デヴィ夫人はインドネシアの元大統領夫人ですが、今でもお金持ちなのは何故?

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デヴィ夫人

今年2月に発売されたデヴィ夫人の婚活論「選ばれる女におなりなさい」の売れ行きがなかなか好調のようです。この本は彼女の豊富な恋愛経験から書かれた恋愛論・婚活論ですが、その背景にある前向きで飽くなき上昇志向、勤勉な努力家の姿、華やかな明るさ、上から目線で正論の毒舌を吐く姿勢など彼女の特長が余すところなく出ています。

デヴィ夫人(1940年~ )は、インドネシアのスカルノ元大統領(1901年~1970年)の第三夫人です。

スカルノはインドネシアの植民地時代(オランダ領)から、民主主義運動・独立運動に大きな足跡を残し、初代大統領となった人物です。

1.「デヴィ夫人」とは

デヴィ夫人は、本名が根本七保子という日本人で、大工の棟梁の長女ですが、家庭は裕福ではありませんでした。

15歳の時に、エキストラで映画に出演しますが、中学卒業後は定時制高校に通いながら、千代田生命で勤務し、ほかにもアルバイトを掛け持ちしていたそうです。

1956に父親が亡くなると高校を中退し、赤坂にある有名な高級クラブ「コパカバーナ」で働くようになります。このクラブは海外の要人の接待や政界人・財界人が頻繁に使うような高級クラブです。

1959年にインドネシアへの開発援助に伴い、「東日貿易の秘書」という名目で、スカルノ大統領のもとへ送り込まれたそうです。これには「昭和のフィクサー」と呼ばれた児玉誉士夫氏(1911年~1984年)が関わっていました。

インドネシアに渡って数年間は、愛人の一人でしたが、1962年に正式に結婚し、第三夫人となります。当時スカルノ大統領は、独立後間もない上に東西冷戦があり、日本の資金援助を非常に重要視していたことも影響したのかも知れません。

3年後の1965年に起きた「9月30日事件」という軍事クーデターでスカルノは失脚して軟禁状態に置かれ、スハルトが大統領となります。

彼女は、亡命先に「政治的に亡命者に寛容なフランス」を選びます。スカルノ大統領は、クーデターを予期して巨額の資金をスイスに移していたとの噂もありますが、真相はわかりません。スカルノ元大統領が亡くなった時、彼女にはインドネシア政府から第三夫人としての財産分与が行われたそうです。

1970年に亡命したフランスでは「社交界の華」「東洋の真珠」とも呼ばれたその容姿で、フランスの貴族や多くの要人と交際を深めたようです。

1991年にはアメリカに移住し、その後日本に帰国して「タレント活動」を行い、現在に至っています。

2.思想・社会活動・政治活動

彼女のテレビのバラエティー番組での発言を聞いていると、戦前生まれの女性らしい「保守的な道徳観」が垣間見えます。しかも、彼女は海外生活が長い人らしく毅然としていて「毒舌」とも言える率直な発言をする所が、私には好感が持てます。

彼女の「思想」については、その多くが自身のウェブサイト「デヴィスカルノの独り言」に記されています。

(1)大東亜戦争(太平洋戦争)と戦後

当時の世情として、資源の乏しい日本が対外進出を行うのが当然であり、A級戦犯についても私利私欲で戦争を行ったのではないとしています。

また、日本人は一度の敗戦で精神が打ちのめされ、戦争の罪悪感から抜け切れず、日本人としての尊厳を失っていることが残念であるとしています。

(2)靖国神社

戦死者・戦没者慰霊の問題については、夫のスカルノ大統領も靖国神社に参拝しており、祖国と家族のために亡くなった人を慰霊するのは当然であるとしています。

A級戦犯問題についても、彼らは東京裁判で処刑され、罪があるとしても既に償っており、慰霊に賛成の立場です。

小泉純一郎元首相については、不戦の誓いのもとに靖国神社参拝を行っており、戦後最も傑出した政治家であるとしています。

(3)憲法9条と本土防衛

憲法は時代ごとの必要性に応じて改正すべきだとしています。毎年4兆円をアメリカの軍事基地維持費として支出するよりも、アメリカ軍からノウハウを受け継ぎ、日本も防衛軍を作って自国を守るべきだとしています。

(4)皇室

皇太子徳仁親王を廃嫡し、皇太子位を秋篠宮文仁親王に移譲するよう署名活動を行ったことがあります。

(5)社会活動

パーティーを催すことがライフワークで、「ビザンチン皇室慈善舞踏晩餐会」には芸能人や各国大使などが出席しています。

(6)政治活動

北朝鮮とは、夫のスカルノを通して親交があったためか、北朝鮮擁護の立場で朝鮮総連主催の式典にも出席を重ねています。

北朝鮮による「日本人拉致事件」や、「人工衛星テスト問題」でも北朝鮮を擁護しています。日本は過去に罪を犯したのだから、拉致事件に何か言える立場にないと主張しています。

3.なぜ今でも「お金持ち」なのか

日本の渋谷区の高級住宅街にある豪邸のほかに、ニューヨークの五番街に近い所にも自宅があり、パリにも別荘があるそうです。自宅には高級家具や宝石類がたくさんあり、彼女の資産総額は30億円~50億円とも言われています。まさに超「セレブ」です。

しかしなぜこのような資産を築き上げられたのかが、最大の疑問ですが、これについて明確なことは分かりません。

若い頃の高級クラブ「コパカバーナ」のホステス時代にも外国の財閥の御曹司などから宝石その他の沢山のプレゼントをもらっていたことでしょう。しかし、それだけでは大した金額にならないと思います。

失脚した元大統領は、国内にある大半の財産を没収されている可能性もありますし、インドネシア政府が第三夫人に莫大な財産分与を許可するとは到底考えられません。

フィリピンのマルコス元大統領のイメルダ夫人のように、夫が大統領在任中に贅沢な生活をする一方、「蓄財」に励んでいたのかも知れません。

「東日貿易」は、インドネシアの戦後賠償ビジネスに食い込み、巨額のコミッションを得たと言われています。日本のインドネシアに対する「国家賠償」額は約800億円に上りました。

彼女は賠償ビジネスに関して「日本政府や利権事業商社・大手企業」と「インドネシア政府」との連絡窓口のような役割を果たし、その時に築いた資産が数十億円を下らなかったという噂もあります。

そして、スカルノが政権にあった時にデヴィ夫人名義で多額の資金をスイスかどこか欧州の銀行に移していた可能性も考えられます。またスカルノがスイスに移したと言われる巨額資金の一部が還流しているのかも知れません。フランスに亡命後も、パリの社交界での貴族や各国要人との交際を通じて、高額なプレゼントなどを貢がれていたことも当然あったでしょう。

これらはいずれも、あくまでも「推測」でしかありませんが・・・

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