曹洞宗の開祖・道元とはどんな人物だったのか?その生涯と思想とは?

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道元

大晦日のNHK「紅白歌合戦」が終わった後の「ゆく年くる年」で、雪深い永平寺(下の画像)からの中継が何かありました。永平寺では12月1日~8日まで「蠟八接心」という「昼夜寝ずの座禅」が行われます。

雪の永平寺

この永平寺を大本山(もう一つの大本山は總持寺)とする禅宗・曹洞宗の開祖が道元で、日本で禅宗を広めた僧侶の一人です。

私は宗教を一切信じていませんが、「禅」は「哲学」や「自己省察」(内省)に近い要素があり、興味を持っています。「座禅」「瞑想」「マインドフルネス瞑想」などは、日本人だけでなく欧米人にも人気があります。

道元の思想は「ZEN」哲学として、欧米の知識人にも影響を与えています。

1.道元とは

道元(どうげん)(1200年~1253年)は、鎌倉時代初期の禅僧で、日本における曹洞宗の開祖です。晩年には、希玄(きげん)という異称も用いました。宗門では高祖承陽大師(こうそしょうようだいし)と尊称されます。諡号は仏性伝東国師、承陽大師。諱は希玄。道元禅師(どうげんぜんじ)とも呼ばれます。

道元は内大臣・源通親(みなもとのみちちか)(1149年~1202年)(「土御門通親(つちみかどみちちか)」「久我通親(こがみちちか)」とも言う)の子です。ただし、源通親の息子・通具(みちとも)(1171年~1227年)の子という説もあります。

子(または孫)の道元には何の責任もありませんが、源通親は「権謀術数を駆使し厚顔無恥に世渡りした宮廷政治家」として有名な公卿です。

母は関白・藤原基房(ふじわらのもとふさ)(1145年~1230年)の娘・藤原伊子(ふじわらのいし)(1167年?~1207年?)です。

2.道元の生涯

1200年、京で上級貴族の家系である久我家(村上源氏)に生まれました。

1202年に父・源通親が亡くなり、1208年頃には母も亡くなったため、母方の祖父である関白・藤原基房の養子となりました。

1214年、天台宗の総本山である比叡山(延暦寺)に上り、天台座主(てんだいざす)・公円のもとで出家しました。

1215年、比叡山を下山し、園城寺(おんじょうじ)(三井寺)の僧・公胤に師事しましたが、教学に疑問を抱きました。

「私欲や雑念があっては、悟りの境地には至れないはず。しかし周りの僧たちはみんな有名な高僧になって地位を得るために修行をしている。これは私欲であり、矛盾していないか?」

「天台宗の教えには『本来本法性天然自性身(人は生まれながらに仏性をもっており、ありのままで仏である)』というものがあるが、もとから仏なら、なんのために修行するのか?」

という疑問で、これを全山の学僧に尋ねましたが、満足な解答が得られませんでした。

そこでこの疑問の答えを得るために1217年、建仁寺(京都市東山区)で、臨済宗の開祖・栄西の弟子・明全(みょうぜん)について禅を学ぶことになりました。

しかしここでも疑問の答えを見つけることができず、1223年には明全とともに中国・南宋に渡りました。

最終的に1225年に天童山景徳寺で如浄禅師(にょじょうぜんじ)に師事し、悟りの境地に至って免許皆伝の印を受けました。

1228年に帰国し、禅の思想を広めるため『普勧座禅儀』を著しました。

1233年、京・深草にて興聖寺を創建し、武家を中心に思想を広めていくとともに、『正法眼蔵』の執筆を開始しました。この時期の弟子は総勢2,000人とも言われています。そのため旧仏教勢力である比叡山から激しい迫害や弾圧を受けることになりました。

貴族・権勢に近づくことを避けた道元は、旧仏教勢力の迫害や弾圧から逃れるために1243年、彼の教えに帰依していた六波羅評定衆で越前(福井県)の地頭・波多野義重(?~1258年)の引き立てにより、義重の所領・越前に拠点を移しました。翌年、傘松峰大佛寺(さんしょうほうだいぶつじ)(のちに永平寺に改名)を創建しました。

1248年、執権・北条時頼(1227年~1263)に招かれて鎌倉へ下向し、関東地方に教えを広めました。

1253年、永平寺を弟子・弧雲懐奘(こうんえじょう)に譲り、京にて没しました。

3.道元の思想

真言宗の開祖・空海(弘法大師)は、今でもお遍路さんに親しまれる存在ですが、天台宗の開祖・最澄(伝教大師)は、とんと馴染みがありません。そして現在、日本人の仏教と言えば親鸞が開祖の浄土真宗が圧倒的で、法然が開祖の浄土宗や、日蓮が開祖の日蓮宗を凌駕しています。真言宗や天台宗もほとんど聞きません。

しかし、道元が日本に紹介した禅宗は、宗教という枠を超えて「座禅」や「瞑想」の形で現代にも息づいています。

道元の思想は、座禅によって釈迦に還れと唱え、理論よりも実践を重んじました。

(1)只管打坐(しかんたざ)

