日本の音楽家が一から作曲した唱歌集『尋常小学唱歌』(その6)

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尋常小學唱歌 第六學年

前に「欧米の民謡をカバーした明治時代初期の翻訳唱歌。原曲の外国民謡とは?」という記事を書きましたが、1910年(明治43年)には、日本の音楽家が一から作曲した唱歌集『尋常小学唱歌』が誕生しており、現代でも有名な唱歌が数多く掲載されています。

1.日本独自の唱歌誕生は明治末期

1911年(明治44年)から1914年(大正3年)にかけて文部省が編纂した『尋常小学唱歌』には、『春が来た』、『春の小川』、『かたつむり』など、現代でも広く知られる日本の代表的な唱歌が掲載されています。

『尋常小学唱歌』の特徴としては、それまで主流だった「翻訳唱歌」から脱却し、日本人の作曲家による日本独自のメロディと歌詞が用いられている点が挙げられます。

内容的には、1910年(明治43年)に発行された「尋常小学読本唱歌」がそのまま引き継がれており、第一学年用から第六学年用までの全6冊、各20曲で合計120曲が収録されています。

ちなみに、「文部省唱歌」という用語は、この『尋常小学読本唱歌』以降の唱歌を指します。「小学唱歌集」などの「翻訳唱歌」は「文部省唱歌」には含まれません。

2.尋常小学唱歌 第六学年

(1)朧月夜 おぼろづきよ

菜の花畠に 入り日薄れ 見わたす山の端 霞ふかし

『朧月夜(おぼろづきよ)』とは、作曲:岡野貞一、作詞:高野辰之による日本の唱歌です。1914(大正3)年「尋常小学唱歌」第六学年用に掲載されました。

朧月夜(おぼろづきよ、おぼろづくよ)とは、春の夜に月がほのかに霞んで(かすんで)いる情景を指す季語です。

ちなみに、岡野と高野の作詞作曲コンビで生まれた唱歌といえば、「朧月夜(おぼろづきよ)」の他に、「故郷(ふるさと)」、「春が来た」、「春の小川」、「紅葉(もみじ)」などが有名です。

(2)我は海の子

我は海の子 白波の さわぐいそべの 松原に

『われは海の子(我は海の子)』は、1914年(大正3年)刊行の「尋常小学唱歌」第六学年用に掲載された文部省唱歌です。

歌詞は、文部省の懸賞募集に応募した鹿児島市出身の宮原晃一郎(1882年~1945年)の詩が採用されました。鹿児島市の祇園之洲公園には歌碑が建てられています。

歌詞は全部で7番までありますが、今日歌われるのは一般的に3番までです。明治後期の詩人による作品だけあって古めかしい表現が多くなっています。

(3)鎌倉

極楽寺坂 越え行けば 長谷観音の堂近く 露坐の大仏おわします

唱歌『鎌倉』は、作詞:芳賀矢一、作曲:不詳、大正3年(1914)刊行の「尋常小学唱歌」第六学年用に掲載された文部省唱歌です。

歌詞では、鎌倉大仏や稲村ヶ崎、鶴岡八幡宮や静御前など、鎌倉の観光名所や歴史上の人物が取り上げられ、鎌倉の歴史観光ガイドブックのようなご当地ソングとなっています。

(4)四季の雨

『四季の雨』は、1914年(大正3年)刊行の「尋常小学唱歌」第六学年用に掲載された文部省唱歌です。春夏秋冬・四季折々の雨の情景が歌われています。

明治時代の唱歌といえば、『蛍の光』や『ちょうちょ』のように、外国の民謡を翻訳した唱歌ばかりでしたが、大正3年の「尋常小学唱歌」は、日本人の作曲家による日本独自の唱歌が掲載された画期的な唱歌集でした。

(5)故郷 

ふるさとうさぎ追いし かの山 小鮒(こぶな)釣りし かの川

『故郷(ふるさと)』は、作曲:岡野貞一、作詞:髙野辰之による日本の童謡・唱歌です。

1914年(大正3年)刊行の「尋常小学唱歌」第六学年用に掲載された文部省唱歌の一つです。

岡野と高野の作詞作曲コンビで生まれた唱歌といえば、「故郷(ふるさと)」の他に「春が来た」、「春の小川」、「朧月夜(おぼろづきよ)」、「紅葉(もみじ)」などがあり、いずれも今日まで歌い継がれている名曲ばかりです。

作曲者の岡野は鳥取県鳥取市出身で、14歳の時にキリスト教の洗礼を受けたクリスチャン。岡山の教会で宣教師からオルガンの演奏法を習い、更に東京音楽学校(現在の東京芸術大学)に入学し、西洋音楽の理論と技術を深めていきました。

後には同校の教授を務め、音楽教育の指導者の育成に尽力するとともに、敬虔なクリスチャンとして毎週教会のオルガンを弾いていました。「故郷(ふるさと)」や「朧月夜(おぼろづきよ)」など、岡野の作品には賛美歌の影響を強く受けたと思われる3拍子のリズムを用いた旋律が数多く見られます。


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