「旧宮家の皇族復帰」は時代に逆行!男性の皇位継承候補者増加は本当に必要か?

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皇位継承者

1.男性の皇位継承候補者の減少と女系天皇容認問題

「皇位継承」は、現在「憲法」および「皇室典範」によって次の通り定められています。

日本国憲法第2条:皇位は世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

皇室典範第1条:皇位は皇統に属する男系の男子が、これを継承する。

皇室典範第4条:天皇が崩じたときは、皇嗣が直ちに即位する。

秋篠宮夫妻に悠仁親王が生まれる前は、男系天皇制のもとでは皇位継承者は皇太子(現天皇)・秋篠宮・常陸宮の3人でした。

このように男性の皇位継承候補者が減少していることから、愛子内親王を皇位継承者と認めて「女系天皇」を可能にする女系天皇容認問題が盛んに議論された時期がありました。

2004年、小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」が設置された頃だったと思います。しかし2006年に秋篠宮夫妻に悠仁親王が誕生して、当面男子の皇位継承者が確保されたことから、この議論も下火になりました。

なお、「女性天皇と女系天皇の違い」については前に記事を書きましたので、参考にしてください。

もともと男系天皇制が初代神武天皇(実在したかどうかはわかりませんが)から連綿と維持(万世一系)されてきたのは、「側室制度」と「宮家制度」のおかげによるものです。

高森明勅氏の調査によると、125回の皇位継承のうち、約半分の59回が「庶系継承」(側室の子)だったそうです。また過去400年間で「正室」(皇后)から生まれた天皇は、明正天皇(109代)、昭和天皇(124代)、現上皇(125代)、今上天皇(126代)の4人だけだそうです。

ですから、側室を置かず、傍系の宮家も整理した現在、皇位継承候補者が減少するのは当然です。

2.男系天皇制と旧宮家の皇族復帰問題

「男系天皇制」を定めた現在の「皇室典範」に従えば、皇位継承順位は上図の通り、第1順位は秋篠宮で50代、第3順位は常陸宮で80代と高齢のため、将来を見据えて、戦後「皇籍離脱」した旧宮家を皇族に復帰させようという議論があります。

将来悠仁親王が結婚し、天皇に即位しても、子供が生まれなかったり、男子が生まれなかった場合は皇位継承者がなくなることを考慮したものです。

しかしこれは、明らかに時代に逆行する議論のように私は思います。

3.私の考え方

(1)「女系天皇」を容認

結婚前に社会的批判を浴びるようなスキャンダルを持った人物は、将来の天皇の結婚相手として論外です。

しかし、愛子内親王の結婚相手が人格的にも問題なく能力も優秀な配偶者なら「女系天皇」を認めても何ら問題はないと私は思います。「男系天皇でなければならない」という議論は説得力がありません。

(2)男系天皇制への固執に基づく「旧宮家の皇族復帰」には反対

逆に「皇籍を離脱して一般人になった人を再び皇族に戻して宮家を創設する」というのは、令和の即位関係の儀式などを見てもわかるように皇室関係に多額の税金が投入されていることや、いまだに天皇家と皇族にだけ「時代錯誤の身分制度」を残していることを考えると、税金の無駄遣いであり論外です。

(3)結婚相手を皇族や旧華族に限定する必要は全くない

かつて、上皇が皇太子時代に正田美智子さんとの結婚について、良子皇后や皇族が「皇族や華族出身でない」と言う理由で大反対したところ、昭和天皇が「皇室に新しい血を入れるべきだ」と述べて賛成したそうですが、昭和天皇の考え方は真っ当だったと私は思います。

正田美智子さんは「軽井沢のテニスコートでの出会い」をきっかけに誕生した皇族や旧華族でない初の「平民」出身の皇太子妃でした。良子皇后や皇族の考え方は「戦前の身分制度に基づく時代錯誤も甚だしい意見」だったと私は思います。

(4)将来、皇位継承者がいなくなれば天皇制を廃止すればよい

将来的に皇位継承者がいなくなった場合は、国民投票により憲法を改正して「天皇制廃止」をすればよいと思います。

自衛隊の明記」や「参議院の廃止」とともに「天皇制廃止規定の明記」も憲法改正の論点としてほしいものです。

天皇の歴史を振り返ると、天皇は「日本人にとってなくてはならない存在」と言うよりも、「権力者が自己の権威付け・錦の御旗として、統治に利用してきた存在」であり、「後継者をめぐって、権力者・外戚や天皇・上皇らが権力争い・主導権争いを繰り返してきた存在」であることがわかります。

私は、絶滅危惧種の生物種を人為的に保護することは、やるべきではないと思っています。天皇制も、後継者がなければ、国民主権の時代に本来そぐわない存在なので廃止しても問題はないと思います。

(5)日本国憲法での天皇制存続はGHQの占領政策の一環

太平洋戦争敗戦後に、GHQ主導で「日本国憲法」が作られました。この時天皇制を廃止してもよかったのですが、GHQが円滑に占領政策を遂行するには天皇制を存続させて、これを利用する方が得策と判断したのです。

ルース・ベネディクトは「菊(天皇制)」と「刀(武士道)」が日本の象徴と考え、特に天皇は日本人の精神的支柱のように捉えて、天皇制存続を進言したようです。

ただ、GHQが日本国憲法に「戦争放棄」を入れるのであれば、「天皇制を廃止して共和制にする」としても良かったのではないかと思います。「皇族」という時代錯誤の「身分制度」を残すのは、民主主義にふさわしくないからです。

天皇制は「功罪相半ばする制度」だと私は思います。古代においては最高権力者として、またそれ以降は権威の象徴として君臨し、日本を統一国家として安定的に支配したという意味で功績はありますが、一方で権力争いを繰り返し、「残念な天皇の話」で書いたような独裁者や異常な行動で許しがたい暴君の天皇もいましたし、庶民に過重な課税や労役を課して苦しめた罪もあります。

太平洋戦争の頃で言えば、天皇の名のもとに「赤紙」や「学徒出陣」で若者が死地に赴いて戦死したり、空襲や原爆の犠牲になった人の遺族には、恨みを持つ人も少なくないでしょう。

明治・大正生まれや戦前の昭和生まれの人は、戦前の小学校教育によって「現人神とされた天皇を有難がる」傾向がありますが、戦後生まれの私などはそんな気持ちはありません。私より若い世代はなおさらだと思います。

(6)皇居は「国民公園」として国民に開放すべき

そして、皇居を「国民公園」として国民に開放すれば、都心に奇跡的に残る武蔵野の自然を残す森として、自然観察の森や市民の憩いの場になることは間違いありません。

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