道元が日本に持ち帰った教えの根本は、「只管打坐」です。「ただ座る(座禅する)だけでよい」というものです。

何も目的を持たず、何も考えず、ただ座るという修行で、すなわちそれが悟りの顕現であるとするものです。

禅の修行というのは、座禅を組み、目をつむってひたすらその行為にのみ集中することです。

この時「俺は座禅の修行をして、悟りを開くんだ!」などと考えながら行うと、その境地には至れません。

悟りを開きたいという欲望を持ちながら修行に挑むと、座禅を組んでいる間も「どうして俺は悟れないんだ?というか、悟りってそもそもなんなんだ?」などという、いろんな迷いが浮かんできます。

この状態は座禅という行為に集中しているのではなく、いろいろ想いを巡らせることに気を取られている状態です。本当に座禅のみに集中していれば、心に迷いは生じません。

道元に言わせれば、その平穏な状態のことを、悟りというのです。

つまり道元が疑念を抱いた「私欲のために修行をする僧たち」は、いつまで経っても悟りに辿り着くことはないのです。

(2)修証一如(しゅうしょういちにょ)

道元の教えでもうひとつ鍵となる考え方が、「修証一如」です。これは「集中して修行を行っている状態が、すなわち悟りである」ということです。「修証一等」とも言います。

悟りのための手段に修行があるのではではなく、修行と悟りは一体のものだということです。

これは何も修行だけでなく、日常の行い全てに当てはめられます。

悩み事を抱えていたりすると、勉強や仕事をしていても、あれこれ考えてしまって手につかないということがあります。

しかし現状を変えることができるのは、そのときやっている「行い」によってだけで、あれこれ悩んだところで状況は変わりません。

ただ、勉強や仕事に集中して頑張ることで解決できることはあるはずです。

何より上に述べたように、行いに本当に集中できていれば、余計なことに思い悩むことはありません。

こう考えてみると、行いに集中できていないことが、いかに生活の妨げになっているかがわかります。

(3)身心脱落(しんじんだつらく)

「身心脱落」は道元が悟りを開いた時のキーワードとして重要な言葉です。宋で禅修行をしている時に道元は「身心脱落」を経験し、悟りを開いたとされています。

「身心脱落」とは、悟りを求める自己を消滅させること、言い換えればあらゆる自我意識を捨て、世界をそのままに受け止める境地のことをいいます。

中村天風がヨガ修行を通じて体得した「心身統一法」という思想にも似ているように思います。

前に「父母未生以前本来の面目は何かという禅の公案と則天去私」という記事を書きましたが、「父母未生以前本来の面目」や「則天去私の境地」も道元の思想に通じるものがあるように私は思います。

なお、道元が疑念を抱いた「人は生まれながらにして仏である」という教えについては、道元はその答えを「我々は本来は仏だからこそ修行ができるのだ」と結論付けています。

4.道元の言葉

はづべくんば明眼の人をはづべし。
人の批判を気にするのなら、ものの道理が見通せる人からの批判を気にするべきだ。

学道の人は人情をすつべきなり
仏道を学ぶ人は人情を捨てるべきだ。これがよい、あれが悪いと考えるのをやめて、仏祖の言われたことにただ従うのがよい。

人は必ず陰徳を修すべし
人は必ず陰徳を修めなくてはならない。心のうちに信仰心を持って徳を積めば、必ず目にみえる幸せをいただくことができる。

学道の用心、本執を放下すべし。
学道の心得は、先入観を捨てることである。

学道の人、言(ことば)出さんとせん時は、三度顧て、自利利他の為に利あるべければ、これを言ふべし。
学道の人は、ものを言う前に三度考えて、自分のためにも他人のためにも有益となることなら言うのがよい。

たとい我れ道理を以ていふに、人僻事言ふを、理を攻めて言ひ勝つは悪しきなり。
たとえ自分が道理にかなったことを言って相手が間違ったことを言っていたとしても、理屈で攻め立てて相手に言い勝つことはよくない。相手を言い負かしもせず、自分が間違いだとも言わず、何事もなかったようにそのままやめるのがよい。

ただまさに、やはらかなる容顔をもて一切にむかふべし。
ただただなごやかな顔つきで、すべてのことに接することが大切である。

誠にそれ無常を観ずるの時、呉我の心生ぜず。
すべての事象は不変ではないと実感したとき、自我にとらわれる心は生じない。

5.道元の代表的著作『正法眼蔵』と弟子がまとめた『正法眼蔵随聞記』について

道元は全95巻という大作である『正法眼蔵』を生涯をかけて執筆しました。『正法眼蔵』は日本における和文で書かれた最初の本格的な仏教思想書です。

『正法眼蔵』には、仏教の神髄を解き明かすとともに、道元の思想が余すところなく書かれています。『正法眼蔵』は人間や世界の本質を問う哲学書としても高く評価され、スティーブ・ジョブズにも影響を与えたことはよく知られています。

なお、道元の弟子がまとめた『正法眼蔵随聞記(しょうぞうげんぞうずいもんき)』は道元が弟子に説いた言葉や、問答による講義などを克明に記したもので、難解とされる『正法眼蔵』を理解するうえで欠かせない副読本のような書物です。

『正法眼蔵随聞記』は親鸞の『歎異抄』と並んで、広く読まれて続けている仏教書のうちのひとつです。

なお、道元に影響を受けた人物としては、良寛橋田邦彦スティーブ・ジョブズなどがいます。

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