<2021/4/26追記>羽生結弦の「北京五輪は考えていない」発言は不公正な採点への抗議か?
大阪で開催された「世界フィギュアスケート国別対抗戦」(4月15~18日)で、男子フリーの演技後に、海外メディアからのオンライン取材に応じた彼は、「今週、喘息で問題はあったか?北京に行って喘息の問題が出ることは?」との失礼で悪意に満ちた質問に、「北京五輪のことは考えていません。今年、東京五輪が開催されるといいなと思っています。ぼくは喘息の問題は抱えていません。この大会に向けて体調は問題なかったです」と答えました。
彼はショート・フリーともに今シーズン自己ベストを更新しましたが、いずれもネイサン・チェン(米)に敗れて2位で、日本チームはロシア・米に次いで3位でした。
問題は「不公正な採点」にありました。「技術点」「演技構成点」ともに審判の採点によって決まるのですが、彼の完璧な3回転トリプルに対する「出来栄え点(GOE)」があまりにも不自然に低すぎたのです。
実際、世界選手権での女子シングルの紀平梨花選手や坂本花織選手の採点でも「厳しすぎる」という声が多く上がっていました。
日本選手を狙い撃ちにした「恣意的な低評価採点」の疑いも濃厚です。羽生結弦選手の堪忍袋の緒が切れたとしても不思議ではありません。
前に「芸能や芸術の大半は『瞬間芸術』だ」という記事を書きましたが、今回は「スポーツ」でも「瞬間芸術」のような要素の「芸術点」のある「フィギュアスケート」と「新体操」について考えてみたいと思います。
時と場所を共有している(テレビの視聴者も含めて)人々のためだけの、すなわち「here and now」の「聖なる一回性」の演技と言えると私は思います。
1.フィギュアスケート
日本ほど「フィギュアスケート」の人気が高い国はないのではないかと思うほど、外国の大会でもリンクの周りには日本企業のCMだけが目立ちます。男女ともに世界で戦える選手が常に複数いることが人気の秘密でしょう。
このフィギュアスケートの「採点」は、「技術点」と「演技構成点」に分かれていますが、「演技構成点」は従来の採点方法の「芸術点」を細分化したものです。
「演技構成点」は、「スケーティングスキル」「つなぎ」「パフォーマンス」「振付・構成」「曲の解釈」の5項目から成っています。
「音楽コンクール」などに比べて、明確な採点基準が設けられているようですが、「動体視力」もさることながら、「審判の主観に左右される」という点は、他の「芸術分野」の採点にも共通する煮え切らない点です。
2.新体操
最近は新体操の有力選手が少なくなったせいか、あるいはテレビ放送が少ないためかあまり見ていませんが、山崎浩子選手が活躍していたころはよく見ていました。
この競技も「芸術点」が重要なものと思っていましたが、今回調べてみると意外なことに現在の採点方法は「演技の難度を示すDスコア」と「実施の出来栄えを示すEスコア」のみで「芸術点」はありません。
しかし、「FIG」(国際体操連盟)は、東京五輪後の2021年シーズンから演技の芸術性を評価する得点区分を新設する方針を2018年に決定したとのことです。
21年シーズンからは、芸術性や美しさを高めるために、音楽との調和やダイナミックな変化、アイデアなど芸術的な要素を、これまで組み込まれていたEスコアから独立させて「芸術点」として採点することにしました。
ただ、フィギュアスケートと同じように、「審判の主観に左右される」という問題点は残ります。
両競技とも、録画もあるとはいえ採点は「瞬間芸術」と同様に、いかに瞬間の演技を公正に評価できるかが、競技の「採点の信頼性」を高めることになると私は思います。