「明日の記憶」は若年性アルツハイマー病の夫と、苦悩や痛みを共有して苦闘する妻の物語

フォローする



明日の記憶

1.明日の記憶

2006年(平成18年)のこと、落語と読書と映画が大好きな会社の同僚に勧められて、「明日の記憶」という矛盾した言葉をタイトルにした映画を、夫婦で見ました。渡辺謙さんが「若年性アルツハイマー病」になる主人公役で、樋口可南子さんがその妻を演じていました。

この映画の原作は、荻原浩(おぎわらひろし)さんの小説で、2005年の第18回山本周五郎賞を受賞しています。同年の第2回本屋大賞第2位にもなっています。

主人公は、49歳で仕事一途の広告代理店のやり手営業マン。大きな契約も取って、娘の結婚も決まるなど順風満帆なところへ、突如物忘れが激しくなったり、めまい・幻覚などの症状が彼を襲います。病院を受診した結果、「若年性アルツハイマー病」との診断でした。

それから、奥さんも巻き込んだ病気との壮絶な戦いが始まります。互いを受け止めあい、痛みを共有する熟年夫婦の姿が見事に描かれています。

2.若くして脳腫瘍になった会社の同僚の話

私は、この映画を見る前に、同じ会社の同僚で、若くして脳の病気に冒された40代の人の最後の姿を見ているので、オーバーラップする部分がありました。彼は会話の途中でろれつが回らなくなったり、言葉が出なくなったりしたので、病院に行き脳の病気だとわかりました。

これは、腫瘍が出来て、脳の「記憶」や「空間学習能力」をつかさどる「海馬(かいば)」という器官に損傷を来たしたようです。脳の切開手術をするか、薬物療法で様子を見るか迷っているという話も聞きましたが、結局薬物療法に決めたようです。

その後、比較的軽い仕事の部署に移りましたが、実質的に仕事をすることは出来ず、朝出勤すると昼食まで、休憩室で寝ていて、昼食後もずっと寝ていて、定時退出する日々でした。

私がたまたま彼と昼食を共にした時、昼食後喫茶室の自動販売機の前に彼がずっと立ち尽くしているので、「コーヒーを飲むのか?」と聞くと頷くので、百円玉を入れてやり、好きな飲料を選ばせました。多分、以前なら簡単にできた自販機での飲料購入手順がわからなくなっていたようです。

確かに人間は、脳の指令で複雑な手順の動作も難なくこなすことが出来るのですが、脳の機能に障害を来たすと、それが困難になることを目の当たりにして愕然としました。

1ケ月ほどして、彼が出勤しない日がありました。自宅に電話すると、奥さんは「いつも通り出勤しました」とのことでした。

それを受けて、朝10時ころから幹部社員数人が会議室に籠って「小田原評定」を続けていました。多分、事件や事故に巻き込まれていないか、警察に届け出るかどうかとか、本店の所管部との相談などに時間を費やしていたようです。GPS付きのスマホも普及していない頃で、たとえ携帯電話を持っていても、電話に出ることは無理だったと思います。

そして、午後4時になったころ、中堅の営業マンの「彼は昼食も何も食べていないはずだ。人ひとりの命にかかわることで、一刻の猶予もない。皆で手分けして地下鉄の駅周辺を捜そう」という一言で、やっと幹部社員も動き、彼の通勤経路の地下鉄御堂筋線の難波から、心斎橋・本町・淀屋橋・梅田までの各駅に4~5人ずつが一組になって大捜索をすることになりました。

その結果、私が参加した難波駅での捜索で、方々捜した結果ほぼ諦めかけていた時、彼が意識朦朧の状態で、フラフラ地下道を歩いて来るところを見つけ、無事奥さんに引き渡すことが出来ました。

彼の地下鉄のプリペイドカードの乗降記録を見ると、江坂駅で乗降している記録もあったので、本来淀屋橋で降りるべきところを間違って江坂駅に降りて、道がわからなくなり、飲まず食わずで8時間以上もさまよっていたようです。

彼の奥さんは、彼に対してかなり前から「もう会社へ行くのは無理だから休むように」と頼んでいたそうですが、彼は責任感からか頑として「会社にはどうしても行く」と言い張って今日の事態となったようです。

その後、まもなく彼は亡くなりました。病名は公表されませんでしたが「脳腫瘍」だったと思います。私は、頭脳明晰だった若い頃の彼を知っているだけに痛ましい気持ちでした。

明日の記憶 ラストシーン