.楡家の人々(北杜夫)

斎藤茂吉(歌人で医師)を父に持つ北杜夫は、「どくとるマンボウ航海記」や「どくとるマンボウ昆虫記」などで有名な小説家・エッセイスト・精神科医です。

私は彼と同じように昆虫が大好きなので、「どくとるマンボウ昆虫記」は楽しく読みましたが、彼の真骨頂はやはり「楡家の人々」ではないかと思います。自身の家族をモデルに、大正、昭和戦前期にわたる精神科医一家を描いています。

7.チボー家の人々(マルタン・デュ・ガール)

カトリックの裕福な実業家チボー家の二人の息子とその友人(プロテスタント)の3人の少年の青春を通じて、第一次世界大戦(1914年~1918年)前後の10年間のヨーロッパにおけるブルジョア社会や思想状況が描かれています。しかし現在では、「資本主義」と対立するイデオロギーとしての「社会主義」や「共産主義」が幻想であることがはっきりしているので、社会主義の理論闘争にはあまり興味が湧かないのではないかと思います。また、キリスト教各派の教理論争もあまり面白くないと思います。

8.大地の子(山崎豊子)

山崎豊子には、「大地の子」のほかにも、「二つの祖国」や「不毛地帯」のように太平洋戦争によって翻弄され、人生を狂わされた人々を描いた小説があります。しかし、私が一番強烈な印象を受けたのは、この「大地の子」です。

長野県から満蒙開拓団として入植し、家族と共にソ連国境近くの開拓地で平穏な生活を送っていた主人公は、1945年(昭和20年)8月9日の突然の(日ソ不可侵条約違反の)ソ連対日参戦により、避難を余儀なくされます。一家は、過酷な避難行やソ連軍の虐殺によって、祖父と母、末妹を失います。この時父親は陸軍に召集されており、満州に居場所は無くなったのです。

そして5歳の妹とも生き別れになり、中国人農家に売られて酷使される日々を過ごします。奴隷のような扱いに耐えかねて逃げ出したものの、長春で人買いの手にかかり、売られそうになります。そこで小学校教師の陸徳志に助けられ、陸一心と名付けられます。子供の無い陸徳志は、実の子のように愛情を込めて育ててくれます。

その後、様々な苦難を経て、陸一心は、日中共同の一大プロジェクトである製鉄所建設チームで働くことになり、図らずも日本の製鉄会社の上海事務所長の実父と対峙することになります。

その後、養父の仲介で父子水入らずの三峡下りの旅行に行き、実父から日本に来て一緒に暮らそうと誘われますが、「私はこの大地の子です」と答えて中国に残る決意をするという物語です。

もし、読んでいない方がおられましたら、ぜひ一読されるようお勧めします。

蛇足ながら、彼らは一般に「中国残留孤児」と呼ばれていますが、彼らはもともと、決して「自分の意志で」中国に残留したのではありません。山崎豊子も決してこの言葉を使いません。彼らは戦争に翻弄され、日本・ソ連・中国の三つの国から理不尽な苦難を与えられた「戦争孤児」なのです。このことは、肝に銘じておく必要があると思います。