日本語の語源には面白いものがたくさんあります。
前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。
以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。
1.苺/覆盆子(いちご)
「いちご」は、バラ科の多年草または小低木です。オランダイチゴ・ヤマイチゴ・ノイチゴ・ヘビイチゴ・キイチゴなどの総称としても用いますが、一般には実を食用とするために栽培するオランダイチゴを指します。
いちごは、『日本書紀』には「伊致寐姑(イチビコ)」、『新撰字鏡』には「一比古(イチビコ)」、『和名抄』で「伊知古(イチゴ)」とあります。
これらのことから、「イチビコ」が転じて「イチゴ」になったと考えられます。
イチビコの語源は、次のように諸説あります。
①「い」が接頭語、「ち」は実の赤さから「血」、「びこ」は人名に用いられる「ひこ(彦)」を濁音化したもので植物の擬人化とする説。
②「いちび」は「一位樫(いちいがし)」のことで、「こ」は実を意味し、いちごの実が一位樫の実と似ていることから名付けられたとする説。
③「いち」は程度の甚だしいことを意味する「いち(甚)」、「び」は深紅色を表す「緋」、「こ」は接尾語か実を表す「子」の意味で、「甚緋子(とても赤い実)」とする説。
現在、一般的に「いちご」と呼ばれるものは、江戸時代の終わり頃にオランダから輸入された「オランダイチゴ」ですが、それ以前は「野いちご」(下の写真)を指していました。
オランダイチゴも赤い色が特徴的ですが、野いちごは更に濃い赤色なので、いちびこ(いちご)の語源は「い血彦」や「甚緋子」など、実の赤さに由来する説が妥当です。
今ではハウスものの苺が年中あり、クリスマスケーキにも使われていますが、夏の季語で、次のような俳句があります。
・余所ゝ(よそよそ)の 山は覆盆子(いちご)の 盛哉(さかりかな)(各務支考)
・ほろほろと 手をこぼれたる いちごかな(正岡子規)
なお、夏の山地に白い五弁の花を咲かせ、 冬に赤い実が熟す苺は、温室栽培の苺とは区別して、「冬苺(ふゆいちご)」または「寒苺(かんいちご)」と言い、冬の季語です。
・おもひつゝ 草にかがめば 寒苺(杉田久女)
2.一枚看板(いちまいかんばん)
「一枚看板」とは、団体の中心的人物、他に大した取り柄はないが唯一誇れる魅力的な事物のことです。
一枚看板は、上方の歌舞伎用語で劇場の前に掲げた大きな看板を表し、江戸では「大名題(おおなだい)」といった語です。
一枚看板には「外題(げだい)」(歌舞伎や浄瑠璃の正式の題名。芸題。主に京坂で用い、江戸では「名題(なだい)」と言う)を大きく書き、その上部には主役となる役者の絵姿が描かれました。
そこから、一座の中心的役者を「一枚看板」と呼ぶようになり、転じて、組織や団体の代表人物を言うようになりました。
また、中心となる人物の意味から転じ、一枚看板は唯一他人に誇れることや、一張羅(いっちょうら)の意味で用いられることもあります。
「二枚目」や「三枚目」という言葉があって「一枚目」が無い理由に、「一枚看板」の存在が挙げられることもあります。
しかし、「一枚看板」の語があるからと言うより、「二枚目」「三枚目」は役柄から容姿や言動のタイプを表すのに対し、「一枚目(一枚看板)」は地位を表し、比較の対象にならないためと考えるのが妥当です。
3.猪(いのしし)
「イノシシ」とは、ウシ目イノシシ科の動物で、ブタの原種です。体長約1.5mで、肉は山鯨(やまくじら)・牡丹(ぼたん)(下の写真)と称し食用とされます。
イノシシは、「猪(い)の獣(しし)」という意味からです。「い」は鳴き声を表した擬声語で、「ウィ」と発音し、古くは単に「ヰ(ゐ)」と呼ばれました。
現在でも、干支を表す際には「い(亥)」と言います。
「しし」は元々「肉」という意味でしたが、転じて「食用にする獣」となり、さらに「獣一般」を指すようになった語なので、「ウィ」と鳴く食用動物で「ウィのしし」がイノシシの語源です。
漢字の「猪」は、中国語では一般的に「ブタ」を表し、イノシシは「野猪」と表記されます。
幼いイノシシにはシマウリに似た縦斑があるため、子供のイノシシは「瓜坊(ウリボー)」(下の写真)と呼ばれます。
「猪」は秋の季語で、次のような俳句があります。
・手負猪(ておいじし) 萩に息つく 野分かな (河東碧梧桐)
・猪の 露折かけて をみなへし(与謝蕪村)
・年忘 猪(しし)を煮る火の 熾(おこ)りけり (久保田万太郎)
4.稲(いね)
「稲」とは、東南アジア原産のイネ科の一年草です。実は米として広く主食とされます。
稲の語源は以下の通り諸説あり、「食糧」「生命」「寝具」「原産地」の何に重きを置くかによって見解が異なります。
①稲は食糧として重要なものであることから、「いひね(飯根・飯米)」の意味とする説。
②稲は食糧のほか藁を加工して多くのものが作られ、日本人の生活と切っても切れない関係にあることから、「いのちね(命根)」「いきね(生根)」「いきね(息根)」の約など、「生命」と結びつける説。
③稲の藁は布団や畳などに加工され、古代人は藁を敷いて寝ていたことや、正月の忌み言葉として「寝ね(いね)」と掛けた「稲挙ぐ」「稲積む」という言葉があることから、「いね(寝ぬ)」の連用形が名詞化された説。
④稲は原産地の言葉に基づくもので、ジャワのスンダ語「binih」、セレベス島のバレエ語「wini」などと同源とする説。
「稲」は秋の季語で、次のような俳句があります。
・里人は 稲に歌よむ 都かな(松尾芭蕉)
・稲つけて 馬が行くなり 稲の中(正岡子規)
・一里行けば 一里吹くなり 稲の風(夏目漱石)
5.一本立ち(いっぽんだち)
「一本立ち」とは、他人の助けを借りないで、独立して事を行ったり、生活することです。
「一本立ち」は、元々、広い所に樹木などがただ一本だけ生えていることを言いました。
長い年月を超えて孤高に咲き誇る「一本桜」の名所が全国各地にありますね。
<小岩井農場の一本桜>
春日八郎の『別れの一本杉』も「一本立ち」でしょう。
東日本大震災の被災地陸前高田市で、一本だけ奇跡的に残った「奇跡の一本松」も「一本立ち」と言えるかもしれません。
そこから、孤立した状態や仲間がいないことを「一本立ち」というようになり、さらに、他からの援助を受けずに独立して物事をすることをいうようになりました。
「一本立ち」の語源には、線香に由来する説もあります。その説は、昔の芸者の世界では線香を時計の代わりにしており、その線香一本が立ち切れるまでの時間、一人で客を楽しませることが出来れば一人前と認められたことから、「一本立ち」というようになったというもの。
しかし、芸者の前身となる職業が誕生する以前から、一本立ちは「自立」「独立」の意味で使われており、線香一本から「一本立ち」を意味するようになったという文献も見当たりません。
また、普通は立っている状態を意味する「立ち」が、ここでは線香が立ち切れた(燃え尽きた)状態を表すなど、不自然な点の多い俗説です。個人的には面白い俗説だとは思いますが・・・