中田喜直と言えば、「雪の降るまちを」「夏の思い出」「ちいさい秋見つけた」など国民に広く愛され親しまれる歌をたくさん作曲しました。
ところで、これらの曲は、クラシック音楽によく似たメロディーがあるため、彼はクラシック音楽から多くのインスピレーション(ひらめき・霊感)あるいはインスパイア(刺激)を得て作曲したのではないかと言われています。
今回はこの疑問について、わかりやすくご紹介したいと思います。
1.中田喜直の名曲3曲とよく似たメロディーのあるクラシック音楽
(1)雪の降るまちを(作詞:内村直也、作曲:中田喜直)
「雪の降るまちを」(雪の降る町を)は、1951年にNHKラジオの連続放送劇「えり子とともに」の劇中歌として制作されました。作詞者の内村直也は劇作家です。1952年には高英男の歌でヒットし、後に作曲者自身によって女声合唱・混声合唱に編曲されています。
彼はこの曲を作るに際しては、山形県鶴岡市の知人宅で見た降雪風景からメロディーを紡いだと伝えられています。
なおこの曲は、ショパンの「幻想曲ヘ短調作品49」の序奏のモチーフとメロディーがそっくりですが、本人は引用等を否定しています。ぜひクリックして聞き比べて下さい。
(2)夏の思い出(作詞:江間章子、作曲:中田喜直)
「夏の思い出」は、NHKの依頼によって作られた曲です。1949年にNHKラジオの「ラジオ歌謡」で石井好子の歌によって放送されるや、瞬く間に日本人の心を捕らえました。その後、曲中に現れる尾瀬の人気が飛躍的に高まったそうです、
後に作曲者自身によって女声合唱・混声合唱に編曲されています。
この歌を作詞した作詞家の江間章子は幼少時代、岩手山の近くに住んでいましたが、そこはミズバショウの咲く地域だったそうです。そして1944年にたまたま尾瀬を訪れて目にしたのが、一面に咲き乱れるミズバショウだったのです。その時の気持ちを後に「夢心地」と表現しています。
戦後すぐの1947年にNHKから「夢と希望のある歌」を依頼された時、思い浮かんだのが尾瀬の情景だったそうで、その感動を詩にしたのが「夏の思い出」です。なお、ミズバショウが咲くのは5月末であり、「尾瀬の春先」にあたります。
「せっかく夏に来たのにミズバショウを見ることができなかった」という人が多いのですが、作詞者が「夏の思い出」としたのは「歳時記」ではミズバショウは「夏の季語」だからで、事情をよく知らない現代人が「真夏の7~8月」と勘違いしたのが原因です。
一方、作曲者の中田喜直は作曲当時は尾瀬に行ったことがなかったそうです。尾瀬を訪れたのは作曲から40年後の1990年だったそうです。
曲は簡単にできましたが、それを聴いた母親から「これはお粗末だから作り直しなさい」と助言され、作り直したのが現在の「夏の思い出」だそうです。そのため彼は、「夏の思い出」の印税を母親に渡していたそうです。
なおこの曲は、モーツァルトの「ピアノソナタ第11番」第1楽章のメロディーとよく似ていることでも知られています。ぜひクリックして聞き比べて下さい。
(3)ちいさい秋見つけた(作詞:サトウハチロー、作曲:中田喜直)
「ちいさい秋見つけた」は、1955年にNHKの特別番組「秋の祭典」のために作られた曲です。番組内限定の曲で、当初はレコード化の予定はありませんでしたが、1962年にキングレコードのディレクターによって「合唱に最適な曲」として見出され、ボニージャックスの歌唱でレコーディングされました。
詩人のサトウハチローがこの詩を作ったきっかけは、自宅の庭の「ハゼノキの紅葉」(上の画像)する情景を見たことだそうです。
なお、この曲は、17世紀のイタリアの作曲家モンテヴェルディの「マドリガーレ集」第4巻に収録された「死ねるものなら」との類似性が指摘されることがあります。ぜひクリックして聞き比べて下さい。
2.中田喜直とは
中田喜直(なかだよしなお)(1923年~2000年)は、東京音楽学校(現在の東京藝術大学)ピアノ科を卒業した作曲家です。
1953年にフェリス女学院短期大学音楽科講師となり、以後40年にわたって教職を勤め上げています。
なお彼は、「早春賦」の作曲で有名な中田章(1886年~1931年)の三男です。余談ですがこの「早春賦」はモーツァルトの「春への憧れ(K596)」とよく似ておりアレンジしたようです。