この世の中には、禅の公案、お経、パソコンの説明など「意味のよくわからない言葉」というものがたくさんあります。今回はこれらについて考えてみたいと思います。
1.禅の公案
(1)「(一切放下)父母未生以前」(いっさいほうげぶもみしょういぜん)
意味の分からないやり取りを「禅問答のようだ」と言います。確かに禅宗において、考える課題として提示される「公案」も、簡単に答えの出るものではありません。数多くの数学の天才たちが何世紀にもわたって挑んでも解けない「数学の未解決問題・超難問」と似たようなものです。
私は、どの本で読んだのか定かではありませんが「一切放下父母未生以前」という禅の公案が印象に残っています。しかしネットなどを見ると「一切放下」を付けたものが見当たらないので、私の記憶違いかもしれません。
夏目漱石の小説「門」で、主人公の宗助が禅寺に参禅して老師から与えられた「公案」として、「父母未生以前本来の面目は何か」というものがありました。
老師といふのは五十格好に見えた。赭黒い光澤のある顏をしてゐた。其皮膚も筋肉も悉とく緊つて、何所にも怠のない所が、銅像のもたらす印象を、宗助の胸に彫り付けた。たゞ唇があまり厚過るので、其所に幾分の弛みが見えた。其代り彼の眼には、普通の人間に到底見るべからざる一種の精彩が閃めいた。宗助が始めて其視線に接した時は、暗中に卒然として白刄を見る思があつた。
「まあ何から入つても同じであるが」と老師は宗助に向つて云つた。「父母未生以前本來の面目は何だか、それを一つ考へて見たら善かろう」
宗助には父母未生以前といふ意味がよく分らなかつたが、何しろ自分と云ふものは必竟何物だか、其本體を捕まへて見ろと云ふ意味だらうと判斷した。それより以上口を利くには、餘り禪といふものゝ知識に乏しかつたので、默つて又宜道に伴れられて一窓庵へ歸つて來た。
晩食の時宜道は宗助に、入室の時間の朝夕二回あることゝ、提唱の時間が午前である事などを話した上、
「今夜は未だ見解も出來ないかも知れませんから、明朝か明晩御誘ひ申しませう」と親切に云つて呉れた。夫から最初のうちは、詰めて坐はるのは難儀だから線香を立てゝ、それで時間を計つて、少し宛休んだら好からうと云ふ樣な注意もして呉れた。
宗助は線香を持つて、本堂の前を通つて自分の室と極つた六疊に這入つて、ぼんやりして坐つた。彼から云ふと所謂公案なるものゝ性質が、如何にも自分の現在と縁の遠い樣な氣がしてならなかつた。自分は今腹痛で惱んでゐる。其腹痛と言ふ訴を抱いて來て見ると、豈計らんや、其對症療法として、六づかしい數學の問題を出して、まあ是でも考へたら可からうと云はれたと一般であつた。考へろと云はれゝば、考へないでもないが、それは一應腹痛が治まつてからの事でなくては無理であつた。
「自分が生まれる前の更に前の、父母が生まれる前において自分は一体何だったのか」あるいは「まだ自分が母の胎内を出る前の、つまりいまだ生まれ出づる前の汝の心境を言ってみよ」というような意味かと思いますが、「そんなこと考えたことない」「この世には影も形もなかった」と答えるぐらいが関の山ではないでしょうか?
漱石自身も27歳の時、厭世気分に陥り、鎌倉の円覚寺で10日間の参禅をしています。その時、老師から出された「公案」が「(一切放下)父母未生以前本来の面目は何か」だったそうです。漱石も老師が満足するような答えは出来なかったそうです。
(2)「(一切放下)父母未生以前本来の面目は何か」という公案にまつわる逸話
「一撃所知(しょち)を忘ず、更に修治に仮(か)らず」あるいは「香巌撃竹大悟(きょうげんげきちくたいご)の逸話」と言われるエピソードです。
中国・唐の「香巌知閑禅師(きょうげんちかんぜんじ)」は、一を聞いて十を知る聡明で博識の禅僧でしたが、当時禅界の第一人者であった百丈懐海(ひゃくじょうえかい)禅師に師事していました。百丈懐海が亡くなった後は、潙山霊祐の下で参禅を続けました。
その時出された公案が「父母未生以前本来の面目は何か」という公案でした。「まだ母の胎内を出ない先、未だ生まれいづるその前の汝の心境を言ってみよ」というわけです。
仏教でいうところの「輪廻転生(りんねてんしょう)のことを考えよ」ということなのかも知れません。
あるいは、「地獄界」「餓鬼界」「畜生界」「修羅界」「人間界」「天上界」の六つの迷いの世界の「六道(ろくどう)」を輪廻する「六道輪廻のことを考えよ」ということでしょうか?
