「ビリケン」とか「ビリケンさん」と言えば、大阪の人間にはすぐ「通天閣の展望台にあるビリケンさん」が思い浮かぶくらいなじみ深いものです。「大阪の妖怪」と思っている人もいるかもしれませんが・・・
そこで今回はこのビリケンさんの由来とビリケンさんにまつわる面白い話をご紹介したいと思います。
1.ビリケンさん
(1)ビリケンさんの由来
「ビリケン(Billiken)」は、尖った頭と吊り上がった目が特徴の子供の姿をしている幸運の神の像です。
通天閣観光(株)が所有する資料によると、ビリケンさんの誕生は1908年(明治41年)で、作者はアメリカの女性芸術家フローレンス・プリッツで、当時の第27代大統領ウィリアム・ハワード・タフト(1857年~1930年)のウィリアムの愛称「ビリー」に小さいを表す接尾語「-ken」を加えたのが名前の由来だそうです。ただし異論も多数あります。
その後、シカゴの企業「ビリケンカンパニー」がビリケン像などを制作・販売し、「幸福の神様」として全世界に知れ渡ったそうです。
当時の認識では、足を突き出す座り方はアフリカ人、顔立ちは東洋人がモデルで、ビリケンさんの足の裏を掻いてビリケンさんが笑えば願いが叶う福の神とされました。そういえば私が見た時もビリケンさんの足の裏は、かなり掻かれたのか確かにすり減っていましたね。
コロナ禍で通天閣が休業中にビリケンさんも修復され、通天閣展望台は5月30日に営業再開されました。新型コロナ対策で、「足の裏を直接なでること」は厳禁で、通天閣観光(株)は濃厚接触しない「エアタッチ」を呼び掛けています。
(2)日本でのビリケンさんの歴史
日本へ輸入されたのは、1909年(明治42年)から翌年にかけてで、「家内和合・商売繁盛の神」として、日本中の花街を中心に流行したそうです。
初代ビリケンさんが大阪に登場したのは1912年(明治45年)で、新世界に通天閣とともに開業した遊園地「ルナパーク」にあったホワイトタワー内に設けられた「ビリケン堂」で展示されていたそうです。
1979年(昭和54年)に二代目ビリケンさんが登場し、通天閣の展望台に鎮座しました。ご利益があるとして「足の裏」をなでる人が後を絶たず、「足の裏」のすり減りが進んだため、2012年(平成24年)、通天閣並びに新世界100周年を記念して新たに三代目ビリケンさんが新調されました。三代目ビリケンさんの中には金のビリケンさん(ビリ金さん)も納められています。
2.ビリケンさんによく似た有名人
(1)寺内正毅
寺内正毅(てらうちまさたけ)(1852年~1919年)は長州藩士、陸軍軍人出身の政治家で、第18代内閣総理大臣を務めました。てっぺんがツルツルに光った彼の頭の形がビリケン人形にそっくりだったことから、彼の「超然内閣」は「非立憲(ひりっけん)」に引っ掛けて「ビリケン内閣」と呼ばれました。また彼は、その風貌から「ビリケン宰相」という異名も持っています。
ちなみに、「超然内閣」とは、「政党内閣」に対する言葉で、「政府が政党の意向にとらわれずに、超然として公正な政治を行うべきである」と黒田清隆首相(薩摩藩出身)が1889年明治憲法発布直後に演説したことから名づけられたものです。「不偏不党を堅持するとの主張」ですが、政党側からは「薩長藩閥内閣」と攻撃されました。
(2)藤本佳則さん
プロゴルファーの藤本佳則さん(1989年~ )は、風貌が幸福の神様であるビリケンさんによく似ていることから、「ビリケン」の愛称で親しまれています。
彼はツアー通算2勝ですが、そのうちの1勝はメジャーの「日本ゴルフツアー選手権シティバンク杯」(2012年)で、ツアーでは上位にもよく顔を出しており、なかなかの実力派です。