季節を感じる抒情歌・唱歌(その4) 冬

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抒情歌・冬

日本には、四季折々の日本の風景や風物を見て感じたことを歌った美しい抒情歌や唱歌があります。

これらの歌は、我々の心を和ませる癒しの効果があります。特に私のように70歳を過ぎた団塊世代の老人には、楽しかった子供の頃や古き良き時代を思い出させてくれるとともに、心の平和・安らぎ(peace  of  mind)を保つ「心のクスリ」のような気がします。

ちなみに「抒情歌」(「叙情歌」とも書く)は、日本の歌曲のジャンルの一つです。 「抒情詩(叙情詩)」の派生語で、作詞者の主観的な感情を表現した日本語の歌詞に、それにふさわしい曲を付け、歌う人や聴く人の琴線に触れ、哀感や郷愁、懐かしさなどをそそるものを指し、これらの童謡や唱歌をはじめ、歌謡曲のスタンダードなバラードといったものを一つのジャンルにまとめたものです。

ちなみに2006年(平成18年)には、文化庁と日本PTA全国協議会が、親子で長く歌い継いでほしいとして日本語詞の叙情歌と愛唱歌の中から「日本の歌百選」(101曲)の選定が行われました。

そこで今回は第4回として「冬」の歌をご紹介します。

1.雪の降る町を(街を)

芹洋子/雪の降る街を

『雪の降る町を(街を)』(ゆきのふるまちを)は、内村直也作詞、中田喜直作曲による1952年(昭和27年)の日本の歌曲です。

この曲のメロディには、中田喜直が山形県鶴岡市で見かけた雪の情景が描かれているということです。毎年2月に行われる「鶴岡音樂祭」ではフィナーレにこの曲が歌われているそうです。

なお『雪の降る町を』の冒頭で流れるメロディについては、ショパン『幻想曲ヘ短調作品49』との類似性が指摘されることがよくあるようです。

作曲者の中田喜直は、『雪の降る町を』以外にもクラシック音楽からインスパイアを受けたと思われる日本の童謡・歌曲をいくつか作曲しており、代表的な作品としては、「夏が来れば思い出す」の歌い出しで知られる『夏の思い出』や、サトウハチロー作詞による秋の名曲『ちいさい秋みつけた』などが挙げられます。

中田喜直の父である中田章は『早春賦(そうしゅんふ)』の作曲者としても知られていますが、この作品についても、モーツァルト作曲『春への憧れ(K596)』との類似性が指摘されることがよくあります。

雪の降る町を
雪の降る町を
思い出だけが 通りすぎてゆく
雪の降る町を
遠い国から 落ちてくる
この思い出を
この思い出を
いつの日か包まん
あたたかき幸(しあわ)せのほほえみ

2.たきび(たき火)

♪たき火 – Taki Bi|♪かきねの かきねの まがりかど たきびだ たきびだ おちばたき【日本の歌・唱歌】

『たきび』(たき火)は、作詞:巽聖歌、作曲:渡辺茂による日本の童謡です。1941年(昭和16年)にNHKのラジオ番組「幼児の時間」で放送されました。「日本の歌百選」の1曲です。

戦後の1949年(昭和24年)にも、NHKのラジオ番組「うたのおばさん」で松田トシや安西愛子が歌い、全国の幼稚園や保育園、小学校に広まりました。

作詞者の巽 聖歌(たつみ せいか)(1905年~1973年)(本名:野村 七蔵)は、岩手県出身の児童文学者です。『たきび』作詞当時は東京都中野区上高田に住んでいました。

自宅近辺(上高田3丁目付近)には、樹齢300年を越す大きなケヤキが6本ある「ケヤキ屋敷」と呼ばれる家がありました。その家にはケヤキの他にもカシやムクノキなどがあり、住人はその枯葉を畑の肥料にしたり、焚き火に使ったりしていました。

ケヤキ屋敷の付近をよく散歩していた巽は、その風景をもとに『たきび』の詞を完成させたということです。

かきねの かきねの まがりかど
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
きたかぜぴいぷう ふいている

さざんか さざんか さいたみち
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
しもやけ おててが もうかゆい

こがらし こがらし さむいみち
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
そうだん しながら あるいてく

3.ペチカ

ペチカ

『ペチカ』は、1924年(大正13年)刊行の「満州唱歌集」に掲載された日本の童謡・唱歌です。作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰。

満州(現在の中国東北部)への移民向けに、南満州教育会からの依頼で作曲されました。満州の厳しい冬を念頭に置いた曲ですが、特に地名や固有名詞は使われていませんので、満州が舞台ではなく、一般的な冬の暖炉の歌として今日まで愛唱されています。

「ペチカ(ペーチカ/ペィチカ/ピェーチカ)」とは、レンガなどで造られた暖炉の一種です。北欧生まれのペチカは、ロシアを経由して1880年頃に開拓使により北海道に導入されました。

ペチカは暖房としての立ち上がりが遅いのが欠点ですが、一度暖まるとペチカ特有の心地よさがあります。部屋と部屋の間仕切りとして設置することにより、複数の部屋(2~4部屋)を同時に暖めることができます。

