<ミロス島から出土したポセイドーン像(アテネ国立考古学博物館所蔵)>
『ギリシャ神話』はもともと口承文学でしたが、紀元前8世紀に詩人のヘーシオドスが文字にして記録しました。古代ギリシャの哲学、思想、宗教、世界観など多方面に影響を与え、ギリシャでは小学校で教えられる基礎教養として親しまれています。
絵画ではしばしばモチーフとして扱われ、多くの画家が名作を残しています。文学作品や映画などにも引用され、ゲーム作品でも題材になっていることがあります。たとえば、ディズニー映画の『ヘラクレス』はギリシャ神話をモデルにしたお話です。
『ギリシャ神話』(およびその影響を受けた『ローマ神話』)は、現在まで欧米人にとって「自分たちの文化の土台となったかけがえのない財産」と考えられて、大切にされ愛好され続けてきました。
欧米の文化や欧米人の物の考え方を理解するためには、欧米の文化の血肉となって今も生き続けている『ギリシャ神話』の知識が不可欠です。
「日本神話」は、天皇の権力や天皇制を正当化するための「王権神授説」のような神話なので、比較的単純ですが、『ギリシャ神話』は、多くの神々やそれらの神の子である英雄たちが登場し、しかもそれらの神々の系譜や相互関係も複雑でわかりにくいものです。
前に「ギリシャ神話・ローマ神話が西洋文明に及ぼした大きな影響」という記事や、「オリュンポス12神」およびその他の「ギリシャ神話の女神」「ギリシャ神話の男神」を紹介する記事を書きましたので、今回はシリーズで『ギリシャ神話』の内容について、絵画や彫刻作品とともに具体的にご紹介したいと思います。
第24回は「海・地震・泉の神ポセイドーン」です。
1.ポセイドーンとは
<有名なポセイドーンの青銅像(アテネ国立考古学博物館蔵)>
ポセイドーン(ポセイドン)は、ギリシア神話の海と地震と泉を司る神です。オリュンポス十二神の一柱で、最高神ゼウスに次ぐ圧倒的な強さを誇ります。
神話では、クロノスとレアーの子。ハーデースの弟でゼウスの兄。ネーレーイデスの1人であるアムピトリーテーを妻とし、トリートーン、ロデー、ベンテシキューメーが彼女との子です。愛人も数多く存在し、その中でとりわけ有名な人物はメドゥーサです。愛人との間の子にはオーリーオーン、ペーガソスなどがいます。
海洋の全てを支配し、全大陸すらポセイドーンの力によって支えられています。地震をもコントロール出来るとされ、また地下水の支配者でもあります。
ポセイドーンの地位と実力は、ゼウス・エナリオス(海のゼウス)と呼ばれるほど高く、その支配力は全物質界に及びました。
ティーターノマキアーの際にキュクロープスから贈られた三叉の矛(トリアイナ)を最大の武器とし、これによって大海と大陸を自在に支配します。これを使えばたやすく嵐や津波を引き起こし、大陸をも沈ませることができる上に、万物を木端微塵に砕くことができます。
世界そのものを揺さぶる強大な地震を引き起こすことも可能で、そのあまりの凄まじさに、地球が裂けて冥界が露わになってしまうのではないかと冥王ハーデースが危惧したほどです。
また、山脈を真っ二つに引き裂いて河の通り道を造ったり、山々と大地を深く切り抜いて海中へと投げて島を造ったこともあります。
古くはペラスゴイ人に崇拝された大地の神(特に地震を司る)であったと考えられ、異名の一つに「大地を揺らす神」というものがあります。
また、馬との関わりが深く、「競馬の守護神」としても崇められました。故にその象徴となる聖獣は馬、牡牛、イルカであり、聖樹は松です。真鍮の蹄と黄金のたてがみを持った馬、またはヒッポカムポスの牽く戦車に乗ります。ポセイドーンの宮殿は大洋の中にあり、珊瑚と宝石で飾られているとされます。
また、大地の神であった特質からデーメーテールの夫の位置にいることもあり、ピガリアではデーメーテールとの婚姻も伝えられています。ポセイドーンの名前の意味も、「ポシス=ダー(大地の夫)」からきているとされています。
2.ポセイドーンにまつわる神話
(1)アムピトリーテー
<ネプトゥーヌス(*)とアンピトリーテーのモザイク画>(*)ポセイドーンのこと
<ネプチューンとアンフィトリテ パリス・ボルドーネ画>
<ネプチューンとアンフィトリテ セバスティアーノ・リッチ画>
アムピトリーテーは美しい海の女神ですが、大波を引き起こしたり、巨大な怪魚や海獣を数多く飼っているなど、強力な力を秘めていました。ポセイドーンは彼女に求婚しますが、アムピトリーテーは彼を嫌い、その追跡の手から逃れるべくオーケアノスの宮殿に隠れてしまいました。