五里霧中の中に置かれて、香巌は戸惑いました。頭で考えたことをあれこれ言っても潙山は許しません。博識のゆえに学識理論にとらわれ過ぎていたのです。長い年月が過ぎ、失意の極に達した彼は、「どうか教示願いたい」と嘆願しました。
しかし潙山は、「私がそれを教えたり言ったりすれば、それは私の言葉であり、お前の心境から出た一句ではない。今私がその一句を言ってしまえば、後で必ず私を恨むことになろう」と言って応じなかったそうです。
とうとう彼は自分の愚鈍さに失望して、潙山のもとを去り、かつて慕った国師の墓守りをして暮らすことにしました。
そんなある日のこと、かき集めた落葉を竹藪に捨てたところ、そのごみの中に小石が混じっていたのか、竹に当たってカッーンという音がして静寂の山の墓地に響きました。
その途端に彼はハッと悟りを得ることが出来たというのです。「恍然大悟」ということです。
その大悟の内容はわかりませんが、「読書や思索・思想は指針を得るためのものであるが、座禅ではそれまでに得た指針を捨てること、頭で考えたことや勉強で得たこと一切を、自分の考えの全てを捨て去ることがまず必要」で「心身を脱落させると、一切の念にひきずられないようになり悟りに至る」「本来の自己、虚飾を全て捨て去った本質的な自分」というようなことになるのでしょうか?
(3)夏目漱石の「則天去私」
漱石が晩年に文学や人生の理想とした境地を表す言葉として「則天去私」があります。
これは「自我の超克を自然の道理に従って生きることに求めようとしたもの」で、「我執を捨てて、諦観にも似た調和的な世界に身を任せること」です。漱石の死去により未完となった「明暗」は、則天去私の境地を描こうとした作品とも言われています。
これは「(一切放下)父母未生以前本来の面目は何か」という禅の公案に対する漱石なりの答えだったのかもしれません。
私などには、「この公案はよく分からない」というのが正直なところですが、漱石や香巌もそう簡単には大悟に至らなかった難問の「公案」ですので、「自我とは何か?自己を見つめる、自分を見つめ直す」という意味で、生きている間に気楽にゆっくり考えて行こうと思っています。
2.お経
「お経」は、般若心経でも法華経、阿弥陀経にしても、だらだらと唱えているだけで知らない人間には何を言っているのか聞き取れないし、当然ながら意味もわかりません。
ただ浄土真宗のお葬式のお経の中にある「朝(あした)に紅顔ありて、夕べに白骨となる」という部分だけは、はっきり聞き取れて意味もよくわかります。
これは和漢朗詠集の「朝に紅顔あって世路(せいろ)に誇れども、暮(ゆふべ)に白骨となって郊原に朽ちぬ」に由来します。
「朝健康そうな顔をしていた若者も、夕方には死んで白骨となることがある」という意味で、「人の生死のはかり知れないこと、この世の無常なこと」を表しています。
和漢朗詠集にある藤原義孝の詩の一節ですが、蓮如上人がその著「御文章」の中に引用したことから、浄土真宗のお葬式で唱えられることになったものです。
3.パソコンなどの説明
インターネットなどを見ていて、あるいはエクセルで作業をしていて、何らかの不具合が発生した時出て来る「ダイアログ画面」がありますが、その文章は「言語明瞭、意味不明瞭」と言うのがぴったりします。「Yes」か「No」かと問われても、言葉の意味が理解できないので判断のしようがありません。皆さんも経験があるのではないでしょうか?