高度成長時代には、「消費は美徳」という流行語がありました。昔と違って、靴下や衣類に継ぎを当てて長く使うことはせず、捨てて新しい物を買うことが多くなりました。
電気製品なども、故障したら「無料保証期間内」であれば修理に出しますが、それを過ぎると、電気屋さんからも「新品に買い替えたほうがお得ですよ。修理代は高くつきます」と言われるので、買い替える場合がほとんどです。このようにどんどん消費をして経済が好循環していたわけです。
バブル崩壊後は、一転して中野考次氏の「清貧の思想」とかワンガリ・マータイさんの「MOTTAINAI」という言葉がもてはやされるようになりました。
私も60代になるまでは、「物を粗末にしてはもったいない」「贅沢をしてはお金がもったいない」という気持ちを強く持っていました。
しかし、最近は「もったいない」の価値観が、高齢になったからか変化してきました。
1.「残り少ない人生で経験しておかないほうがもったいない」
私が子供の頃、よく年寄りの人が「この桜、あと何回見られるかなあ」と話しているのを聞きました。逆算して残り少ない人生を思うと、桜にせよ他の何にせよ、「何回経験できるかわからない」という「心境の変化」が起きたのだと思います。
私にも最近、そんな心境の変化が起きてきました。
今から17年前の9月に夫婦でヨーロッパ旅行に行ったことがあります。その時は、「あと何回でも来られる」と漠然と考えていました。しかし、そうこうするうちにあっという間に20年近くが過ぎ、今や膝や腰が痛くて「海外旅行などもう無理」という気持ちになっています。
スイスのレストランで「アルペンホルン」を実演する人がいて、「お客さんで誰かやってみませんか?」と言われましたが、「ほら貝と同じで多分音が出ないだろうし、恥をかくだけだからやめておこう」と思って手を挙げませんでした。ほかの客も同様でした。
しかし、今考えると、「一生のうちでこんな経験が出来ることはめったになかった」と悔やむ次第です。
国内旅行でも、NHKの大河ドラマで福山雅治主演の「龍馬伝」が放映されていたころに長崎を旅行しました。その時、撮影に使用された帆船にも乗ってみました。案内人の人が「誰か舳先に上ってみませんか?」と言いました。縄目の粗いハンモックのようなものが張られているので安全だと思うのですが、「海に落ちたら大変」という気持ちと「大人なのに嬉しがりのようで恥ずかしい」という気持ちが先に立って上りませんでした。子供はたくさん上っていました。
これも、今考えると、「一生のうちでこんな経験が出来ることはめったになかった」ので、勇気を出して上っておけばよかったと思います。
かつて作家で政治運動家の小田実(おだまこと)氏の体験記「何でも見てやろう」が有名になりましたが、歳を取っても「好奇心」を持ち続け、分相応の「体験」を積み重ねて行きたいと思っています。
2.「残り少ない人生で食べずにおくほうがもったいない」
「分不相応な贅沢は禁物」ですが、「ささやかな贅沢」はしてもよい年齢になったのではないかと感じています。
私の場合は、食べることが大好きなので、65歳からの派遣社員時代はリーガロイヤルホテル大阪の竹葉亭で、好物の「肝吸い付きの鰻丼」を月1回食べるのを楽しみにしていました。
3.「残り少ない人生で使わずにおくほうがもったいない」
前に「着物や茶道具の『宝の持ち腐れ』は勿体ない!道具は使ってこそ値打ちがある」という記事を書きました。
以前は使わずに大事に飾っておくという考え方でしたが、最近は「自分が生きているうちに使おう」という気持ちが強くなっています。
「せっかくの道具を自分が使わずじまいで一生を終わるのは勿体ない」と感じるようになったのです。「逆転の発想」「発想の転換」というか「コペルニクス的転回」です。