ポセイドーンはイルカたちにアムピトリーテーを探させました。すると、一頭のイルカが彼女を発見し、説得してポセイドーンの元へと連れて行きました。その結果、ポセイドーンはアムピトリーテーと結婚することができ、この功績を讃えられてイルカは宇宙に上げられ、「いるか座」になったということです。
また、ナクソス島で踊っている時にポセイドーンに誘拐されたという説や、馬やイルカを創造して彼女に贈り、それに気を良くしたアムピトリーテーが結婚を承諾したという説もあります。
強力な海の女神であるアムピトリーテーを正妻にしたことで、ポセイドーンは大地と共に海をも司るようになったと言われます。この説はポセイドーンは古くは大地を司る神であったことに由来します。
(2)メドゥーサ
<メドゥーサの頭部 ピーテル・パウル・ルーベンスとフランス・スナイデルス画>
メドゥーサは美しい長髪の女性であり、ポセイドーンが愛するほどの美貌を持っていました。ポセイドーンはメドゥーサと密通を重ねますが、あろうことか処女神アテーナーの神殿で彼女と交わってしまいました。
アテーナーは怒り狂いましたが、高位な大神であるポセイドーンを罰することはできず、代わりにメドゥーサを罰しました。アテーナーの怒りによりメドゥーサの自慢の長髪は蛇となり、見る者を石化させてしまう恐ろしい怪物となりました。
これに抗議したメドゥーサの姉たち、ステンノーとエウリュアレーも同様の姿に変えられました。後にメドゥーサはペルセウスによって首を取られ、その時に飛び散った血と共にポセイドーンとの子であるペーガソスが生まれました。
黄金の剣と共にクリューサーオールも生まれ、ペーガソスとは双子にあたります。また、メドゥーサの首はアテーナーの盾に取り付けられ、古代ギリシアでも魔除けとしてメドゥーサの首の絵が描かれるようになりました。
(3)ティーターノマキアー
<打ち負かされるティーターン>
ポセイドーンら兄弟は、王位簒奪を恐れたクロノスによって呑み込まれていましたが、ゼウスによって救出されました。ポセイドーンはオリュンポス側としてティーターノマキアーに参戦し、ゼウスやハーデースと共にティーターン神族と戦いました。
その際、キュクロープスから海と大地を操ることのできる三叉の矛を贈られ、以後彼の主要な武器となりました。三叉の矛によって宇宙を揺さぶり、ゼウスたちとの共闘によってティーターン神族を敗北させたのです。
(4)ギガントマキアー
ポセイドーンは巨人族との戦争であるギガントマキアーにも参戦し、火山や島々を投げ飛ばしては巨人ギガースを戦闘不能にさせていました。また、コス島の岩山をもぎ取り、ギガースの一人であるポリュボーテースに打ち付け、その岩山は後にニーシューロスという火山島になりました。岩山に封印されたポリュボーテースが重みに耐えかねて火炎を吹くのです。
(5)トロイア戦争
<トロイの木馬>
トロイア戦争ではトロイアの王ラーオメドーンが城壁を建造した際の報酬を踏み倒した事を根に持っていたため、彼はアカイア側に属しています。アカイア勢を常に鼓舞し、ゼウスから参戦許可が下りた後は積極的に介入し、三叉の矛で全世界を揺さぶって威圧しました。この宇宙規模の地震は冥界に座するハーデースが恐れおののくほどでした。
(6)アテーナーとの争い
<アテナとポセイドンの競争 ノエル・アレ画>
ポセイドーンは、アテーナイの支配権をめぐりアテーナーと争ったといわれます。2人がアテーナイの民に贈り物をして、より良い贈り物をした方がアテーナイの守護神となることが裁定で決まり、ポセイドーンは三叉の矛で地を撃って塩水の泉を湧かせ、アテーナーはオリーブの木を生じさせました。
オリーブの木がより良い贈り物とみなされ、アテーナイはアテーナーのものとなったということです。この結果に納得がいかなかったポセイドーンはアテーナイに洪水を起こしましたが、ゼウスが仲介してアテーナイのアクロポリスにアテーナーの神殿を、エーゲ海に突き出すスーニオン岬にポセイドーンの神殿を築き、2人は和解しました。
アテーナイのアクロポリスには、この塩水の泉が枯れずに残っていたといわれます。この他にも、ゼウスやヘーラー、ディオニューソス、ヘーリオスとも領有地争いを起こしています。
(7)アトランティス大陸
<大西洋の中央にアトランティスが描かれたアタナシウス・キルヒャーによる地図。南が上のため、右側がアメリカ、左側がアフリカ>
プラトーンは対話編『クリティアス』の中で、ポセイドーンは伝説の大陸アトランティスを自らの割り当ての地として引き受け、その中心に人間の女たちに生ませた子を住まわせたとしています。
