「金(きん)」と言えば、古今東西古来より人々を魅了してきた鉱物で、宝飾品や金貨、金の延べ棒などとして権力者や富豪などに重宝されて来ました。
日本人はそれほどではありませんが、外国人の「金崇拝」「金への執着」は非常に強いものです。
かつて「金本位制」という「金と紙幣との兌換を保証する制度」がありました。日本でも1897年に「金本位制」を採用しましたが、1929年からの「大恐慌」を契機に主要各国が「金本位制」を離脱し、「管理通貨制度」に移行しました。
ところで、鉱物としての「金(Gold)」はどのようにして生まれたのでしょうか?
1.金はどうやってできたのか
(1)金の生成
金を含むあらゆる元素は、宇宙の進化とともに生成されて来ました。特に鉄よりも重い金のような元素は、数十億年前に星の爆発などの凄まじい天文現象で生成されました。
宇宙で金を含むこのような重元素が作られるプロセスは、従来は次の両方で合成されると考えられていました。
①「漸近巨星分枝(ぜんきんきょせいぶんし)」と呼ばれる「赤色巨星(せきしょくきょせい)」内で合成される過程(s過程)
②「漸近巨星分枝」のような巨大な恒星が寿命を終え、「超新星爆発」を起こす過程(r過程)
しかし、これらの過程では、①では中性子束が低いため、反応断面積が小さくて重元素は生成できず、②では爆発の際に発生した「ニュートリノ」が中性子を陽子に変えてしまうため、やはり重元素は生成しにくいことが分かって来ました。
最新の研究では、「強い重力によって中性子の密度が非常に高くなった中性子星が合体する過程」で、白金や希土類(レアアース)のような元素とともに金も大量に合成される可能性が高いことが判明しました。
(2)金鉱床の生成
火山が生まれてから約50万年たつと、マグマの熱によって十分に温められた地下水が大規模に循環し始めます。
この熱水にマグマから分離した金を含む熱水が加わって、地下の岩盤の割れ目を通って地表に湧き出します。その途中で、金は石英とともに割れ目に沈殿し、金を含んだ石英脈が出来ます。これが金鉱床です。
地表では、湧き出した熱水により温泉や間欠泉が出来ます。
金鉱床ができて時間が経過すると、地表が風化・浸食を受け、含金石英脈が地表に現れます。石英脈が地表に現れていない場合は、ボーリング調査によって金の品位や埋蔵量を調べ、開発の可否を判断します。
(3)砂金(さきん)の生成
砂金は、砂状に細粒化した自然金で、金鉱脈が川の浸食作用などで崩れ、川に流された後、川岸に溜まったり、河口に流れ着いたものです。
大がかりな選鉱施設が不要で採取方法が簡単なため、古くから個人による採取が行われて来ました。
金の採掘はもともと川で行われていた砂金採取が徐々に上流へと進んで、やがて山で金鉱脈の採掘が行われるようになったとも言われています。
2.金にまつわる面白い話
(1)エルドラドの「黄金郷伝説」
エルドラドは、南アメリカのアンデス地方に伝わる「黄金郷伝説」(黄金のギアナ帝国)のことです。
「エルドラド」とは、スペイン語で「金箔をかぶせた」または「黄金の人」という意味です。
このアンデス地方では金の採掘と装飾技術が発達し、首長は全身に金粉を塗り儀式を行う風習がありました。
この伝説はドイツやイングランドなどのヨーロッパ諸国に広まり、数々の探検隊が南米大陸に渡りました。
エリザベス1世の寵臣だったサー・ウォルター・ローリーも「黄金のギアナ帝国」をめざして探検しています。
ちなみに、2020年8月末で閉園した遊園地「としまえん」にあったメリーゴーランド「カルーセルエルドラド」(上の画像)も、この黄金郷「エルドラド」が由来です。
なお、「カルーセル(carousel)」は英語で「メリーゴーランド(回転木馬)」のことです。
(2)有事の金
「有事」とは、非常事態のことで、自然災害や経済的混乱、戦争や国際紛争などが起きた状態のことです。
「有事の金」とは、「非常の事態が起こった時でも、金(Gold)は安全な資産だから金を持っていれば安心だ」という意味です。
もし戦争状態になった場合、株式や現金などの金融資産は価値が暴落する恐れがあります。しかし金などの現物資産は無価値になることはないため、買い進まれることになるわけです。
金の資産としてのメリットは、「破綻することがない」「世界中で価値が共通である」「人工的に作ることができず採掘量が有限な自然資産である」ことなどです。
