私は子供の頃、明治20年代に建てられた古い家に住んでいました。いわゆる京町家で、座敷は「書院造り」で、「前栽」「裏庭」があり、「通り庭(土間)」の上は吹き抜けで「小屋組み」が見えていました。太い大黒柱があり、2階の物置部屋では屋根裏に「大きな梁」が何本もありました。1階の居間には、「槍掛け」や大小の提灯を入れる「並び矢の家紋入り提灯箱」を置いた棚がありました。座敷の「床の間」には山水画が掛けてあり、長押の上には七福神の「扁額」が掛かっていました。また「違い棚」の前には「屏風」が立ててありました。
こうして思い出して見ると、現在の住居とは随分違うことに気付かされます。京都の旧家では、私の家などとは比べ物にならないくらい、もっと本格的な書院造りの家が今も残っていると思います。
1.昔の日本家屋は開放的で季節感にあふれていた
昔の家は、今の家と違って、夏の間は開け放してあるので、蚊や蠅、蜻蛉や蛾、黄金虫など様々な昆虫が自由に出入りしていました。2階の物置部屋の梁に蛇がぶら下がっていて驚いたこともあります。夜中の天井裏での鼠や鼬(いたち)の運動会もたまにありました。通り庭で卵嚢(らんのう)を抱いた大きな脚高蜘蛛(あしだかぐも)がいたので捕まえようとすると、卵嚢から蜘蛛の子が沢山一斉に出て来て散らばりました。まさに「蜘蛛の子を散らす」というのを目撃しました。「となりのトトロ」ほどではないにしても、今の都会暮らしの人には気味が悪いかも知れません。
2.夏は障子から簀戸へ
また、エアコンは無いので、蚊遣りを焚いて団扇や扇風機で涼むだけでした。夏の夜は「蚊帳(かや)」を吊り、雨戸は夜遅くまで開けていました。昔の日本家屋では、夏になると障子を簀戸(すど)に取り換えました。風通しを良くするためと涼しげに見えるからでしょう。白い障子を焦げ茶色の簀戸に取り換えると最初は暗い感じがしますが、風が通るので涼しく感じられたものです。
谷崎潤一郎の随筆に「陰翳礼讃」というのがありましたが、昔の日本家屋は、まさにその陰翳が随所に見られました。
3.夏の町内一斉大掃除
また、夏休みの時期の恒例行事に「町内一斉大掃除」がありました。今の住宅では、「畳を上げる」ということはないと思います。しかし私が子供の頃(昭和20年代~30年代前半)は毎年行っていました。
どの家も、畳を全部上げ、床板も外して、湿った床下に風を通します。家の前の水路の上に床板を「橋渡し」して、その上に畳を並べて干します。畳と畳の間には、上の方に蒲鉾板を二枚挟んで隙間を作り風通しを良くします。表に干し切れない畳は裏庭にも並べます。そしてよく乾燥した頃を見計らって、籐で作った「布団叩き」でぱんぱん叩いてほこりを出しました。懐かしい夏の風物詩ですね。
4.透かし紅葉
ところで皆さんは「透かし紅葉」という言葉をご存知でしょうか?閉め切った障子にうっすらと映る紅葉のシルエットのことです。私の母は、夏が終わって簀戸から障子に取り換える時、障子紙の張替えをすると共に、障子の腰板の上の引手部分にもみじの葉を挟んで「透かし紅葉」を作っていました。
5.丸火鉢
冬になると、大きな「丸火鉢」を出してきて、家族がその周りに座って暖を取りながら、自家製の「欠き餅(おかき)」や丸餅を焼いて食べたりします。誰かが仏間へ行く為に襖(ふすま)を開けると、冷たい空気がさっと流れ込んできます。
今では、部屋の密閉性も高く、各自の部屋が廊下を挟んで独立している場合が多いので、このような風景はなくなりましたが、最近無性に懐かしく思い出されます。私も年を取った証拠でしょうか?