雪のふる夜は たのしいペチカ ペチカ燃えろよ お話しましょ むかしむかしよ 燃えろよ ペチカ

雪のふる夜は たのしいペチカ ペチカ燃えろよ おもては寒い 栗や栗やと 呼びます ペチカ

雪のふる夜は たのしいペチカ ペチカ燃えろよ じき春来ます いまに楊も 萌えましょ ペチカ

雪のふる夜は たのしいペチカ ペチカ燃えろよ 誰だか来ます お客さまでしょ うれしい ペチカ

雪のふる夜は たのしいペチカ ペチカ燃えろよ お話しましょ 火の粉ぱちぱち はねろよ ペチカ

4.冬景色

~冬景色~ 白鳥英美子

『冬景色(ふゆげしき)』は、1913年(大正2年)刊行の「尋常小学唱歌」第五学年用に掲載された文部省唱歌です。作詞者・作曲者不詳(*)。

(*)作詞・作曲者不詳の理由

「文部省唱歌」については、編纂委員会の合議で作詞・作曲されたことと、国が作った歌ということを強調するためもあり(著作権は文部省)、当時文部省は作詞者・作曲者に高額の報酬を支払う代わりに名前は一切出さず、作者本人も口外しないという契約を交わしたそうです。

そのため、文部省編「尋常小学唱歌」は当初、作詞者・作曲者の名前が伏せられていたためです。

なお、作詞者の高野辰之や作曲者の岡野貞一のように、後に作詞・作曲者が判明した例もあります。

歌詞の季節は冬の初め頃、1番は水辺の朝、2番は田園の昼、3番は里の夕方が描写されています。2007年(平成19年)に「日本の歌百選」に選ばれました。

さ霧消ゆる湊江の
舟に白し 朝の霜
ただ水鳥の声はして
いまだ覚めず 岸の家

烏啼きて木に高く
人は畑に麦を踏む
げに小春日ののどけしや
かえり咲の花も見ゆ

嵐吹きて雲は落ち
時雨降りて日は暮れぬ
若し燈火のもれ来ずば
それと分かじ野辺の里

5.冬の夜

文部省唱歌 冬の夜

『冬の夜』は、1912年(明治45年)の「尋常小学唱歌」第三学年用に掲載された文部省唱歌です。作詞者・作曲者不詳。

外は一面雪に覆われ、吹雪が吹き荒れる厳しい冬。明治時代後期はまだテレビはおろかラジオすらなかった時代です。雪に閉じ込められ、囲炉裏端で体を温めながら、家族は寄り添い、母は裁縫、父は縄をないながら、子供たちと身を寄せ合って団らんの時を過ごしました。

歌詞にある「囲炉裏火はとろとろ」という独特の描写が、身を寄せ合う家族の穏やかな空気とゆったりとした時間の流れを巧みに表現しています。

さらに、直後に「外は吹雪」の歌詞を配置することで、温かい室内と寒い屋外が対比され、よりその温かさが強調されるとともに、空間的な広がりも表現できています。

なお、同時期に文部省唱歌として発表された冬の童謡・唱歌としては、歌い出しが「さ霧消ゆる湊江(みなとえ)の」で始まる唱歌『冬景色(ふゆげしき)』、「雪やこんこ あられやこんこ」で始まる唱歌『雪』が今日でも有名です。

燈火ちかく衣縫う母は
春の遊びの楽しさ語る
居並ぶ子どもは指を折りつつ
日数かぞえて 喜び勇む
囲炉裏火はとろとろ 外は吹雪

囲炉裏のはたに縄なう父は
過ぎしいくさの手柄を語る
居並ぶ子どもはねむさ忘れて
耳を傾け こぶしを握る
囲炉裏火はとろとろ 外は吹雪

6.冬の星座

【童謡・唱歌】冬の星座【二重唱】

『冬の星座』は、1947年(昭和22年)に中学の音楽教科書に掲載された歌曲です。歌いだしは「木枯らしとだえて さゆる空より」。訳詞:堀内敬三。「日本の歌百選」の1曲です。

日本の歌謡ポップデュオ、トワ・エ・モワ(Toi et Moi)によるカバーも知られています。

原曲は、19世紀に活躍したアメリカの作曲家ウィリアム・へイスによる1871年の歌曲『Mollie Darling(Molly Darling)』です。モリーという女性に対して、「僕の事好きだって言ってくれ」と悶々とする男の狂おしい心境を歌ったラブソングです。

一見すると、『冬の星座』との関連性はないようにも思えますが、2番の歌詞をよく見ると、一応「星」というテーマにおいて共通点があるようです。

木枯らしとだえて
さゆる空より
地上に降りしく
奇しき光よ
ものみないこえる
しじまの中に
きらめき揺れつつ
星座はめぐる

ほのぼの明かりて
流るる銀河
オリオン舞い立ち
スバルはさざめく
無窮をゆびさす
北斗の針と
きらめき揺れつつ
星座はめぐる

7.スキーの歌

スキー 文部省唱歌

「山は白銀(しろがね)、朝日を浴びて」の歌い出しで知られる日本の童謡・唱歌『スキー(スキーの歌)』。「日本の歌百選」の1曲です。

作曲は、童謡『とんぼのめがね』のほか数多くの小中学校の校歌を手掛けた平井 康三郎(ひらい・こうざぶろう)(1910年~2002年)です。

作詞は、昭和期に活躍した流行歌作詞家の時雨 音羽(しぐれ おとわ)(1899年~1980年)です。

山は白銀(しろがね) 朝日を浴びて、
すべるスキーの風切る速さ。
飛ぶは粉雪(こゆき)か 舞い立つ霧か。
お お お この身もかけるよ かける。

真一文字(まいちもんじ)に 身をおどらせて、
さっと飛び越す飛鳥(ひちょう)の翼。
ぐんとせまるは、ふもとか 谷か。
お お お たのしや 手練(しゅれん)の飛躍(ひやく)

風をつんざき、左へ、右へ、
飛べば、おどれば、流れる斜面。
空はみどりよ 大地は白よ。
お お お あの丘われらを招く。

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