最近はニュースを見ても、情報番組を見ても「コロナ」と「大雨」ばかりで息が詰まりそうになっていたところ、たまたまBSテレ東制作の3時間スペシャル「昭和歌謡の輝き!思い出を紡いだ伝説の作家7人」(2020/7/7、午後7:00~9:49)があったので、ついつい最後まで見てしまいました。
この番組は、昭和歌謡界を牽引した作曲家・作詞家から「伝説の作家」7人をピックアップし、名曲が生まれた背景にあった驚きのエピソードを懐かしいヒット曲とともに紹介するものでした。その7人とは、古賀政男・遠藤実・市川昭介・船村徹・三木たかし(以上作曲家)、星野哲郎・阿久悠(以上作詞家)です。
そこで私は改めて、「音楽を聴くのに歌詞(作詞家)とメロディー(作曲家)のどちらが重要か?」「歌手の力はどのくらいか?」という疑問に突き当たりました。
あなたは「メロディーから入る派」ですか?それとも「歌詞から入る派」ですか?そして、歌手の力はどの程度影響があると思われますか?
1.歌詞(作詞家)の力
星野哲郎(1925年~2010年)が作詞した「みだれ髪」(美空ひばり)、「男はつらいよ」(渥美清)、「兄弟船」(鳥羽一郎)、「いっぽんどっこの唄」(水前寺清子)のほか、「なみだ船」「兄弟仁義」「函館の女」「風雪ながれ旅」などの北島三郎の歌を多数作詞しています。
彼は憧れていた遠洋漁業の船員になりましたが、腎臓結核のために断念し、闘病中に歌謡同人誌に投稿するようになり、プロの作詞家となったそうです。
阿久悠(1937年~2007年)は「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)、「北の宿から」(都はるみ)、「雨の慕情」(八代亜紀)、「ジョニィへの伝言」(ペドロ&カプリシャス)、「思秋期」(岩崎宏美)、「熱き心に」(小林旭)、「もしもピアノが弾けたなら」(西田敏行)、「時代おくれ」(河島英五)など、それぞれの歌手に合わせた多彩な作詞をしています。
作曲家筒美京平とのコンビで岩崎宏美の曲を多く作詞していますが、作曲家都倉俊一とのコンビでピンクレディーの曲の作詞もたくさんあり、シングル売上枚数上位を占めてます。
オリコン調べによると、シングルの「歴代作詞家総売上枚数」で、秋元康に次ぐ2位となっています。
彼は大学卒業後、広告代理店に入社し、コピーライター・CM制作を手掛けながら、放送作家としても活動し、その後作詞家に転身した人で、タイトルを決めてから作詞するそうです。
2.メロディー(作曲家)の力
古賀政男(1904年~1978年)は、貧しかった幼少期の思い出を原点に「古賀メロディー」を紡ぎ出しました。歌手藤山一郎とのコンビで、「影を慕いて」「東京ラプソディー」「丘を越えて」「酒は涙か溜息か」などの名曲を作曲しました。なお「影を慕いて」だけは自身の失恋体験をもとにして自ら作詞したものです。
遠藤実(1932年~2008年)は、舟木一夫・千昌夫・森昌子など多くの歌手を育てました。生活は貧しく音楽だけが支えで、17歳で上京して流しの演歌師をやりつつ、独学で作曲を習得し、舟木一夫に提供した「高校三年生」「修学旅行」「学園広場」などの青春歌謡で名声を確立しました。彼にはこのような学園生活の経験はなかったそうです。
市川昭介(1933年~2006年)は、両親を早く亡くし、高校卒業後歌手を目指して上京しました。人気歌手の付き人をしながら作曲法とピアノを習得しています。「アンコ椿は恋の花」「涙の連絡船」「大阪しぐれ」「好きになった人」などを都はるみに提供し、「はるみ節」を完成させました。
