海をテーマにした曲や歌。「美しき天然」は日本初のワルツで歌謡曲のルーツ!

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海・浜辺

1.「海派」と「山派」

世の中には「アウトドアレジャー」に関して、海好きの「海派」と山好きの「山派」がいます。ペットでも「犬派」と「猫派」がいるようなものですね。もちろん、中には「どちらも好き」あるいは「どちらも嫌い」という方もおられるでしょう。

さて皆さんは「海派」、それとも「山派」のどちらでしょうか。もしかすると、中には若い時は「海派」だったけど、年齢と共に「山派」になったなど、ライフステージで変化している人もいるかもしれませんね。

7月の第3月曜日の「海の日」(1996年施行)に続き、2016年には新たに8月11日が「山の日」に制定されました。国民の祝日があるくらい、海も山も日本人にとって身近なものです。

ところで実際に「海派」か「山派」聞かれると、日本人にはどちらが多いのでしょうか?世界最大級の旅行サイトの「エクスペディア」編集部が2016年に全国および都道府県別に調査しています。

結果は日本全国において、海派は53%、山派は47%と、僅差で海派が山派を上回りました。

しかし、各都道府県の中で、海派・山派どちらが多いかという比較を見ていると、海派が26都道府県に対し、山派が19県と、海派の都道府県の方が多い結果となっています。(2県は同数)また、山派の県19県中12県が関東・中部地方に集まっている傾向がみられたほか、四国は全県海派という結果でした。

ちなみに「海派No1」は沖縄県(80%)、「山派No1」は栃木県と岐阜県(同率で73%)でした。長野県が「山派No1」でないのは、山が近くにあり過ぎて、かえって海に憧れる人が多いのかもしれませんね。長野県は海派が47%、山派が53%でした。

2.海をテーマにした曲や歌

歌謡曲・ポップスなどの流行歌には陽気な長調の歌が多いのですが、昔からある曲はもの悲しい短調の曲が多いのは意外です。

(1)美しき天然(天然の美)

美しき天然

『美しき天然』(うつくしきてんねん/うるわしきてんねん)は、1902年(明治35年)に発表された田中穂積作曲・武島羽衣作詞の日本の唱歌です。

当時の楽譜には「ワルツのテンポで」と記されており、日本初のワルツとして紹介されることが多いです。また日本最初のヨナ抜き短調曲でもあります。

歌詞付きの唱歌ですが、大正・昭和初期に数名でチンドン太鼓を鳴らして町を練り歩き宣伝を行った「チンドン屋の定番曲」として演奏されたことから、歌詞に比べてメロディが特に全国的に知名度が高いです。私もチンドン屋やサーカスをつい連想してしまいます。

活動写真の伴奏や、サーカスやチンドン屋のジンタとして演奏されたことも、この曲が有名になった大きな要因の一つですが、そのイメージが強すぎることは、この曲にとって気の毒なような気がします。

中山晋平は『船頭小唄』で、古賀政男は『サーカスの唄』『影を慕いて』『悲しい酒』でメロディーをほぼ流用しており、日本の歌謡曲のルーツでもあります。

作曲者・田中穂積(1855年~1904年)の出身地である山口県岩国市の桜の名所・吉香公園(きっこうこうえん)には『美しき天然』の歌碑と胸像があります。

田中穂積は作曲した当時、海軍・佐世保鎮守府(長崎県)で軍楽長を務めていました。

武島羽衣(たけしまはごろも)(1872年~1967年)は、国文学者・歌人・作詞家で、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)教授を務めました。瀧廉太郎作曲の唱歌『』の作詞者としても有名です。

美しき天然・歌碑


空にさえずる鳥の声
峯より落つる滝の音
大波小波とうとうと
響き絶やせぬ海の音

聞けや人々面白き
この天然の音楽を
調べ自在に弾きたもう
神の御手(おんて)の尊しや


春は桜のあや衣
秋はもみじの唐錦(からにしき)
夏は涼しき月の絹
冬は真白き雪の布

見よや人々美しき
この天然の織物を
手際見事に織りたもう
神のたくみの尊しや


うす墨ひける四方(よも)の山
くれない匂う横がすみ
海辺はるかにうち続く
青松白砂(せいしょうはくさ)の美しさ

見よや人々たぐいなき
この天然のうつし絵を
筆も及ばずかきたもう
神の力の尊しや


朝(あした)に起こる雲の殿
夕べにかかる虹の橋
晴れたる空を見渡せば
青天井に似たるかな

仰げ人々珍らしき
この天然の建築を
かく広大に建てたもう
神の御業(みわざ)の尊しや

(2)浜千鳥

浜千鳥

青い月夜の浜辺には
親を探して鳴く鳥が
波の国から生まれ出る
濡れた翼の銀の色

夜鳴く鳥の悲しさは
親をたずねて海こえて
月夜の国へ消えてゆく
銀のつばさの浜千鳥

『浜千鳥 はまちどり』は、作詞:鹿島 鳴秋、作曲:弘田 龍太郎による童謡です。雑誌『少女号』で1920年(大正9年)1月号に発表されました。

鹿島 鳴秋(かしま・めいしゅう)(1891年~1954年)は、童話作家・雑誌編集者・詩人です。子供向け雑誌の草分け「少女号」編集・発行人でした。

歌詞は、鹿島 鳴秋が友人の桑山太一を新潟県柏崎に訪ね、2人で浦浜から番神海岸を散歩しているときに、鳴秋が手帳に書き記したものだということです。

弘田 龍太郎(ひろたりゅうたろう)(1892年~1952年)は、代表作に『鯉のぼり』『浜千鳥』『叱られて』『金魚の昼寝』『雨』『雀の学校』『春よ来い』『靴が鳴る』などがある作曲家です。

