「蚊の鳴くような声」という言い方がありますね。蚊は決して鳴かないのに不思議だなと思っていた方もおられると思いますが、これは「蚊の羽音のように、かすかで弱々しい声」という意味です。「きまり悪そうに蚊の鳴くような声で話す」のように使います。
「恋し恋しと鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす」あるいは「恋に焦がれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす」という「恋蛍(こいぼたる)」を詠んだ都々逸(どどいつ)があります。確かにホタルは鳴きませんが、オスのホタルはおしりを発光させてメスを呼びます。
ところで、俳句の「季語」には、決して鳴かない昆虫などの動物に「鳴く」を付けたものがいくつかあります。
今回はこれについて考えてみたいと思います。
1.亀鳴く
亀は「爬虫類」で、「亀鳴く」は「春」の季語です。
春ののどかな昼、あるいは朧の夜に亀の鳴く声が聞こえるような気がするというものです。春になると「亀の雄は雌を慕って鳴く」とも言われます。
しかし、亀には声帯がないので、鳴くのではなく、呼吸する時に鼻や気管支が空気の出入りによって振動して「シュー」「シューシュー」「キュッキュ」といった音を出すそうです。相手を威嚇する時や、驚いた時、求愛行動の時にこのような音を発するようです。
ちなみに「求愛行動」の時の音は「キュッキュ」だそうです。
「龜なくとたばかりならぬ月夜かな」(富田木歩)
「亀鳴くと嘘をつきなる俳人よ」(村上鬼城)
「亀鳴くや月暈を着て沼の上」(村上鬼城)
「亀鳴くや皆愚かなる村のもの」(高浜虚子)
2.田螺(たにし)鳴く
田螺は「巻貝」で、「田螺鳴く」は「春」の季語です。
水田や池沼などの泥地に棲み、冬は泥中に潜んでいますが、春になると泥の上を這いまわります。
田螺は水を吸ったり吐いたりしますが、蓋を閉める時に、殻内の空気が隙間から漏れ出して「チュー」という音が出るそうです。
「連翹の枝結ひてあり田螺鳴く」(殿村莵絲子)
「こと~と田螺は鳴くと僧夫婦」(高野素十)
「まひる吾が来たり田螺は鳴くものか」(三橋鷹女)
「田螺鳴くひとり興ずる俳諧師」(山口青邨)
3.蓑虫(みのむし)鳴く
蓑虫は「蓑蛾(みのが)類の幼虫」で、「蓑虫鳴く」は「秋」の季語です。蓑虫は、別名「鬼の子」「鬼の捨て子」と呼ばれています。
清少納言の「枕草子」40段には次のような一文があります。
蓑虫、いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似てこれも恐ろしき心あらむとて、親のあやしき衣(きぬ)ひき着せて、「今、秋風吹かむをりぞ、来むとする。侍てよ」と言ひ置きて逃げて去(い)にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」と、はかなげに鳴く、いみじうあはれなり。
ここから「蓑虫鳴く」という季語が生まれたのかもしれません。しかし、蓑虫は決して鳴きません。淋しそうに風に揺られる蓑虫の物悲しい様子を見て、清少納言には胸が締め付けられるように感じて「蓑虫の心の声」が聞こえたのでしょうか?
「蓑虫の父よと鳴きて母もなし」(高浜虚子)
「蓑虫の音(ね)を聞きに来よ草の庵」(松尾芭蕉)
「みのむしはちちと啼く夜を母の夢」(志太野坡)
「みの虫や啼かねばさみし鳴くもまた」(酒井抱一)
4.蚯蚓(みみず)鳴く
蚯蚓は「環形動物門貧毛綱」の動物で、「蚯蚓鳴く」は「秋」の季語です。
蚯蚓は実際には鳴いたりしません。しかし、8月から9月ごろの夜のしんとした野道、確かに土の中から蚯蚓の声が聞こえてくるように感じられるのが「俳諧の趣」です。なお、これは地中から「ジジーッ」と聞こえてくる螻蛄(けら)の鳴き声を、蚯蚓の鳴き声と勘違いしたものだとも言われています。
なお、面白いことに「螻蛄鳴く」という「秋」の季語もあります。これはまさに螻蛄が鳴くのを指した季語です。「秋」といっても「旧暦の秋」で、「立秋(多く8月8日)から立冬(多く11月8日)の前日までの期間」です。私は8月中旬の昼の暑さがまだ残る宵に、夕涼みがてら田んぼ道を歩いていて、この「ジジーッ」という螻蛄の声をよく聞きました。
「蚯蚓鳴く六波羅蜜寺しんのやみ」(川端茅舎)
「蚯蚓鳴いて夜半の月落つ手水鉢(河東碧梧桐)
「蚯蚓啼くや繰返し読む母の文」(石島雉子郎)
「蚯蚓鳴くや冷き石の枕元」(寺田寅彦)
5.カブトムシは鳴く!?(蛇足)
私は前に「カブトムシを飼育した話」を記事に書きましたが、その時の経験からカブトムシが鳴くのを自分の耳で聞いたことがあります。
夜中に飼育ケースの中から「シュッ、シュッー」「キュウ、キュー」「ギュウ、ギュー」という音が聞こえるのです。これは交尾の合図らしいです。
しかし、鳴き声と言っても上の季語の例と同様に「声帯」を震わせて鳴いているわけではありません。カブトムシの鳴き声は「腹部を伸び縮みさせ、上翅の内側との摩擦によって音を出しているのです。これはオスもメスも同じように音を出します。
考えてみれば、昆虫の場合は、セミや、キリギリス、コオロギ、スズムシ、マツムシ、クツワムシのように「鳴く虫」に分類されていても、実際には「翅で腹部を擦ったり、翅を擦り合わせて音を出している」わけです。ただ、これらの「鳴く虫」の場合は「誰もが、はっきり鳴いていると認識できる声」になっているだけです。