70年代の「学生運動」は旧制高校のストームや青春時代の熱病のようなもの

フォローする



東大安田講堂攻防

私が高校2年の時(1966年)、全校集会で当時の生徒会長が「能研テスト反対」のアジ演説のような発言をしました。「能研テストを受けることは、国家による歴史認識を強制されることで、国家による教育の支配につながる」という風な趣旨だったと思います。私は、この発言を聞いて「左翼の人によくある馬鹿の一つ覚えのようなステレオタイプの発言だな」と思って、醒めた思いで聞き流していました。

これに対して、「能研テストは有意義であり、国家による教育の支配にはつながらない」と、泣きながら抗議した勇気ある男がいました。彼は私と同学年で、東大文学部を卒業後、出版社に勤めていましたが、惜しいことに早逝しました。この「能研テスト」がその後どうなったのか私はよく知りませんが、「共通第一次学力試験」や「大学入試センター試験」につながったのでしょうか?

それはともかく、こういう高校生によるアジ演説のような政治活動(?)は、東大紛争やそれに続く各地の大学紛争の前触れだったのでしょうか?60年安保の時も全学連に代表される学生運動が盛んでしたが、70年安保の時も全共闘(全学共闘会議)や新左翼などの学生活動家が、ヘルメットに覆面姿でゲバ棒を持ってセクト争いを繰り返したり、ジグザグ行進をしたりしました。講義時間の最中でも大学構内の広場に立って、大声で「インターナショナル」(革命歌)をがなり立てていました。

70年安保の頃、特に印象に残っているのは、1969年11月「栄ちゃんを羽田まで見送りに行こう!」という「佐藤首相訪米阻止闘争・安保反対デモへの参加」を呼び掛けるちょっとユーモラスな文句が「立て看板」に踊っていたことです。私は多くの学生と同様「ノンポリ(nonpolitical)」(「政治活動に関心がない、または学生運動に参加しない学生」のこと)に徹していました。

しかし、ばんばひろふみさんが歌って流行した「いちご白書をもう一度」(作詞・作曲:荒井由実)の歌詞のように、就職活動の時期になると、学生運動をしていた人達の多くがさっさと学生運動から足を洗い、大手企業や大手新聞社などに入社し、日本の高度成長に貢献する企業戦士に転身(変身?)して行きました。

こうして今思い出して見ると、70年代の学生運動は、戦前の旧制高校の「ストーム」(学生寮で学生が集団で行った蛮行やバカ騒ぎのこと)のような、「青春時代の熱病」だったのでしょうか?