現在の日本は、急激な円安とロシアのウクライナ侵略による燃料費や原材料費の高騰などの結果、急激なインフレとなっています。
欧米各国の中央銀行が次々と「利上げ」に動く中、日銀の黒田総裁は頑なに「マイナス金利政策を維持する」としています。その結果、日米金利差がますます拡大し、投機筋の「円売りドル買い」が加速し、「1ドル140円」を突破し、150円も射程圏内に入っており、投機筋の中には170円になると予想する向きもあります。
このまま進めば、かつての「1ドル360円」に逆戻りしかねません。
その結果、第一次世界大戦後のドイツや終戦直後の日本のように「ハイパーインフレ」になる恐れも十分にあります。
1.今の日本の「悪性インフレ」の元凶は日銀の「マイナス金利政策」
以前にも私は、日銀の「マイナス金利政策」の誤りを指摘して来ました。
・日本銀行のマイナス金利政策や国債買い入れ政策は手詰まり状態で、転換が必要!
・「マイナス金利政策」は早急に中止し、金利を引上げて景気回復を実現すべき!
また、「デフレ脱却」を唱えた「アベノミクス」が、賃金上昇も伴う「良性インフレ」とならず、物価上昇のみで賃金が上昇しない「悪性インフレ」になっていることを指摘して来ました。
・安倍前首相が提唱した「アベノミクス」と「一億総活躍社会」はうまく行くのか?
表面的には「日米金利差による円安」とそれに伴う物価上昇となっていますが、元凶は日銀が「マイナス金利政策維持」に固執して、物価高を放置していることが根本的な原因です。
確かに国債の利払い負担が大幅に軽減されていますが、国民の生活への「副作用」の方が大きすぎます。
「物価の番人」で「物価安定がミッション」の日銀の職務怠慢としか言いようがありません。
自国通貨高はインフレ抑制のための強力な武器なので、ドル高・円安は米国の国益にも沿うものです。昔のように米国がドル高・円安進行にクレームをつけることもなければ、ドル売り介入を認めることもありません。
さらに世界中でインフレが進行してくると、「世界一の借金大国」(対国内総生産〈GDP〉)の日本に世界の注目は集まることになります。借金が大きいと支払金利が急増し、デフォルト(債務不履行)リスクを連想するからです。円は世界の投資家から忌避されると思われます。
これらの要因は、大幅な円安をもたらします。円安は、世界的な原料高などとともに、日本にもインフレ圧力となります。この時点で、日銀は窮地に陥ります。インフレを抑える手段がないからです。
2022年3月18日の大規模緩和の維持を決めた後の記者会見で、黒田東彦・日銀総裁は「金融政策を修正する必要性は全く考えていない」と述べましたが、「必要性がない」のではなく「引き締め手段をすでに失ったせい」だと思われます。必要がないと言わざるを得なかったのです。
2013年に黒田日銀が異次元緩和を行ったことにより、政府はデフォルトを回避しました。自国通貨のため、いくらでも紙幣を刷れるからです。
しかし、「紙幣をいくらでも刷れること」は「信用ある紙幣をいくらでも刷れること」を意味しません。刷りすぎれば紙幣価値の希薄化が進みます。今、日銀が直面している最大の問題は「財政ファイナンス(政府の支出を中央銀行の信用供与によって賄うこと)」の結果、日銀が債務超過に陥る危機に直面していることです。このような状態に陥っている中央銀行は日銀以外、世界に例はありません。
2.MMT理論は健全財政を否定する詭弁
最近、ハイパーインフレの危険性はないとする「MMT理論(現代金融理論)」があちこちで聞かれますが、これは詭弁です。
・MMT(現代金融理論)は健全財政を否定する詭弁でハイパーインフレの危険性大
3.インフレとハイパーインフレ
(1)インフレとハイパーインフレの違い
インフレとハイパーインフレの発生原因は全く違います。インフレは需給のアンバランスで起こりますが、ハイパーインフレは中央銀行の信用失墜で起こります。
他国が現在直面している危機はインフレですが、日銀が直面している危機はハイパーインフレリスクなのです。深刻度も「異次元」です。
2021年度上期の日銀の保有長期国債の平均利回りは0・226%。3月23日現在の10年物金利は0・22%ですから、あとほんの少し長期金利が上昇すれば評価損が発生します。発行国債の半分もの膨大な量の国債を保有しているのですから、評価損の額も膨大になる可能性があります。
(2)日本がハイパーインフレに陥る危険性
日銀が債務超過になれば、政府が資本投入すればよい、という人がいますが、現在の政府財務は毎年巨額な赤字です。債務超過分は日銀が刷った紙幣で国債を買い取り、政府がそのお金で資本投入をするとなれば「何、それ?」の世界です。タコが自分の足を食べるようなことを発表すれば、その瞬間に日本売りが始まるでしょう。
要は、日銀が金融引き締めをしようとすると、日銀自身が債務超過に陥ってしまうのです。債務超過は中央銀行の信用失墜の最たるものであり、そのような中央銀行が発行する通貨は暴落し、ハイパーインフレに進みます。
一方、債務超過を恐れて引き締めを回避すれば、インフレはますます加速します。もはや袋小路です。金融引き締めができなくなった中央銀行は、すでにその体を成していません。日本は悪性インフレかハイパーインフレに陥らざるを得ないのです。
4.ハイパーインフレの過去の実例
(1)第一次世界大戦後のドイツの猛烈なハイパーインフレ
第一次世界大戦後、ドイツでは物価一兆倍のインフレが起きました。
3年間で物価が2倍になることをハイパーインフレと言います。