(3)浜辺の歌

浜辺の歌Hamabenouta/歌いだし♪あしたはまべを/見やすい歌詞つき【日本の歌Japanese traditional song】

あした浜辺を さまよえば
昔のことぞ しのばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も 貝の色も

ゆうべ浜辺を もとおれば
昔の人ぞ しのばるる
寄する波よ かえす波よ
月の色も 星のかげも

はやちたちまち 波を吹き
赤裳(あかも)のすそぞ ぬれひじし
病みし我は すべていえて
浜の真砂(まさご) まなごいまは

『浜辺の歌(はまべのうた)』は、作詩:林古渓、作曲:成田為三による唱歌・歌曲で、1916年(大正5年)に発表されました。

林古渓(はやしこけい)(1875年~1947年)は、漢文学者・歌人・作詞家で立正大学教授を務めました。

成田 為三(なりた ためぞう)(1893年~1945年)は、秋田県北秋田郡米内沢町(現在の北秋田市米内沢)の役場職員の息子として生まれました。

1914年(大正3年)に東京音楽学校(現在の東京芸術大学)に入学し、ドイツから帰国したばかりの山田耕筰に教えを受けました。

1917年(大正6年)に同校を卒業。卒業後は九州の佐賀師範学校の義務教生を務めましたが、作曲活動を続けるため東京市の赤坂小学校の訓導となりました。同時期に『赤い鳥』の主宰者鈴木三重吉と交流するようになり、同誌に多くの作品を発表しました。

余談ですが、『浜辺の歌』のメロディーは、オーストリアの作曲家ヨハン・シュトラウス2世のワルツ『芸術家の生涯(人生)』の一部と非常によく似ていることで知られています。

ワルツ『芸術家の生涯』 ヨハン・シュトラウス2世

(4)誰もいない海

誰もいない海 トア・エ・モア 1970

今はもう秋 誰もいない海
知らん顔して 人がゆき過ぎても
私は忘れない 海に約束したから
つらくても つらくても
死にはしないと

今はもう秋 誰もいない海
たったひとつの 夢がやぶれても
私は忘れない 砂に約束したから
淋しくても 淋しくても
死にはしないと

今はもう秋 誰もいない海
いとしい面影(おもかげ) 帰らなくても
私は忘れない 空に約束したから
ひとりでも ひとりでも
死にはしないと

『誰もいない海』は、トワ・エ・モワの大ヒット曲ですが、もともとは1967年、NET『木島則夫モーニングショー』に出演していた歌手のジェリー伊藤の「今週の歌」のために書かれた曲で、作詞:山口洋子、作曲:内藤法美です。

静かな秋の海は、人の心を癒してくれる場所で、しみじみと心に染みる名曲です。

心地よい調べと共に 傷つき、挫折しても生きていくんだという歌詞です。人は失意に陥ったり、失恋したり、愛する人を失ったりして絶望の淵に立たされた時、海を見に行き、海に癒されるのでしょう。

母なる海に抱かれ、再び命の息吹を吹き込んで欲しいと願うのでしょう。哀愁の感漂う秋の海としっとりとした綺麗なメロディーに包まれ、つらくても、淋しくても、生きていこうという気持ちにさせられます。

ちなみにトワ・エ・モワ(toi et moi)は、フランス語で「あなたと私」という意味です。

余談ですが、作詞者の山口洋子(1933年~ )は、現代詩畑の詩人で、銀座のママをしながら作詞をし『よこはま・たそがれ』などの流行歌で知られる作詞家の山口洋子(1937年~2014年)とは、同姓同名の別人です。また作曲者の内藤法美(ないとうつねみ)(1929年~1988年)は、この曲をレコーディングしたこともあるシャンソン歌手の越路吹雪(こしじふぶき)(1924年~1980年)の夫です。

(5)砂山

海は荒海 向こうは佐渡よ
すずめなけなけ もう日は暮れた
みんな呼べ呼べ お星さま出たぞ

暮れりゃ砂山 汐鳴(しおなり)ばかり
すずめちりぢり また風荒れる
みんなちりぢり もう誰も見えぬ

かえろかえろよ 茱萸原(ぐみわら)わけて
すずめさよなら さよならあした
海よさよなら さよならあした

『砂山』は北原白秋(1885年~1942年)作詞による童謡です。

日本海を望む新潟市中央区の海岸・寄居浜(よりいはま)の荒涼とした情景が歌詞に歌い込まれています。

1922年に新潟で開催された童謡音楽会に参加した北原白秋は、小学生たちから新潟にちなんだ歌の依頼を受け、1922年(大正11年)9月に出版された雑誌で童謡『砂山』を発表しました。

北原白秋の歌詞『砂山』に最初に曲をつけたのは、『シャボン玉』、『証城寺の狸囃子』などで有名な童謡作曲家の中山 晋平(なかやま しんぺい)(1887年~1952年)でした。

翌年の1923年には、童謡『赤とんぼ』、『ペチカ』などを残した作曲家・山田 耕筰(やまだ こうさく)(1886年~1965年)が同じく北原白秋の歌詞『砂山』に別のメロディをつけました。

これ以外にも、成田為三や宮原禎次などがこの『砂山』の歌詞に曲をつけていますが、今日では中山晋平と山田耕筰によるメロディで歌われることがほとんどです。

砂山 北原白秋作詞・中山晋平作曲 Sunayama
砂山 北原白秋作詞・山田耕筰作曲 Sunayama



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