アトランティス大陸はリビアとアジアを合わせたよりも巨大であり、幻の金属オリハルコンが産出されるなど地下資源に富んでいました。アトランティスの人々はポセイドーンを崇拝し、ポセイドーン神殿や戦車に跨がるポセイドーン像を金や銀、オリハルコンで建造してはポセイドーンに捧げていました。
しかし、アトランティス原住民と交わり続けたことでアトランティス市民の神性が薄まっていき、堕落の果てに神々を敬わなくなってしまいました。
これに憤慨したゼウスはオリュンポス山に神々を召集すると、アトランティス大陸を沈めることを知らせました。ゼウスは大雨を降らせてアトランティス大陸を海中に沈ませました。また、ポセイドーンが三叉の矛で大陸を海に引きずり込んだとする説もあります。
(8)ポセイドーンの罰
ポセイドーンの性格は荒ぶる海洋に喩えられ、粗野で狂暴な性格で、しばしば傲慢な人間たちを罰しました。高潮や嵐といった自然現象の脅威によって罰することもあれば、海に住まう巨大な怪物に都市を襲わせることもありました。
当時、神々と人類の関係は今日のような個々の関係ではなく、各共同体との関係であったため、傲慢な人間が住まう共同体ごと罰することが基本でした。
神々の中での地位は極めて高く、全物質界を支配しているだけあってその威厳は並外れていますが、神々の王ゼウスには逆らえないようです。イーリアスではゼウスと口論をする場面もありますが、ポセイドーンは怒りながらもゼウスの主張を受け入れています。
しかし、かつてはポセイドーンがゼウスに対して反乱を起こしたこともあり、実力はゼウスに比肩することを示しています。ポセイドーンの反乱はイーリアス内のみでしか言及されておらず、ホメーロスの創作とも言われています。
①カッシオペイアへの罰
一番有名なエピソードはエチオピア王妃のカッシオペイアへの罰です。彼は、自らの美貌は女神にも勝ると豪語したカッシオペイアに対して海の怪物ケートスを送り込んでエチオピアを滅ぼそうとしました。
ポセイドーンの怒りを鎮めるためにアンドロメダを生け贄として捧げますが、通りかかったペルセウスによってアンドロメダは救出され、ケートスも彼の持っていたメドゥーサの首によって石化して退治されました。
②ラーオメドーンへの罰
報酬を支払う約束を反故にしたトロイア王ラーオメドーンにも海の怪物を送り込んでいます。この海の怪物は巨大であり、凄まじい力を持っていましたが、通りかかったヘーラクレースによって退治されました。ヘーラクレースはわざと呑み込まれてこの怪物の胃袋に入り込み、三日間も腹の中を暴れ回って内臓を破壊し、この怪物を討伐したのです。
③オデュッセウスへの罰
<セイレーンに襲われるオデュッセウス一行>
オデュッセウスの放浪の原因を作ったのも彼の怒りでした。ホメーロスの『オデュッセイア』ではキュクロープスのポリュペーモスはポセイドーンの子といわれます。
ポリュペーモスは恐ろしい巨人で、オデュッセウス一行が彼の島を訪れた際に、彼らを洞窟へ閉じ込めました。しかしオデュッセウスは得意の策略でポリュベーモスを盲目にし、事なきを得ました。
このことに怒ったポセイドーンはオデュッセウスの艦隊に嵐を送り込み、オデュッセウスは海上を流されて更に放浪する運命となりました。
④パイエーケス人への罰
オデュッセウスの帰郷を手助けしたパイエーケス人にも罰を下しています。巨大な船でオデュッセウスを故郷イタケーへと送り返した帰り、ポセイドーンはその船を石に変えてしまいました。
同時に船から根を生やして海底に突き刺し、沈まないようにし、石化した船をオデュッセウスを助けたことへの戒めとして海上で固定しました。これにより、パイエーケス人はもう二度と客人の帰郷を助けることをしなくなりました。
(9)イストミア大祭
古代ギリシアでは、2年に1度、古代オリンピックの前後の年に、ポセイドーンを讃えるイストミア大祭という競技会が開かれていました。
この大祭は全ギリシア的競技祭であり、古代オリンピック、ピューティア大祭、ネメア大祭と並んでギリシア四大競技会のひとつに数えられました。
元はシーシュポスがメリケルテースの慰霊祭として始めましたが、ポセイドーンの息子とも言われるテーセウスが大規模な改革を施しました。閉鎖的な夜の儀式に過ぎなかった慰霊祭は、本格的な大競技会へと発展を遂げ、ヘーラクレースが創始したと伝えられる古代オリンピックに匹敵する大祭となりました。
競技の優勝者には、ポセイドーンの聖木である松の冠が与えられ、像や祝勝歌などが作られました。イストミア大祭はアテーナイ人との繋がりが強く、ペロポネソス戦争中であっても、アテーナイ人はイストミア大祭に出場しに来たということです。