しかしながら、ドイツで起きたインフレは、半年で物価が一兆倍なる空前絶後のインフレでした。
第一次世界大戦に敗戦したドイツは、戦勝国に莫大な賠償金を支払うよう求められました。しかし、膨大な軍事費用を投じた当時のドイツに賠償金を支払う体力はなく、債務不履行を理由に主要な工業地帯を占拠されてしまいました。
ドイツはこれに対抗する形で工業地帯の生産を停止しましたが、労働者や企業が生き残るために必要な貨幣を大量に発行したため、通貨の価値が大暴落し、一時1ドル1兆マルクとなるハイパーインフレを引き起こしました。
その後、アメリカの支援や新通貨「レンテンマルク」の発行を経てハイパーインフレを脱しました。
<ハイパーインフレーション期にドイツ帝国銀行で保管されている流通前のノートゲルト(緊急通貨)紙幣の束>
(2)終戦直後の日本のハイパーインフレ
日本に甚大な被害をもたらした太平洋戦争は、1945年8月15日に終戦を迎えました。
国民が保有する資産から負債を差し引いた正味資産である「国富(こくふ)」は、戦争によって653億円(現在価値で約800兆円)も失われたとされています。
これは戦争が無ければ残っていたと考えられる国富の4分の1にあたる規模であり、戦争が経済的にいかに大きな影響をもたらしたかが分かります。
そして戦後の日本を襲ったのが、すさまじいインフレ「ハイパーインフレ」です。
1946年2月16日夕刻に、「新円切り替え」という「事実上のデノミ」が行われました。
「新円切り替え」とは、幣原内閣が発表した戦後インフレーション対策として行われた金融緊急措置令を始めとする新紙幣(新円)の発行、それに伴う従来の紙幣流通の停止などに伴う通貨切替政策に対する総称です。
ハイパーインフレとは、物価が上昇する「インフレ」が急激に進むことで(通常の年間インフレ率は1~3%程度)、ハイパーインフレでは数十~数千%にも上昇する場合がありました。
日本の物価は、1934~36年の平均と比較して、1946年8月に21倍に、1948年6月にはなんと172倍にもなりました。
戦前に一戸建て家の購入できるほどの預金のあった人が、「新円切り替え」とその後のハイパーインフレによって、紙くず同然になって大損害を被ったという話を聞いたことがあります。今の貨幣価値で言えば、1億円の預金を持っていたのに58万円の価値しかなくなった(1億円÷172=約58万円)ということです。
「バブル崩壊」による株価大暴落に匹敵するかそれ以上の大損害です。
<新円切替。「証紙は右肩上部へ御貼ください」の張り紙。証紙貼り付け済み紙幣のみならず、証紙自体が直接市民に手渡されていたことがうかがえます>
5.終戦直後の日本のハイパーインフレの原因
日本で戦後にハイパーインフレが起こった理由として、まず「生産力の低下」が挙げられます。
戦争で多くの工場や機械、船などが焼失し、終戦によって軍需産業もなくなりました。
日本の生産力は急速に落ち込み、戦争で物資が不足していたところに、さらに安定的な物資の供給が困難となってしまったのです。
また1945年は、天候不良などで稀に見る凶作の年となり、コメや小麦などが不足し深刻な食糧不足に陥りました。
こうして物資や食糧の不足により、国内の需要が供給を大きく上回り、急激に物価が上昇していったのです。
そしてさらにハイパーインフレの引き金となったのが、戦後の財政悪化です。
戦争に巨額のお金がつぎ込まれたことは、誰でも容易に想像できるのではないでしょうか。
日中戦争を含む太平洋戦争で費やされた戦費は、日中戦争開戦当時のGDP(国内総生産)約228億円の9倍近くにものぼる、1,935億円(当時の金額)とされています。
とうてい税金でまかなえる金額ではなく、戦費は国債で調達されました。
さらに戦後にもGHQ(連合国軍総司令部)主導で様々な復興が行われ、その資金も多額の国債により調達されたのです。
日本政府が発行する大量の国債は、国の中央銀行である日本銀行が直接引き受ける形で購入します。その購入代金は、日銀がお金を供給して作り出します。
日銀が大量にお金を供給することで、通貨としての日本円の価値は急速に下落し、モノの値段は相対的に上がっていきました。
円安が進んで、海外からモノを輸入するときに輸入額が膨らんで輸入インフレが起こり、さらに通貨の価値が下がってインフレが進んでいったのです。
日本のハイパーインフレを抑え込むため、GHQは「ドッジ・ライン」と呼ばれる一連の経済安定政策を打ち出しました。
アメリカのデトロイト銀行頭取だったジョセフ・ドッジは、1949年に来日してGHQの経済顧問に就任すると、日本経済は「アメリカからの援助」と「日本政府の補助金」という2つの竹馬に乗っているようなものだと指摘しました。
それまで日本では、日本企業が有利になるよう、輸出の時は円安、輸入の時は円高のレートになるよう、商品ごとに為替レートが決められていました。
ドッジはこの為替レートを「1ドル=360円」に固定したほか、国の借金を減らすために、「歳入(収入)」を増やして「歳出(支出)」を減らす「緊縮財政」を行いました。
ドッジによる厳しい財政政策は、インフレの抑え込みに成功しましたが、同時にダメージを受けた日本企業も多く国内景気が冷え込み、日本はデフレ不況に陥ってしまったのです。
しかしその直後1950年に朝鮮戦争が勃発し、アメリカは日本を連合軍の補給基地として利用し、日本から衣料品や食料、鉄鋼などを大量に調達しました。
「朝鮮戦争特需」によって、日本は急激に需要が拡大して大量のドルを稼ぐことができるようになり、景気は一気に潤い、その後の高度経済成長へと突き進むことになります。