船村徹(1932年~2017年)は、生まれ故郷の日光市の自然豊かな原風景を心の支えにスケールの大きい人間ドラマをメロディーにしました。座右の銘は「歌は心でうたうもの」で、「みだれ髪」「ひばりの佐渡情話」「哀愁波止場」「三味線マドロス」など多くの曲を美空ひばりに提供しました。
三木たかし(1945年~2009年)は、10代半ばで歌手を志しましたが、作曲家に転身しました。ポップス・演歌・ミュージカル・アニメソングとジャンルを問わずヒット曲を量産しました。テレサ・テンに日本での復活を象徴する三部作「つぐない」「愛人」「時に流れに身をまかせ」を提供したほか、「別れの予感」も作曲しています。
3.歌詞とメロディーの重要性の比較
「歌詞とメロディーのどちらが重要か?」と言えば、私はメロディーの方が重要だと感じます。もちろん、人によっては歌詞の方が重要だと感じる人がいるのは当然です。
土井晩翠の「荒城の月」も、瀧廉太郎の作曲があったからこそ人口に膾炙する名曲として人々に知られるようになりましたし、高野辰之が作詞した「故郷(ふるさと)」「春の小川」「朧月夜」「紅葉」「春が来た」などの小学唱歌も、岡野貞一の作曲によってはじめて「日本人の心のうた」とも言うべき多くの国民の愛唱歌となりました。
ビートルズやカーペンターズの曲も、歌詞の意味は正確に知らない人が多いと思いますが、多くの日本人が口ずさむポップスです。
「埴生の宿」(イングランド民謡:Home! Sweet Home!)、「庭の千草」(アイルランド民謡:The Last Rose of Summer)、「蛍の光」(スコットランド民謡:Auld Lang Syne)、「故郷の空」(スコットランド民謡:Comin’ Thro’ the Rye)のようなイギリスの民謡も、日本語の歌詞を付けて学校の音楽の授業で習いましたので、日本人とイギリス人との共通の愛唱歌になっています。
余談ですが、「故郷の空」の原曲「Comin’ Thro’ the Rye」(ライ麦畑で出逢うとき)の歌詞は、「誰かと誰かがライ麦畑で出逢うとき、2人はきっとキスをするだろう。何も嘆くことはない。誰でも恋はするものだから・・・」という戯れ歌です。なかにし礼作詞でザ・ドリフターズが歌った替え歌の「誰かさんと誰かさん」の方が原曲の歌詞に近いものです。
今は「シンガーソングライター」が多くなって、プロの作詞家や作曲家にとっては「冬の時代」かもしれません。
谷村新司の「昴」や、井上陽水の「少年時代」は、解釈が難しい部分もありますが、ストーリー性が確かにあり、メロディーも心地よいものです。しかし最近の多くのシンガーソングライターの歌詞は内容の希薄な意味不明のものが多いように感じます。
これらのことを考えると、やはりメロディー(作曲家)の力の方が大きいように思えます。
もちろん、作曲家と作詞家の力以外に、歌手の力も大きいと思います。いくら「歌が上手」でも「心に響かない歌しか歌えない歌手」もいます。その点、美空ひばりやテレサ・テンの歌は心に響くものがあります。
いくら良い歌詞とメロディーがあっても、歌手の力量がなければ、その歌はヒットせず、人々の心に残りません。
「まちぶせ」も、松任谷由実が作詞・作曲し、最初三木聖子が歌いましたが不発でした。しかし石川ひとみがカバーして歌い、彼女の最大のヒット曲となりました。
「なごり雪」も、伊勢正三が作詞・作曲したもともとは「かぐや姫」の楽曲ですが、イルカがカバーして歌い、彼女の最大のヒット曲となりました。
作詞家の星野哲郎と北島三郎、阿久悠と岩崎宏美、作曲家の古賀政男と藤山一郎、遠藤実と舟木一夫、市川昭介と都はるみ、船村徹と美空ひばり、三木たかしとテレサ・テンのような作詞家・作曲家と歌手の「名コンビ」もありました。