江戸時代の笑い話と怖い話(その10)。秘密を隠し通す辛さ、石地蔵は見ていた

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野中の石地蔵

1.地蔵とは

前に「石の地蔵さんにまつわる面白い話」を紹介する記事を書きましたが、昔は田んぼ道に「野中の石地蔵」が立っている風景がよく見られました。

賽の河原で、獄卒に責められる子供を、地蔵菩薩が守る姿は、中世より仏教歌謡「西院河原地蔵和讃」を通じて広く知られるようになり、子供や水子の供養において地蔵信仰を集めました。関西では地蔵盆は子供の祭りとして扱われています。

また「道祖神(どうそじん/どうそしん)」(「岐の神(くなどのかみ)」)と習合したため、日本全国の路傍で石像が数多く祀られています。交通の便に乏しい時代には大きな仏教寺院へ参詣することができず、簡易な参拝ができる身近な仏像として崇敬を集めました。そのような地蔵に導師が置かれた例は少なく、そのため本来の仏教の教義を離れ、神道との混同や地域の独自の民間信仰の意味合いなども濃くしました。

「路傍の地蔵尊」はさまざまな祈念の対象になり、難治の傷病の治癒を祈念すれば成就する、と喧伝されて著名な地蔵尊となったり(とげぬき、いぼとり、眼病、子供の夜泣きなど)、地蔵と併せた寓話が後に広く童話としても知られるようになった例(六地蔵、言うな地蔵、しばられ地蔵、笠地蔵、田植え地蔵など多数)があります。

2.『新古茶話雑談軽口噺(しんこちゃわぞうたんかるくちばなし)』より「女房に肌を許すな」

野中の石地蔵にまつわる秀逸な怪談です。「女房に肌を許すな」とは「女房を信用するな」という意味です。

夫婦連れで郊外に花見に出かけ、戻りには道を変えて田んぼ道を通ると、野中に石地蔵が立っていました。夫はそれを見て顔色を変え、かなり行き過ぎてから「ぞっとして酒の酔いも醒め果てた」と言います。

女房がしきりにその訳を尋ねるので、夫は仕方なく「今の石地蔵は恐ろしい地蔵様じゃ。あの地蔵が物を言うたのを、はっきりとこの耳で聞いた」と言いました。

女房は女の癖で「それはどういうことなのか?」としつこく聞きたがります。ついに男は女房に心を許して、よくよく口止めした上で打ち明けるには、「わしは昔、若気の至りで、人が金子を持って行くのを見つけ、出来心から後をつけて忍び寄り、だまし討ちにして奪い取った。そこらに人はいないかと振り返ったところ、右の石地蔵だけだったので、安堵して思わず捨て言葉に『地蔵、必ず人に言い給うな』と言った。すると地蔵が『わしは言わぬほどに、ぬしが口から言うなよ』とありありと言われたのじゃ。空恐ろしくなって逃げ帰った」と語るうちに家に着き、夕飯を食べて床に就きました。

その後、年を経て、そんな話も忘れかけた頃、男はよそに妾をこしらえ、それがもとで夫婦喧嘩となり、とうとう女房を実家に戻しました。

すると女はその足で奉行所に駆け込み、夫から昔聞いた話をつぶさに訴えたため、男はすぐに召し捕らえられ、お仕置きとなりました。

末尾に著者は「全て罪ある者は、人は知らずといえども、我が心がよく知っている故、自然と罪を吐き出すものなり」と付け加えています。

重大な秘密を隠し続けることほど、大きなストレスはなく、つい人に漏らしてしまうのでしょう。そんな人心の機微を巧みに描いた話です。

「天知る、地知る、我知る、人知る」という言葉を聞いたことがあります。これは悪事や不正は必ず発覚するものだというたとえです。

誰も知る者がおらず、二人だけの秘密にしようと思っても、天地の神々も知り、自分も相手も知っているのだから、不正は必ず露見するものだということです。
後漢の学者・楊震に推されて役人になった王密が、金十斤の賄賂を贈ろうとしたとき、「夜なので誰にも気づかれません」と言ったところ、楊震が「天知る、地知る、我知る、子知る。何をか知る無しと謂わんや」と答えたという故事に基づきます。

「天知る、地知る、子知る、我知る」「天知る、神知る、我知る、子知る」ともいい、「子知る」は「ししる」と読みます。「子」は二人称の人代名詞です。

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