安井息軒とは?森鴎外の「安井夫人」は彼の生涯を描いた伝記小説。

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安井息軒

皆さんは江戸時代の儒学者安井息軒のことをご存知でしょうか?

森鴎外の「安井夫人」は彼の妻・佐代がモデルだと言えば、「ああそうか」と思い出す方もおられるかもしれませんが、詳しいことは知らない人がほとんどだと思います。

そこで今回は、安井息軒についてわかりやすくご紹介したいと思います。

1.安井息軒(やすいそっけん)とは

安井息軒(1799年~1876年)は、日向国宮崎郡清武郷出身の朱子学派の儒学者です。飫肥(おび)藩士で学者であった安井滄洲の次男です。

安井息軒の業績は「江戸期儒学の集大成」と評価され、近代漢学の礎を築きました。また門下からは谷干城や陸奥宗光など延べ2,000名に上る逸材を輩出しました。

彼の生きた時代は、国外では産業革命を経た帝国主義の欧米列強がアジアの植民地支配に乗り出した時期です。国内では政治の乱れや一揆の多発、海外諸国からの圧力で幕府の鎖国政策も揺らぎ始めるなど政治情勢が不安定でした。

21歳の時大坂に出て篠崎小竹に学び、次いで江戸へ出て26歳で「昌平黌」(昌平坂学問所)に入り、松崎慊堂に師事しました。

飫肥藩校の助教や昌平黌教授を歴任し、儒官として活躍しました。40歳の時に江戸で私塾「三計塾」を開いています。考証に優れていましたが、海防・軍備の必要を論じるなど現実政治にも関わり、洋学にも関心を示しました。

1853年のペリー、続いてプチャーチンの来航に際し、「海防私議」を著して時事を説き、水戸藩主の徳川斉昭に認められました。

彼は晩年、「瓦全(がぜん)」という言葉で自分の人生を表現しています。これは「大したこともせず、無為に長く生き永らえる」という意味ですが、もちろん謙遜です。

なお「瓦全」の反対語が「玉砕(ぎょくさい)」です。これは太平洋戦争中に大本営が「日本軍部隊の全滅」を意味する言葉として用いましたが、「玉のように美しく砕け散ること、大義・名誉などに殉じて潔く死ぬこと」です。

「玉砕瓦全」という四字熟語がありますが、これは「大丈夫は寧(むし)ろ玉砕す可(べ)く、瓦全たる能(あた)わず」を略した言葉で、「北斉書」北景安伝が出典です。

余談ですが、彼は幼少の頃に「天然痘」に罹って片目が失明し、顔面に疱瘡痕(あばた)が多くあったそうです。

江戸時代は多くの人が天然痘にかかりました。「米百俵」のエピソードで知られる小林虎三郎も天然痘で片目を失明しています。東山天皇や孝明天皇も天然痘で崩御したとの記録があり、夏目漱石も天然痘に罹り「あばた」が残っていました。漱石の場合は「予防接種の失敗」が原因で天然痘に罹ったそうです。

2.「三計の教え」とは

一日の計は朝に有り。一年の計は春にあり。一生の計は少壮の時にあり。

これが彼の「三計の教え」です。現代でも「一年の計は元旦にあり」と言いますし、シンプルでわかりやす教えです。最初からしっかり計画を立てることの大切さを教えるものです。

彼の私塾の名前も「三計塾」です。

なおこの「三計の教え」の由来となっているのは、中国・明の官僚で学者の憑慶京(ひょうおうきょう)の「月令広義(げつりょうこうぎ)」の中にある「一日の計は晨(あした)にあり、一年の計は春にあり、一生の計は勤にあり、一家の計は身にあり」です。これは「四計」と呼ばれています。

またよく似た言葉に、戦国時代の武将・大名の毛利元就(1497年~1571年)が語ったとされる「一年の計は春にあり、一月(いちげつ)の計は朔(ついたち)にあり、一日の計は鶏鳴にあり」があります。

3.「安井夫人」とは

森鴎外(1862年~1922年)の小説「安井夫人」は、安井息軒の生涯を描いた伝記小説です。彼の生涯と、16歳の若さで彼女みずからの意思で彼に嫁いだ佐代夫人の心境を交えた物語です。

息軒は背が低く色黒の上、子供の頃の天然痘が原因でひどいあばた面の醜男でした。一方、佐代は評判の美しい女性でした。この縁談はもともと彼女の姉に持ち込まれたものですが、姉が断ったのを受けて、自分から母親に申し出て嫁入りしました。

彼女は終生夫に仕え、4人の娘と2人の息子を産みました。そして51歳で亡くなっています。

下の画像は「安井息軒旧宅」です。

安井息軒旧宅

青空文庫「安井夫人」でも読むことができますので、ご興味のある方はご一読ください。彼女の生き方に何か感じることが必ずあるはずです。

 お佐代さんは夫に仕えて労苦を辞せなかった。そしてその報酬には何物をも要求しなかった。ただに服飾の粗に甘んじたばかりではない。立派な第宅ていたくにおりたいとも言わず、結構な調度を使いたいとも言わず、うまい物を食べたがりも、面白い物を見たがりもしなかった。
お佐代さんが奢侈しゃしを解せぬほどおろかであったとは、誰も信ずることが出来ない。また物質的にも、精神的にも、何物をも希求せぬほど恬澹てんたんであったとは、誰も信ずることが出来ない。お佐代さんにはたしかに尋常でない望みがあって、その望みの前には一切の物が塵芥ちりあくたのごとく卑しくなっていたのであろう。
お佐代さんは何を望んだか。世間の賢い人は夫の栄達を望んだのだと言ってしまうだろう。これを書くわたくしもそれを否定することは出来ない。しかしもし商人が資本をおろし財利をはかるように、お佐代さんが労苦と忍耐とを夫に提供して、まだ報酬を得ぬうちに亡くなったのだと言うなら、わたくしは不敏にしてそれに同意することが出来ない。
お佐代さんは必ずや未来に何物をか望んでいただろう。そして瞑目めいもくするまで、美しい目の視線は遠い、遠い所に注がれていて、あるいは自分の死を不幸だと感ずる余裕をも有せなかったのではあるまいか。その望みの対象をば、あるいは何物ともしかと弁識していなかったのではあるまいか。

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