逆にデメリットは、「保有しているだけでは利子などの利益を生まない」「保管コストがかかる」ことなどです。
(3)ゴールドラッシュとチャップリンの「黄金狂時代」
「ゴールドラッシュ」とは、「新しく金鉱が発見された土地に金獲得を狙う人々が殺到する現象」のことです。
1849年にアメリカのカリフォルニアで起こったゴールドラッシュは特に規模が大きく、1848年に金鉱が発見されると1849年の1年間だけで約10万人が押し掛けたと言われています。
1925年にチャップリン(1889年~1977年)が作った「黄金狂時代(The Gold Rush)」という映画は、1898年のゴールドラッシュに沸くアラスカを舞台に、一獲千金を夢見る金鉱探したちの姿をコミカルに描いたものです。
(4)ツタンカーメンの「黄金のマスク」
古代エジプト第18王朝第12代の少年王ツタンカーメン(B.C.1342年頃~B.C.1324年頃、在位:B.C.1333年頃~B.C.1324年頃)は、黄金棺の中の「黄金のマスク」で有名ですね。
(5)「黄金の国」ジパング
マルコ・ポーロが13世紀末に「東方見聞録」の中で、日本のことを「莫大な黄金と真珠の国」として紹介する時に使った言葉が「ジパング」で、「Japan」の語源となりました。
日本での古代の金製品は、福岡県志賀島で発見された「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」という金印がありますが、これは57年に「奴国(なこく)」が後漢の光武帝から与えられたものです。
奈良時代まで日本は金を産出せず、朝鮮半島の新羅や高句麗からの輸入に頼っていました。しかし749年百済王敬福が奥州で砂金を発見して以降状況は一変し、8世紀後半からは逆に渤海・新羅などに輸出され、遣唐使の滞在費用として砂金が持ち込まれたことで、後の「黄金の国」のイメージの原型が形作られました。
奥州産の金をふんだんに使った奥州藤原氏の中尊寺金色堂は、マルコ・ポーロが紹介した黄金の国ジパングのモデルになったともされています。
ただし、マルコ・ポーロは実際に日本へ来たことはなく、「東方見聞録」は伝聞によって書いたものです。
(6)ニュートンや長岡半太郎も研究した錬金術
「錬金術」とは、「化学的手段を用いて、卑金属から貴金属(特に金)を精錬しようとする試み」のことです。錬金術の起源は、古代エジプトや古代ギリシャに遡ります。
「万有引力の法則」を発見したことで有名な科学者アイザック・ニュートン(1642年~1727年)も、意外なことに錬金術を研究していました。
彼の錬金術師としての主要な目的は、まず「賢者の石」(卑金属を金に変えると信じられていた物質)の発見であり、その次に「エリクシル」(飲めば不老不死になれると伝えられる霊薬・万能薬)の発見であったと考えられています。
日本でも大真面目に錬金術に取り組んだ研究者がいました。戦前の日本の物理学界を代表する長岡半太郎(1865年~1950年)です。彼は現在の原子模型の元祖である「土星型原子モデル」を提唱した東京帝大教授です。
彼は帝大教授時代の1924年に「水銀から金を作り出す技術」を発表しています。金(元素記号Au)と水銀(元素記号Hg)は原子番号で79と80の隣同士で、水銀の水素原子(陽子)をどうにか外すことができれば、見事「金」になるというわけです。
彼はこの「錬金術」に成功したらしいのですが、得られる金が高圧放電などで投下されるエネルギーに比べて微々たる量で、とても採算の取れるものではなかったそうです。
(7)金メッキ(金鍍金)
金メッキとは、「金属材料の表面に薄い金の付着させること、また付着させたもの」のことです。
従来から装飾に用いられてきましたが、耐食性が極めて高く、電気抵抗が小さく、はんだ付け性がよい、などの優れた特性によって、最近では電気接点、コネクター、プリント基板などの電子部品に使用されています。
「メッキ」の語源は昔行われていた「滅金(めっきん)」で、いつの頃からか「ん」が取れて「めっき」と呼ばれるようになりました。
「滅金」とは、「水銀に金を溶け込ませたもの(アマルガム)を被メッキ体に塗り付け、それを加熱し、水銀のみを蒸発させて金を付着させる方法」のことです。
奈良の大仏などはこの方法でメッキされています。この時、メッキ作業に携わった多くの人が水銀蒸気を吸って「水銀中毒」に罹りました。