今回は、弥次郎兵衛(弥次さん)と喜多八(喜多さん)の東海道珍道中(弥次喜多道中)を描いた「東海道中膝栗毛」の作者の「十返舎一九(じっぺんしゃいっく)」にまつわる面白い話をご紹介します。
1.十返舎一九とは
十返舎一九(本名:重田貞一)(1765年~1831年)は、江戸時代後期の戯作者・絵師です。「東海道中膝栗毛」は、式亭三馬の「浮世風呂」「浮世床」と並ぶ「滑稽本」の代表作品です。
まず、ペンネームの由来をご紹介します。
名香「黄熟香(おうじゅくこう)」(正倉院の香木「蘭奢待(らんじゃたい)」の正式名称)は、十度焚いても香を失わないことから、「十返しの香」とも呼ばれています。屋号の「十返舎」はここから取ったものです。「一九」は彼の幼名「市九」から来ています。
作品名の「膝栗毛」は、自分の膝を「栗毛(栗色の馬)」に見立てたもので、自分の膝を馬の代わりに使う「徒歩旅行」という意味です。
脱線しますが、私と同じ団塊世代の歌手で毒舌トークも面白かった「やしきたかじん」さん(1949年~2014年)は変わった芸名なので、私は「弥次喜多」から取った名前ではないかと当初思っていました。後で知ったことですが、これは本名で「家鋪隆仁(やしきたかじ)」というそうです。
彼は駿河の国の町奉行同心の子として生まれましたが、江戸で武家奉公をしたり、大坂で町奉行所に勤めたりしますが、やがて浪人して浄瑠璃作者となり、香道も嗜(たしな)みます。その後江戸に戻って、版元の蔦屋重三郎の食客となって「黄表紙」を書いたり「挿絵描きの手伝い」などをしますが、1802年に出した滑稽本「東海道中膝栗毛」が大ヒットとして、一躍「流行作家」となり、1822年までの21年間、次々と「膝栗毛」の続編を書き続けました。
そのおかげか、1830年(文政13年)には「伊勢おかげ参り」が大流行しました。
2.十返舎一九の「辞世」
しかし、晩年は酒におぼれて「その日暮らし」の生活に落ちぶれてしまいます。
「辞世」は次のように洒落のめしています。
「この世をば どりゃお暇(いとま)に 線(せん)香の 煙と共に 灰(はい)左様なら」
植木等の「ハイそれまでヨ」のような「軽いノリ」です。
3.「火葬」の時の「逸話」
彼は、最後の面会に集まった人々に、「湯灌や土葬は嫌だから火葬にしてくれ」と遺言します。
そして遺言通り、彼を火葬にしたとたん、「ドカーン」と棺桶から花火が上がったそうです。まさに「芸人のような生きざま(死にざま?)」ですね。
なお、この「一九が予め、自分の体に火薬を仕込んでおいて、火葬した時に花火を出してみんなをびっくりさせた」という逸話は、落語家の初代林家正蔵が作った噺だという説もあります。
しかし、私は昔、何という本だったか忘れましたが、十返舎一九は「悪戯好きで、花火が爆発して死んだら人が驚くだろうと思い、常日頃から懐に花火を入れていた」という話を読んだことがあります。ただ真偽のほどは定かではありません。
「自爆テロ」や「焼身自殺」のような危険で深刻なものとは別次元の、「芸人魂」のような話です。